用心していたって事故は起きる。用心していなかったら猶更だ。
万全の体制なんてものを布いていても、想定外のことは起きる。「注意一秒怪我一生」なんてのも大雑把すぎる。
「一瞬」の注意よりもっと短い「一刹那」に、大事故は起こり、完結する。
使い慣れている階段を最後の一段だけ。もう降り切った、次は床だ、と不用意に踏み出す。床がない。僅か二十センチほどの落差でも身体は倒れ込むしかない。6年前のたった一段の転落の話。
転げ落ちたのでも滑り落ちたのでもない、笑い話のようなこと。
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不細工なことをした。真っ暗な中、階段を下りて床に足を着けたつもりが、床がなかった。
空踏みと言うんだろうか。階段一段分、身体が傾き、上から見れば時計回りに半回転しながら転倒(落下?)。
転びながら、何が起こったのかすぐに気が付いたのだが、気付いたってどうしようもない。
「気づいた」の「た」の時にはすっかり仰向けになっていて、背中は廊下にぶつかっていた。
反射的に首をすくめたので、頭は打たなかったものの、首筋に痛みがあった。
取り敢えず、海舟じゃないけれど、すぐには起き上がらず、どこか別なところに痛みはないか、異常はないかと確認して、それから起きる。
僅かに左膝の痛み、左腰の痛みがあるが、首筋ほどではない。
しかし、どういうふうに転んだら下りて来た階段と向き合うのだろう。交通事故の現場検証みたいなことを思った。
振り返ってみると、左足が床に着かなかったためバランスを崩し、身体が傾いたところで、初めて左足先が床に触れたようだ。でも、その時はもう遅かった。
ということで、ゆっくりと左膝が床に当たり、、そのため投げ出されるように左腰がぶつかり、最終的に首筋に力を入れて首をすくめたため、両足を5、60センチ跳ね上げて受け身を取ったような形になったということらしい。
釣竿入れ(実は木刀入れ)と一緒に倒れたものだから随分大きな音がしたんじゃないか。朝が早かったため、近所の人はまだ寝静まっていたのは幸いだった。
それにしても自己嫌悪、だ。こんなことではいつまた転倒して「独居老人 孤独死 階段を踏み外して」なんてことになるか分からない。
これではいけない。「自己嫌悪だ」とか「もうちょっとちゃんと稽古していたら」とか、後悔でグダグダ言ってたってしょうがない。「階段の歩き方教室」なんてないんだから。
即物的だが「個別自衛権」の執行(下りる時、階段の灯りをつける)、をしなかった自分が一番問題なのだ。
「まさか床や階段が攻めて来るわけもない」から、とボケてたら、こうやって自滅するのだ。
これに懲りて
「階段を下りるときは必ず灯りをつける」
、で、万全か?もう攻撃された後で多大なダメージを被っている。
それに、スイッチを入れ忘れることは、また、必ずある。あと数段、というところまで降りて、スイッチを入れに戻る筈がない。それよりも急に足を止めてバランスを崩す方がもっと危険だ。
「注意一秒 怪我一生」、というけれど、ホントのところは、事故は一秒ではなく「一瞬のためらい」で起きるのだから、裏を返せば「一秒の注意」なんか却って危険なのだ。あ、脱線。
階段を下りるときは「最終確認」をすればいい。でも、ともすればやってしまうのが「ミス」なんだ。
それならば、これは他者の存在を意識する方が効果がある。「点検は必ず複数でやる」とか「指差し確認」さらに「指呼確認」が独り暮らしでできないのなら、器具を使え!
というわけで、センサー付き照明具を買うことにした。これなら階段の灯りのスイッチを入れ忘れても最後の一段を瞬時に照らしてくれる。薄明りでも事故は十分に防げる。一種の集団的自衛権。転倒するのを受け止めてはくれないけど、注意はさせてくれる。
というわけで、買ってきた。
道路歩いてて突然探照灯当てられると、なんだか泥棒扱いされたみたいでムッとするけれど、家の暗闇の中で突然明かりがつくわけだから、ハッとするだけで腹は立たない。
ただ、昼間だって関係なく点くわけだから、時には「ああめんどくさい!」と思う。
でも、便利になればなるほど不便も増えるもの。それぞれの合計を秤にかければ後戻りしようとは思わない。
間違いなく危機回避のメリットの方が大きいのだから。
「そんなおおげさなことを。ちょっと用心してりゃ何も起こらないよ。無駄なことに金掛けて。バカなの?」
世間は嗤うだろうけれど、死んでまで笑われたかぁねえや。
国防とはこういうことだ。
「世間からすればただの笑い者」
2016.01/14 (Thu)の日記から
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灯りを点けたら大丈夫?
9条みたいに覚悟を天下に表したからもう安心?