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ただの日記

日露戦争から (奴隷の平和) 1

2022年04月08日 | 心の持ち様
 伊勢正臣という方の小論です。分量が多いので三回に分けて転載しようと思います。

 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6098号
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     2022(令和4年)年 4月5日(火)

■1.「真の平和」と「奴隷の平和」

 産経新聞の三井美奈・パリ支局長が、ポーランド国際問題研究所のロレンツ・ボイチェフ研究員に取材した時のことです。三井支局長が「一刻も 早い停戦を優先すべきではないか」と質問した際に、ボイチェフ研究員は、「何も分かっていない」と言わんばかりに、停戦と「真の平和」の違いを語ってくれたそうです。

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 ロシアに交渉で攻撃停止を求めれば、必ず「それなら、こちらの要求を飲め」と言ってくる。それは、ウクライナにおける親露派の政府樹立だったり、武装解除だったりするだろう。ボイチェフさんは、それは真の平和ではないという。

 第二次世界大戦後、東欧諸国は旧ソ連の支配下に置かれた。「ソ連がすべて正しい」という歴史観を押し付けられ、絶対忠誠を誓う共産主義政党が政権を握った。学校で、子供はロシア語をたたき込まれた。

 ボイチェフさんは「私はその世代です」と言った。戦争をしない代償として、国民はソ連に心まで支配された。[産経R040328]
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 東欧諸国は、ソ連支配のもとで「奴隷の平和」を体験してきました。言 論・思想の自由は奪われ、余計なことを話したら、いつ秘密警察に引っ張 られるか、という恐怖のもとで暮らしていました。

 そんな「奴隷の平和は二度とご免だ」という覚悟が、ウクライナ国民の高い戦意を支え、またすでに200万人を越える難民を必死で受け入れているポーランド人の支援をもたらしているのでしょう。戦後の平和主義にどっぷりと浸かってきた日本国民は、こうした東欧諸国の体験から「真の平和」と「奴隷の平和」の違いを学ばなければなりません。

■2.明治天皇が希求された「真の平和」

 我が国の歴史では、「真の平和」とはどういうものか、を示された格好 の史実があります。日露戦争前のロシアの侵略ぶりは現在と同様でした。 ロシアは義和団の乱に乗じて満洲を武力制圧し、さらには朝鮮半島にまで軍事基地を広げようとしていました。明治政府は5ヶ月もロシアと平和交 渉を続けましたが、のらりくらりの応対の陰で、着々と軍備増強を進める一方でした。

 ここで明治政府は「打捨てて置けば、ロシアはどしどし、満洲を占領 し、朝鮮に侵入し、遂には我が国家までも脅迫するに至る、事茲(ここ)に 至れば、国を賭しても戦うの一途あるのみである、成功・不成功などは眼 中にない」(元老・伊藤博文)との覚悟で、世界一の陸軍大国に戦いを挑 んだのでした。

 日露戦争は、黄色人種国家が白人超大国を倒し、植民地化され、あるいは属国とされていた諸民族に大きな希望を与えた世界史上の偉業でしたが、その陰で明治天皇が示した「真の平和」にも着目する必要があります。

 明治天皇は、開戦前は最後の最後までロシアとの和平を希求されまし た。開戦の最終決定を行う御前会議の早朝、伊藤博文をお召しになり、再度意見を聞かれました。伊藤は「今日は最早断然たる御覚悟をあそばされる時期でございましょう」と奉答しました。

 その御前会議が終わって戻ってこられた明治天皇は、皇后に沈痛の面持 ちで、「いよいよ、ロシアと国交を断絶することに決定した、朕の志でな いが、已むを得ない」と語られました。

 しかし、明治天皇が「奴隷の平和」主義者と異なるのは、「真の平和」 のためには軍備が必要であることを示されていた点です。明治24(1891) 年、日清戦争の3年前、清国は当時世界の最大級の戦艦「定遠」「鎮遠」 以下計6隻を我が国に派遣し、長崎、神戸、横浜、呉と各地に寄港させました。朝鮮半島をめぐって、対立が高まりつつあった日本への威圧です。

 当時の日本の主力艦は「定遠」「鎮遠」の半分以下の排水量しかなく、 軍艦増強が焦眉の急でしたが、国会が政府と対決姿勢をとり、軍艦建造費 の予算が承認されていませんでした。

 この状況を心配された明治天皇は、内廷費の1割、30万円を6年間節約して寄付するとの勅語を出されました。この聖旨に国民各層が感激して、巡査や教師の月給が3円〜5円という時代に、わずか数ヶ月で203 万8千円の寄付が寄せられたのです。この時に建造した軍艦が、日清戦争 で活躍しました。

 この軍艦建造がなかったら、日本は清国に負けて、朝鮮と同様の属国となっていたかも知れません。非武装主義による力の真空は、かえって侵略を呼び込み、その先は「奴隷の平和」なのです。

 (続く) 

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 ただただ「戦争はいけない。戦争するくらいなら酒の瓶抱えて話し合いに行こう」、と言っていた人はさすがにロシアの侵攻以来押し黙ってしまいました。けど、まだ「一方的な情報を鵜呑みにしてはいけない。ロシアの言い分も・・・」などの意見はあります。また「とにかく停戦することが第一だ」と言う意見も。
 この文の冒頭にもある通り、それでは「奴隷の平和が待っているだけだ」と言うのが本当のところ。そして社会主義国は(特にロシアは)約束なんて決して守らない。(・・・なんて書くと、「それならアベは何をやってたんだ!」と足をすくう人がいるけど。)
 何故なら現社会体制をまず破壊するのが社会主義(国)ですから。
 そして社会体制を破壊した暁には社会主義による社会体制を建設する。
 ここまでは比較的容易です。容れ物を作るだけですから。
 けれど問題は中身。中の人間(社会を形成する構成分子)は既に「完成された一個の存在である」と同時に「完成された一個の存在でしかない」。不足は責任追及をされるけど、余剰分や発展向上は期待されないどころか否定すらされる。社会主義の必然です。
 「不足」を途上として許され、余剰や向上を称賛されるような中身ならその辺、折合いが付く。そういう中身は?
 「愛国心、愛国主義」ならうまくいきそうだけど、これは国家体制にも絡んでくることだし、何より理屈そのもの(建前そのもの)の社会主義体制と感情・情緒そのものの愛国主義はうまくなじめない。それですり合わせたら「民族主義」が出て来た。プーチンの民族主義と習近平の漢民族の復興は見事にリンクしている、と言えるのかもしれません。

  

コメント
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