CubとSRと

ただの日記

軍服と平服

2022年04月18日 | 心の持ち様
 軍服は軍人が着るもの。しかし平時には平服を着る。
 民間人は軍服を着てはならない。平時も有事も関係ない。
 軍人は有事には軍服を着なければならない。有事に軍服を着ないで軍事行為を為すことは違法行為、ということになっている。

 「便衣兵」と言う言葉があるが「便衣」というのは「日常の衣服」ということだから、便衣兵は「普段着を着た兵隊」ということになる。
 見た目、兵隊がどうか分からないのに攻撃を仕掛けてくる。攻撃をしといて群衆に紛れ逃げる。卑怯卑劣なやり方だから、ただのテロリストと何ら変わりはない。捕まったら軍法会議にかけられることなく極刑に処せられても文句は言えない。
 南京で二十万いや三十万人虐殺されたと言われている人々は軍服を着ていなかった。だから民間人だったんだと、民間人が虐殺されたんだ、と言う。日本軍は手当たり次第民間人をとらえ虐殺した、と。
 そこまでしたのに、日本軍が南京に入城した後、すぐに人口が二十万人になったのは何故だ。

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社報「靖國」~より ②
2013.11/12 (Tue)

 前回は中條氏の寄稿文の(一)を転載しました。

 靖國神社が廃され、日本は永久に占領されたままで、決して立ち直らせないというのが占領軍の目論見であったけれども、「朝鮮動乱」がそれを覆す神風となった、というのが大まかな内容でした。
 そんな折に発刊された社報「靖國」は、英霊を祀り続けることで日本の独立の心を忘れないようにすることの大切さを伝え、又、教えてくれた、と理解して良いでしょう。

 今回は(二)を転載します。
 ここでの重要な事柄は、「戦争とは何か」「軍人とは何か」を考えることです。
 大方の人は、わざとのように見過ごしていますが、「戦争はイケナイ」「軍人は人殺しだ」との当たり前過ぎる決めつけをする前に、「戦争とは何か」「軍人とは何か」を考えることをしているのか、と問い掛けられているようです。

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 (二)靖國神社の誕生

 ペルーの来航で二百六十年の太平の夢を破られた我が国は、井伊直弼による尊王攘夷派の弾圧や、「戊辰戦争」の犠牲となった「国事殉難者」を祀ることから始まった。
 明治二年六月二十八日の夕刻、戊辰の役の戦歿者(官軍)三五八八人の招魂式が行われたという。
 
 明治七年一月二十三日、近衛歩兵第一聯隊が江戸城跡の現在の北の丸公園・日本武道館の近くでスタートした。我が国創軍の日である。
 その日に明治天皇は聯隊長を皇居に召され、軍旗一旈(リュウ)を親しく授けられた。
 その四日後、明治天皇は東京招魂社に親しく行幸され「我が國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉がき」と御製を詠まれ、そのご宸筆は、今靖國神社の本殿内の真正面に掲げられている。
 明治天皇からは、このほか本殿の大鏡や釣灯籠一対を賜っている。

 国家の安全保障の任に当たる「軍隊」は相手国を撃破する実力集団だけに常に国家転覆の可能性を持つ危険集団でもある。
 従って明治天皇はこの創軍に当り「軍人ニ賜リタル勅語(通称軍人勅諭と呼んでいた)で「我国ノ軍隊ハ世々天皇ノ統率シ給フ所ニゾアル」と御親政を宣言された。
 従って陸軍の行事には陸軍の、海軍の時は海軍の大元帥陛下の軍服を召されておられたのである。

 そもそも人類は、古代ローマの「カルタゴの戦い」で見る如く戦争を繰り返してきた。どれだけ多くの人間がその犠牲になったか判らない。
 昭和三年、アメリカのケロッグ国務長官、フランスのブリアン外相が平和への提案を試みた。歴史は「ケロッグ・ブリアン協定」とも「不戦条約」とも呼び、世界の多数の国々の合意を得て現在も生きている法律である。
 この二人も国家の役割を①領土②国民の生命③国民の財産とし、これが侵される時は「自衛の戦争」を認めている。
 だから『戦争論』のクラウゼヴィッツは「戦争は形を変えた政治の延長」と説いているのだ。

 人類にとって戦争程残酷なものはない。
 通常の国々では殺人を犯せば無期懲役か死刑となる程の重い罪を科すのに、戦いが始まるや一刻も早く敵を殺せ、遅れをとったらお前が殺されるという残酷な場なのである。
 従ってこの理(ことわり)を弁えた近代国家は、いさゝかも戦争など賛美するのではなく、自国が敵に侵された時は、国民自らが命を懸けて自国を守る気概で生き抜いているのが常識なのである。

