CubとSRと

ただの日記

もどき

2021年01月08日 | 日々の暮らし
 1月5日

 昨日、酒を飲んでいなかったせいか、今朝、体調は悪くない。
 それよりも昨日の七草粥の味が忘れられず、昨晩、丼二杯食べ終わった時点から、「明日の朝食は粥!」と決めていた。
 けど、七草粥セットの七草は、昨日の中にみんな食べてしまったから、もう、ない。
 
 だからと言って、今朝、もう一度買いに行こうなんてことは、勿論思ってない。似たようなもので似たようなものを作ればよい。
 
 そう思っていたから、大根、人参、白菜、ついでにサラダ用のチキンも入れた。結果、似たような物以外も混ぜた、とても七草粥とは言えないような物を昨晩と同じく茶碗一杯の御飯で作った。

 当然、あの清浄な味は再現されていない。何も「芹を入れてないから」ということだけではない。黒胡椒をたっぷり振り掛けられたチキンを入れたからに決まっている。
 
 「う~ん。昨日とは違うなあ」
 と当たり前のことを思う。思いながら昨日と同じくみんな食べてしまった。
 「緊急事態宣言」と同じことかもしれない。

 安倍総理の時、緊急事態宣言が「発出」された。敢えて当時の政権は「発令」と言わず「発出」と言った。何故なら「発令」という言葉は使えないから、だ。
 「発令」というのは「令」を発するということ。
 「令」は「~させる」という意味を持つ。「従わなければ罰を与える」という意味を言外に持っている。日本国憲法では「国民主権・基本的人権の尊重」の理念から、「令」を認めていない。だからあの時、罰則はなかったわけで、「令」の字は使いたくても使えず、やむを得ず「発出」という胡散臭い言葉を使わざるを得なかった。
 これでは効果は期待できないんだけど、民度の高さが「発出」であるにもかかわらず「発令」されたに近い結果をもたらした。悪しき面としては「自粛警察」の発生があるのはご存じの通り。

 今回は故意に「発出」を「発令」と意識づけるよう、印象操作が都県知事によってなされた感があるが、特別措置法をいじって何とかする、というのは付け焼刃でしかない。
コメント
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