言葉の使い方ってのは難しい。大体、言葉の意味は簡単に理解し覚えても、使い方となるとそう簡単にはいかない。それなりの用法を、少なからぬ実例から見出して複数回の間違いを経験しながら身に着けていくのが普通だ。
「そんな大袈裟な」と笑う人がいたら「AIを見よ」、或いは「赤ん坊の言葉が段々に幼児の言葉になり、子供の言葉遣いになっていく過程を見よ」と言おう。
・・・なんてことを書いたけど、昨年あたりから妙に気になっている言葉が標記の「何なら」。
正しい用い方を耳にすることは、まずない。けど、どこがどう違うんだ、と説明する、となると、何となく「めんどくさい」という思いの方が先に立つ。第一、説明したって誰かが聞いているというわけでもないし。
そうこうするうちに、今まで以上に物忘れの激しくなった年金生活者、いつのまにか忘れてしまう。これを数か月間、繰り返してきた。
で、さすがに、その都度(誤用を耳にする度)妙に気持ちの悪い(居心地の悪さ)思いをしているよりも、誰も聞いていずとも自身が自身に説明しておくだけで、気持ちの悪さは半減するのではないか、否、してきたではないかと気付く。やっと。ボケてるから。
「気持ちが悪い」とばかり言ってないで、正面から見ればいい。
思いついて辞書を見た。辞書には「何なら」は副詞である、と書いてある。
意味は「場合によっては」とか「~でなければ」。
ということは広島の方言らしい「なんなら!」という怒声では全くない。
(広島弁の「なんなら!」は「何」+「なら!」。この「なら!」は「だら!」と同じで、抗議の意味を表す「~だよ!」だから、広島弁の「なんなら!」は「何だよ!」の意味だろう)
元に戻ると。
実例として挙げられるのは「ご飯?何ならお酒にしようか」みたいな。
今、NHKの放送文化研究所というページにこんなのが載っているのを見つけた。
〔伝統的用法〕 | 「あしたは朝寝坊していいよ。なんなら、昼過ぎまで寝ててもいいよ。」 |
「うまくできなくてもかまいません。なんなら、お手伝いしましょうか。」 |
〔近年多い用法〕 | 「彼はいつも朝寝坊だ。なんなら、昼過ぎまで寝ていることもある。」 |
「うまくできなくてもかまいません。なんなら、まったくできなくても大丈夫です。」 |
「誤用」と言わないで「伝統的用法」・「近年多い用法」、なんて書いてるところがいかにもNHK。あざといねぇ~と思うけど、まあ、それは置いといて。
何故、こんなことになったんだろう。何でこういう誤用が?と色々考えているうちに気が付いたことは、最初に書いた「言葉の意味は調べてみれば分かるけど、使い方は主に聞きかじりで、真似てみるところから始まる」ということだった。
辞書ではなく耳で覚える。微妙な発音・アクセント・イントネーションの方が主になって、意味の方は何となく掴んでいるんだろう、で済ませてしまう。
何となく掴んだ意味で何となく使う。
子供の頃は難しい言葉を知ると、とにかく使ってみたくって、口にして、「難しい言葉、知ってるね!」と褒められて、或いは変な使い方をして笑われて、でも、話題の中心になったことがうれしくて、といったことを繰り返す。
ただ、その辺はほとんどが名詞、動詞、形容詞、時に形容動詞辺りで、副詞や接続詞となるともっと上の年齢になってから。そのころになると「難しい言葉、知ってるね」なんて褒められ方はまずしないし、褒められたって素直には喜ばなくなっている。
「何なら」。
聞き覚えで使う、としたら・・・?
似たような言葉は「何とならば(何となれば)」。意味は「何故なら」。
「場合によっては」という意味の「何なら」。
「理由説明」の「何となら(ば)」。
最近流行している誤用ならば、何かきっかけが、と考えた。
どうも「ナルト」に出てくる蟲使いのシノ辺りが怪しい。彼の、「何故なら」の多用が子供心に染みついて・・・・。
「ナルト」、連載始まってから何年になるのかな?