CubとSRと

ただの日記

見る目(見透す目)

2021年01月20日 | 重箱の隅
 以前、「皮膚感覚で分かるようにできないか。」
 と題して書いた日記の転載です。

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 2013.03/04 (Mon)

 一党独裁の共産主義国、シナ。
 その中でも文化大革命の頃というのは、理想国家建設のために立ちあがる若い兵士の爽やかな笑顔のポスターの裏側で、粛清の嵐が吹き荒れた時でもあります。文化大革命の時だけでも2000万人の命を奪っていると言われ、共産主義革命全体を通すと4000万人から一億人の同胞を死に追いやっている。
 その異常さを現代のシナの若者は全く知らない。だから、毛沢東思想の復権を望み、文化大革命の頃の、近代国家建設に邁進する「希望に満ち溢れたシナ」への回帰を図ろうとする。
 「今のシナの若者はそんなにバカではない。ネットも発達しているし、強かに生きている」、と言われます。確かにそれは間違いない。表面的には。
 けれど、問題は、根っ子です。捏造された歴史教育は、いくつくらいの時に為されたのでしょうか。その教育と、インターネットを用いるようになるのはどっちが先だったのか考えてみれば、安心などは全くできないことは容易に分かります。

 まずは彼我共に、あの頃の異常さを皮膚感覚で知ることはできないか。
 南京大屠殺紀念館ができたのは1985年だそうです。
 文化大革命は?1966年から十年間。
 天安門事件をなかったことにするために、捏造された南京大虐殺事件を事実として教え込まれた結果、今の反日観が出来上がりました。
 石平氏でさえ、甥っ子に天安門事件のことを納得させることができなかった。
 そんな彼ら、現代のシナの若者が、暗黒時代と言っても良い、文化大革命の十年間をまともに習っているでしょうか。ちゃんと知っているのでしょうか。
 下に挙げたのは、宮崎正弘氏のメルマガに連載をされている樋泉克夫氏のコラムです。
 フランスの哲学者の目に映った、「労働者(なのに)、の細くて清潔な手」に対する違和感。
 そして、例の大江健三郎が共産党の詐術に見事に引っ掛かり、感涙に咽んだというところ等は一読の価値があると思います。

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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
  平成25(2013)年3月4日(月曜日    通巻第3891号  

  樋泉克夫のコラム

  【知道中国 869回】             
   ――mens fada in corpora salop・・・狂った精神は汚れた身体に宿る
     『ロラン・バルト 中国旅行ノート』(ロラン・バルト 筑摩書房 2011年)
 ▽
 記号論、構造主義で知られたフランスの哲学者・批評家の著者(Roland Barthes:1915年~80年)は新左翼華やかなりし当時、フランス共産党に反対し、ソ連を修正主義と批判していた。我が国にも蔓延っていた無責任な新左翼にとっては、ゴ本尊サマだった。

 1974年、そんなロラン・バルトが数人の仲間と共に、在仏中国大使館の招きに応じ、毛沢東思想原理主義を掲げた四人組が猛威を振るっていた文革末期の中国を旅行する。「現地の中国人との接触が持たれないように、旅行コースはあらかじめ決められ、添乗員・通訳が常に同伴する上に、参加者が各自費用を負担するという旅行計画であった」(「訳者あとがき」)
■襞のない国。風景は文化に仕立て上げられていない(土地の耕作を除いて):歴史を物語るものは何もない。・・・風景はだんだん素っ気ないものになる。味気のない国。/訳者は「cultureには「耕作」と「文化」の2つの意味がある」と注記する。

■すべてが中華思想。他国にも同様にさまざまな社会や村落がありうるという考えは全くない。民俗学はもみ消されている。比較研究は皆無。
■中華社会主義思想:すべては愛する公社、原始的な集産主義への嗜好。
■2人の若い労働者がいるテーブルにつく。彼らはとても清潔で、細い手をしており(《修理工》だろうか?)・・・ここの《労働者》は皆、細くて清潔な手をしている。

 この中国旅行の10年程前、大躍進の飢餓地獄に苦しんでいたはずの中国に招待された日本文学代表団に参加した若き日の大江健三郎は、「僕がこの中国旅行でえた、最も重要な印象は、この東洋の一郭に、たしかに希望をもった若い人たちが生きて明日にむかっているということだ。
・・・ぼくらは中国でとにかく真に勇気づけられた。・・・一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ、とはいえるだろう」と感涙に咽んだ。
 毛沢東=共産党政治の詐術に、大江は「一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ」と見事に引っかかる。
だが、同じ招待を受けながらもロラン・バルトは「細くて清潔な手」な《労働者》に疑念を抱く。新左翼とはいえ、さすがにゴ本尊サマだ。“眼力”が違う。 
 それにひきかえ情けないのが大江だ。やはり目は節穴だった。

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 若い「労働者」の、細くて清潔な手に疑念を抱いた者。
 修理工ならば、もっとガサガサした、爪や指紋にいくら洗っても落ちない、機械油の染みついたごつい手をしていることを知っていながら書いてるみたいですね。つまり、「彼らは労働者ではない」、と。
 農民だったら、宮沢賢治も詩の中に「~ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、おれはこれからもつことになる」、とうたっているように、決して労働者は「細くて清潔な手」ではない。
 
 そしてもう一方は。 
 「この東洋の一郭に、たしかに希望をもった若い人たちが生きて明日にむかっている」
 「ぼくらは中国でとにかく真に勇気づけられた」
 「一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ、とはいえるだろう」
 大躍進運動の爽やかな笑顔の裏側は全く見えてない。見ようとしなかったのか。それとも単に見えなかったのか。

 見えなかった。そして、後になってそれに気が付いても、今度は頑なに見直そうとしなかった…のではないか、と思います、「沖縄ノート」問題のその後を見ると。 
コメント
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