CubとSRと

ただの日記

ポリエステルのシャツを着るな(「一事が万事」に関連して)

2021年10月29日 | 心の持ち様
 以前に書いた日記です。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 鎌倉シャツという会社があるそうですね。
 「カンブリア宮殿」にも出たことのある貞末良雄という人の会社です。
 (見てないんですが。)
 高速道路の照明灯の設計をしていたのが、VANに転職、という相当面白い人みたいで、それが今度は夫婦二人でシャツの製造を始め、今や年間30万着を販売しているとか。

 昨日偶然、氏のコラムを目にすることができ、ちょっと読んだだけなんですが、でも、こんな人こそ理想の日本人というべきなのかもしれないなと思わされました。
 

 ・・・とまあ、こんな風に書き出したんですが、氏のことについて思ったことはまた後ほど、ということで、今回は氏のコラムに寄稿されている出石尚三氏の文の一部を転載します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ~煎じつめて言うなら、どのような気持で会社に行くのか。どのような気持で仕事に相対するのか。

仕事の品質とシャツの品質とは、大いに関係がある。まさにシャツは「男の心意気を示す」ための重要な部分であるのだ。

シャツの品質。シャツの品格。シャツの雄弁性。

しかしそれは難しいことではなくて、とりあえずコットン100%のシャツに袖を通してみることからはじまる。まずはそれからだ。
わずかシャツ1枚のことではあるけれど、人は皆誰でも、ポリエステルのシャツを着ている時と、コットンのシャツを着ている時とでは気分が違う。これはもう論より証拠、一度実際に着てみると、すぐにその違いに気づく。

ポリエステルのシャツに甘んじることは、自分自身に妥協する結果となる。「どうせオレはどこにでもいるフツーの男さ」と考えはじめないとも限らない。これは大いに危険なことであろう。
一方コットンのシャツを着ると、自らを大切に思う心が生まれる。誇りと言って良いかも知れない。誇りを持って働く男と、そうでない男とでは、どちらが仕事の品位、品質、品格を保てるか。これはもう考えるまでもないだろう。

「どうせオレは...」と考えることは、自分自身に対して失礼であり、仕事に対して、会社に対して失礼である。それこそ礼儀を欠くことになる。
そのような諸々の礼儀を欠かないために、「ポリエステルのシャツを着るな」と言いたいのだ。おしゃれ云々としての発言ではない、とお断りした理由はここにある。
いや、おしゃれ以前の、もっと根源的な、礼儀作法と連なることであるからこそ、山口瞳同様、白い目で見られるであろうことを覚悟してまで、申し上げているのである。


  出石尚三のファッション論考
 「人生の品質を高めるために -ポリエステルのシャツを着るな-」よりー

   http://www.shirt.co.jp/clm2/clm2/06.php

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 何とまあ大袈裟な、と思われましたか?

 「ポリエステルのシャツに甘んじることは、自分自身に妥協する結果となる。」
 それは自分の可能性を否定し始めることにつながるかも知れず
 そして
 「これは大いに危険なことであろう。」

 つまり、
 「ポリエステルのシャツで十分と思っていると、大いに危険である。何故なら、ポリエステルのシャツは人間(この場合はサラリーマン、又は勤め人)を駄目にするからである」
 と言っているようなもの。
 いや、そこまで極端なことを言われているわけじゃないんですけどね。ポリエステルが悪いんじゃなくて、「ま、いいか」といういい加減な心持が問題なんだと言われているわけなんですが。

 でも、大袈裟ですか?やっぱり?
 けれど、私は氏の言われる通り、本当にそうだ、その通り!と思います。

 「自分自身に妥協する」
 というのは
 「いくらやったってオレの力はこれがマックス。ないものねだりはしないでくれ」
 ということです。限界を自分で設定している。

 言い方を換えれば、
 「人間の努力なんて高が知れてる。努力したって結果に大した違いはない。各々に天分、才能があって、それを持って生まれていないものは何をやってもダメなんだ」
 と言ってる様なもの。
 そして更に「努力したってしょうがない。才能、ないんだから」
 なんてことにも。

 でも、「自分なりに」、でなく、本当に何か必死になってやったんですかね。
 「才能、なかったんだから」と断言できるほどに。

 「どうせオレは...」と考えることは、
 ①自分自身に対して失礼であり、
 ②仕事に対して失礼であり、
 ③会社に対して失礼である。
 それこそ礼儀を欠くことになる。

 これ、反対の順番で見ると、まずは 
 「オレみたいな者を雇ってる会社なんか」(大したものじゃない)」という考え方は会社に失礼だ。
 「オレみたいな者がやる仕事なんか(大したものじゃない)」という考え方は仕事に失礼だ。
 「オレみたいに能力のない者なんか(大したものじゃない)」という考え方は自分に失礼だ。何故なら本気でやりもしないで自分を評価するという最低なことをしているのだから。
 小(自分)から大(会社)の順で見たらいい加減に見てしまえるけど、会社を先に見るといい加減に見られないでしょう?これは日本人の誇れるところ(蛇足ですけど)。

 会社をバカにし、仕事をバカにし、自分をバカにする。そこから、何が生まれてくるだろうか。
 会社を大事だと思えば、社名に泥を塗るようなことはしない。
 仕事を大事だと思えば、いい加減な取り組みはしない。
 自身の一生は自分だけが、それも一度だけ歩むもの、と思えば、いい加減には過ごせない。
 
 「ポリエステルのシャツを着るな」というのはその心意気の有無を問うているわけです。つまり、「一事が万事」なんだと。

 「礼儀」を欠いてはならない。会社にも仕事にも自分にも。
 ということは、外に対してもそうでなければならない。

 「相手を認める」ということはそういうことです。
 闇雲に受け入れることでもなければ、言いなりになることでもない。
 ましてや服従することなんてあってはならない。
 けど、だから全面否定、ということではない。


 どうも我々は、自らを一顧だにせず、コットン100%のシャツを着ている、と思い込み、その実、ポリエステルのシャツを着て、気づかず毎日を過ごしているような気がする。

 2012.04/17 (Tue)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする