CubとSRと

ただの日記

家呑み

2021年01月13日 | 日々の暮らし
 1月12日

 「今日は午前中、雪」と一方の会社は言い、もう一方の会社は「昼前まで霙(みぞれ)が降る」みたいなことを言っていた。
 予報は、ほとんどの場合、前社の方が当たっている。が、ただ一つ不満がある。その日の現在時刻以前(つまり予報の結果)は表示されないこと。
 その点、もう一社の方は「実際の天候」を日付が変わるまでは表示している。 予報結果は表示してないんだけど、まあ、天気というものは「一転にわかに掻き曇り、バケツをひっくり返したような~」なんてことはそうそうあるものではない。一時間ごとの結果が表示されていれば、或る程度の予想はつく。

 朝5時になっても、雲はなかったし降る気配もなかった。
 けれど6時過ぎ、カーテンを開けて驚く。一面真っ白だ。空だけが重い灰色になっている。
 
 昨日、曇り空だったので、夜間、急激な気温の低下はなかった。
 雪は、南からの低気圧に、北からの非常に強い寒気が乗り上げて降らせたらしい。
 
 昼からは晴れるようなことがテレビでは表示されていたが、昼まで雪なら昼から晴れたって外出は出来ない。いや、それどころか未だに曇り空だから、明日も外に出られないかもしれない。

 そうすると「今日の肴は、あるもので」となる。
 「だったら、無理に飲まずとも」という考えも浮かんでくる。
 そして「今日飲まなければ、次回は明日に。その次は、また一日置いて、でも帳尻が合うな」なんて姑息な考えも湧いてくる。
 そうやって「一日呑んだら二日休み」のパターンが崩れ、「二日休み」がいつしか「一日休みの隔日呑み」、から「毎日、『ちょっと』一杯」。
 そして気が付けば、「ちょっと」が取れて「毎日、一杯」。

 そういう生活に逆戻り、となる。これまではずっとそうだった。
 煙草は惰性で喫っていた部分もあったから、短時日で一気に量を減らし、喫いたくなったら「次に喫いたくなるまで我慢しよう」の繰り返し。そして、なくなったら「この次に買おう」と自分を誤魔化し、宥めてきた。二十歳から十年弱、喫煙。以降三十七年、一本も喫ってない。

 酒はそうはいかない。飲みたいから飲む。そして飲み始めると理性の箍を緩める行為なわけだから、つい飲み過ぎてしまう。困ったことに、ほどほどのところで上手に切り上げることができた時ほど、次回、また飲みたくなる気持ちが強くなる。
 「酒は飲んでも呑まれるな」という金言は、「呑まれなければ問題ない」という楽観論からだ。理性の箍を緩めるだけのつもりが、いとも簡単に外れてしまう(「呑まれる」)状態を作ったんじゃ本末転倒。だけど、この「緩める」と「外す」の境は本当にシビアだ。何しろアルコールが境目を曖昧にする。
 
 というわけで、何が何でも「飲んだ翌日と翌々日は飲まない」ということは守られなければならない。そうやって昨年一年間、何とか過ごすことができた。

 まあ、そんな心配はせずとも、今日も呑むけどね。あり合わせのもので。

 
コメント
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