CubとSRと

ただの日記

せこい話 続き

2021年01月22日 | 心の持ち様
 「日系市民団体でくすぶっていたイガサキを引っ張ってきた」の続きです。
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 「見た目、日本人」を日本叩きの先鋒に使う。(マイク・ホンダというのもいましたね。もっとも彼は日本の名前でありながら顔立ちは半島国ですが。米国人には全く区別がつかない)
 「日系人に対する偏見と戦ってきた者」が転向する?まさか。
 事実はやっぱり、その、まさかみたいです。
 「罠にかかって」そうなるのとは違うみたいです。二代、三代と変わるにつれて、やはり心根も日本人じゃなくなってしまう。大陸も半島もそんなことはないらしいんですが、日本人は淡白というか、アクが強くないというか・・・。

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   (続き)
 それにしてもなぜ標的が日本企業なのか。一つにはこんなインチキ話でも日本の政府もマスコミも反論しない。抵抗なくふんだくれるからだ。そして二つ目が米メディアは日本叩きが好き、という伝統がある。米メディアの支持は予約済みなのだ。
 元『ロサンゼルス・タイムズ』紙のサム・ジェイスンはいう。
 「民族、宗教も違う国々、とりわけ目立つ日本については、インフォティンメントが主流になる」
 インフォメーション+エンタテインメントの複合語で、真実はどうかなどはどうでもいい、その異様さ、異質さを強調した話が期待される、というのである。
 この三菱事件でも『ニューヨーク・タイムズ』東京特派員、A・ポラックは日本社会を現実に見ていながら、「日本では女性は昇進も終身雇用の保証もない。女は補助的な仕事だけで男女が一緒に働くこともない」(1966年4月25日付)と架空の「日本」を報ずる。「これが三菱セクハラ容認の背景だ」と。
 なんともふざけた話だが、これに対して日本政府、新聞は予想どおり何もしなかった。地元のシカゴには日本人の生命財産を保護する総領事館がある。日系企業とてその対象だが、100人もの館員はこの騒動を傍観していた。この騒ぎでは三菱だけでなく日本に対する誹謗中傷もあったが、それを正しもしなかった。
                (略)
 日本の新聞は、例えば『朝日』は50人近い記者が東海岸にいるが、誰ひとり現場には行かなかった。事件の報道は米紙が伝えるのを縦書きに直して、そのまま伝えるだけだった。心情は外交官と同じなのだろうか。
 一方の米メディアはEEOCの発表が少々うさん臭くても面白くて国益にかなう(日系企業からカネを巻き上げる)なら懸命に味方し、従業員デモのようにボロが出そうになれば懸命に取り繕ってもやる。
                (略)
 テキサスで東芝ノートパソコンの欠陥をつく訴訟が起きた。これも阿漕さでは同じだろう。因縁づけでは屈指の弁護士が登場して、彼に頼まれた2人のユーザーが「ディスクドライブが故障する懸念」を裁判所に申し立てた。その時点で東芝パソコンは全世界で1500万台が使われ、米国での市場占有率も年間トップを走っていた。しかし、その種のクレームは1件もなかった。
 東芝の主張に対して弁護士は「絶対に故障はないと言い切れるか」という。「神様じゃないから、そりゃあ壊す目的で一度に多くの負荷をかければ保証は出来ない」と東芝。それみろ、PL法(製造物責任法)にいう「商品」はそれが安全で故障しないという暗黙の保証(implicit warranty)がある。それに東芝は違反している、と。
 裁判地は「外国企業が勝ったことのない」、そして超高額賠償評決を平気で出すことで知られるテキサスだ。裁判制度に不信を抱く東芝は負ければ1兆円(100億ドル)といわれる裁判を11億ドルで和解にした。
 神様でも無理な暗黙の保証が求められるなら、なぜこの弁護士は「墜ちない」といいながらぼたぼた落ちているボーイング社やエアバス社を訴えないのか。ボーイング社を訴えれば米紙はこの弁護士を自国の基幹産業になんで因縁をつけるのかと非難するだろう。
 エアバス社を訴えれば仏大統領が米国の弁護士の阿漕さを罵り、『ル・モンド』はその後進性を嘲笑するだろう。少なくとも東芝に勝てた弁護士でもそんな無謀な訴訟は起こさないと断言できる。
 しかし、東芝の事件では地元のヒューストンの日本総領事館は動かなかった。『日経』など日本の特派員の誰も動かず、ここでもただ米紙の報道をなぞるだけに終始した。まるで日本の外交官もメディアも米国とは等身大で口が利けない香のようにさえ見える。

               (以下略)

 「歪曲報道」(高山正之 著)

         「日本を敵視する日本のメディア」から。
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 米国のやり方を、ただ「せこい話」と切って捨てたいけれど、大なり小なりどこの国もやっています。度外れに極端な、手段を選ばない、理屈が全く通らないという国にばかり目が奪われますが、やっぱり日本だけが特殊なんじゃないか、と思わざるを得ない。
 全ての国は自国を大事に思っている。国益のためならば、あらゆる手練手管を使って戦う。それこそが国を愛することだ、勝つか負けるか、だ、共存共栄なんて夢物語だ、と。
 そんな中で日本人だけが「ヴェニスの商人」をやり込めた論法に何となく釈然としない思いを持ちながら拍手します。「確かにそうだけど、何だか、狡くない?」って。
 そして、総領事館もメディアも動かない。
 

コメント
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