「南京大紀念館」は嘘ばかりで、それを悉く偽物、捏造と看破した本が出版されたけれど、その本の存在を、知ってる人は知っている、程度で、知らない人は全く知らない。
何しろ高額で、そう簡単には現物を手に入れられない。当然、書店に平積みされる、なんてことはない。全ての写真を解析して載せなければならないわけだから、高額になるのは無理もない。一枚でも見逃したら「それ見ろ。これが証拠だ」とまた振り出しに戻されてしまう。
大体が以前のWikipediaには「建設は社会党(勿論、日本)の勧めと援助(資金の全額援助)があった」ということや、「その資金の半分は共産党のものになり、半分以下が建設資金になった」とか、「当時の田辺社会党委員長が中心になって行った」等のことが記載されていたのに、今見ると、その辺りは完全に削除されて「鄧小平と中国共産党委員会」の指示の下で作られたとしか書かれてない。社会党の社の字も、熱心な働きかけがあったことも、なかったことになっている。
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当時の南京には市民は20万人もいなかった。日本軍が入城後は平静に戻り、道端で支那人の床屋に髭をあたってもらっている日本軍兵士の写真などが当時の「朝日新聞」にも載っている。
中国が主張する毎日7000人ずつ「6週間休みなく殺し続けた虐殺」のそのさなかに報道班員としてやってきた作家の石川達三はもちろん、そんな虐殺を見てもいない。
その後に執筆した『武漢作戦』では、そのときの南京の風景をベースにしたこんな下りもある。
野口伍長が一等兵に声をかける。
「ちんばをひいとるな。全快したのか」
「もう二、三日すれば全快します」
「今までどこの病院にいたのだ」
「南京にいました」
「南京は賑やかになっとるか」
「はあ、もうカフェでも何でもあります。ネオンサインがついております」
その南京でガイドについたのが中国共産党の下部機関、南京大虐殺研究会のメンバー・戴国偉で、彼はその目で見てきたように日本軍の「虐殺の模様」を日本語で語り続けた。
話している彼もその荒唐無稽さに気づいているようで、その辺を指摘すると、彼は唖然とした顔つきでこちらを見た。
それはあの米国人の表情と同じだった。
戴某は開き直る。「私はここを訪れた日本の立派なジャーナリストのガイドも務めました。みんな納得しています。疑う声はないのです」
どんな連中かと聞くと、「朝日新聞の本田勝一」に「筑紫哲也」に「久米宏」‥‥。
「日本人の観光客にも話します。話をすると日本人はみな申し訳ないといいます。泣いて謝る人もいます」
米国人の言葉に見せる日本人の反応もこれとそっくりだ。
ただ問題は立派かどうかはともかく本多にしろ、筑紫や久米にしろ、少なくともジャーナリストの端くれにある者が中国人の言い分を検証もしない、調査もしないで、あたかも真実のようにそんな嘘をメディアに流してきたことだ。
彼らだけではない。
東京裁判でウェブというオーストラリア人裁判長が「日本は侵略国家だ」といった。それを受けて『朝日新聞』や『読売新聞』は確かめもしないで、日本を侵略国家ということにしてしまった。『朝日新聞』などは戦後60年以上過ぎた今でも、ウェブの言葉について一切の検証なしに日本は侵略国家だったとして社説を書き続けている。
人々はそうとも知らずに新聞を読み、テレビを見て、そうか日本は侵略国家だったのか、南京ではそんなひどいことをしたのかと思い込んでしまう。
その逆に中国がカンボジアに地雷をまき、今また石油資源のためにスーダンに虐殺を輸出していることは伝えてはくれない。韓国が竹島を不法占拠して、だから国際調停機関にも持ち込めないで、ただ日本がくれてやるというのを待っていることも教えてくれない。
暫く身を置いた学者世界には「メディア・リテラシー」という言葉がある。リテラシーとは識字能力を意味する。新聞やテレビが流す報道。それが信ずるに値するものかどうかを見抜く力とでも訳すか。
本書は日頃の新聞やテレビの報道のどこに落とし穴があるか、どの部分が未検証なのかを探った『Voice』に連載の「メディア閻魔帳」をベースに、日本のジャーナリズムの先天的欠陥について書いた何本かの評論も付け加えた。
ニュース報道に偽物が混ざっていることを知り、その意図を理解する一助になれば幸甚に尽きる。
高山正之
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三回に分けて「まえがき」全文を掲載しました。
で、肝腎の論はこれから始まるのですから、やっぱりこれは何度も転載をすることになると思いますが、これからは部分転載です。
ただの噂でしかないものが、下手すると「常識」という何となく再検討(考え直すこと)を許さない雰囲気に満ちた「知識」、となって社会行動までも規定する。社会は建前で成立するものであるからこそ、その建前(常識)はいつも再検討を繰り返すべきなのですが。