 その戦う時、国家、国民の命を守る役割の人を「軍人」と呼ぶ。
 その軍人も人の子であり、親でもあり、妻持つ身でもある。国家が敵に襲われ、戦雲急を告げれば、妻子や恋人と袂(たもと)を分かち死の迫る前線に赴かねばならない。
 「軍人」とは極めつけの悲しく切ない職分であり、極めつけの重い役割なのである。
 人殺しでもある戦争が一端起こると、その惨禍が市民に及ばないよう「軍人」には戦場での軍服着用を国際法は義務づけてある。戦場で一刻も早く殺せという課題は、飽く迄、軍服を着た「軍人」に対してのみ適用する論理であり、戦争で背広の市民を撃ったらその罪は極めて重い。

 先の大戦では、各地の前線でB・C級戦犯に問われ、ろくな裁判も受けられず非業な死刑を命ぜられた犠牲者の多くは、この国際法を適用されたものである。
 だからこそ全ての近代国家は「軍人」に最高の栄誉を与え、(叙勲制度なども主たる対象は「軍人」であった)ましてや戦死者に対しては国を挙げて手篤く弔うのである。
 世の教えに「ノーブレス・オブリッジ」つまり「地位高き者には聖なる義務あり」とある。
 英国のウィリアム王子も空軍に所属されており、戦前の我が国でも昭和天皇の弟君、秩父宮・三笠宮は陸軍士官学校、高松宮は海軍兵学校に進まれ軍役を果たされたのは、「軍人」を一命をなげ打って国家の安全保障に当る「聖なる職」とご確認を重ねられた尊い歴史の教訓である。
 従って憲法上「軍」と認めていない自衛隊でも、「英霊の鎮魂顕彰はすぐれて国防問題であり、防衛基盤の柱石となし」、一旦緩急あるときには全隊員に「事に臨んでは危険を顧みず、責務の完遂に努める」と服務宣誓をしているのである。
 現今の国会議員の中でも、口に安全保障を論じながら、靖國の英霊を祀る国家的意義が理解出来ていない者が多すぎる。
 このまゝで軍を作れば、ローマが辿ったように傭兵に移らざるを得まい。
 傭兵は報酬には忠実であるが、敵が襲ってきたら市民を捨て、逃げることを歴史は教えている。

                   (ここまでが第二章です)
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 いきなりですが、我が国の近代国家としての歩みは
 《「国事殉難者」を祀ることから始まった。》
 とあります。
 「国難に殉じた人々を祀る」ことが近代国家日本の始まりだ、と。
 「そういえば・・・」と思います。

 何となく始めた(始まった)ことに、或る日、気が付く。
 その時に人は「ま、いっか」と言うか。
 それとも「えっと・・・いつからだったっけ?」と考えるか。
 その時に「ま、いっか」と言った人も、実は以降何度もそれを思うようになるんですね、普通。

 「始まりをはっきりさせる」という事は、言い方を変えれば「立ち位置」「スタンス」を明らかにしよう、つまり考え方をはっきりさせようとすることです。それで今後の道を拓こうとする。指針を決める。

 日本は《「国事殉難者」を祀ること》で、これから「国民が国を支える」、という国の在り方を採用する、という事を宣言した、ということです。
 これは「天壌無窮の神勅」を言挙げすることで、日本の国の始めを明らかにしたことと同じです。
 何事も「何となく」、では発展はない。何となく始まっても途中で冷静に振り返り、来し方を凝視し、「今」とつないで理想の未来像を描き、ということを繰り返さなければ、「何となく」消滅してしまう。

 招魂社の設立は近代国家日本設立の具体的行動の一つ、ということになります。これが国家神道という事もできるでしょう。やはり「宗教」という枠で考えるべきものではないと思います。


 さて、「国事殉難」。国事、国難に殉じた者。
 「国難」は何者かによる侵攻がその主なものだから、国難とは、まあ、戦争が全て、と言っても良いでしょう。
 「国民が国を支える」のだから、侵攻に対し、それを阻むものは「国民」である「軍人」。
 文中にあるように、だから、「軍人」とは国民の一つの「役割」と考えると、国民でありながら一般国民には絶対にさせられない仕事を行うために「軍服」を着用しなければならない。相手国側も同じです。

 「一般国民には絶対にさせられない仕事」
 というのは、
 国を護るために「他人を殺傷し」
 国を護るために「他人に殺傷される」
 ことです。
 自分のために、ではない。飽く迄も、「他(国・国民)」のため、です。

 だから、軍服を着る。
 だから「便衣兵」というのは決して許されない。
 それは国と国、人と人、社会と社会の対立ではなく、全面的に相手を否定するやり方だからです。
 相手の社会を否定する、その存在を全く認めないやり方だからです。

 戦争は相手を人と認めるからこそのものです。その究極が「軍服」の着用です。
 しかし相手を人と認めない、だから「殲滅」させる、そのためには手段を選ばない、便衣兵だって条約破棄だって何だって使う。そういう国が新しく立てる世界秩序とはどんなものか。ここから見えてきます。
 
 社会主義革命はそれまでの社会を否定し、便衣兵は相手を人と認めない。

 これ、今に始まったことでしょうか。
 ありますよね、他の社会を否定し、
 「人間というのは我々だけだ。周囲に居るものは人間もどきだ、虫以下だ。」
 と言い切る、「中華思想」というのが。

コメント
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