CubとSRと

ただの日記

こんな日記を書いていた(制服について)

2022年04月10日 | 心の持ち様
 学校に制服があるのは何故か。
 そのことについて以前どこかに書いていたんだけど、と思って探していたら。
 東日本大震災時、当時の民主党政権下の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「でも、防災服は作るぞ!」
              2011.04/02 (Sat)

「防災服」という名の作業服を新調するという。
 一着5000円で、ということで、予算は八百二十万足らず。胸だか上腕だか知らん、民主党というロゴと、あの、海に沈む日の海面に映ったマークが入るらしい。紺ということで、海上保安庁や海自と一緒みたいだ。

 一着5000円というのは、今時にしては随分安い。なかなか経済観念が発達している。やっぱり、安く上げるということで、made in chinaなんだろう。

 う~ん。これが「形から入る」ということなんだろうか?

 剣道や柔道では「稽古着」というところ、最近は武術よりエライ「武道」だから、なのか、「どうぎ」という言い方が一般的になっているらしい。「道着」だろう。
 「胴着」は「チョッキ」「ベスト」のことだから、違うだろう。闘牛士やビリヤードの選手ならぴったりだが。

 どうもピンと来ないけれども、まあ、合気道などやっている人が「袴を着けるとピシッとする」なんて言ってたからその心持ちは何となく分からんでもない。そんなものなのかもしれない。
 
 自分のところが、「平服で行う」ことになっているから、そういう「ピシッとする」みたいなのに、やっかみがあるのかもしれない。
 「戦いはいきなり起こる。着替えるまで待ってはくれない。」
 分かりやすい説明だが、本当のところは「心積もりは平時から造らねばならない」ということだろう。

 戻って。
 作業服、じゃない、防災服を着ると「ピシッとする」のかもしれない。
 ただやはり、この「(民主党らしく)形から入る」という表現には、正直、違和感がある。武術の「心積もりをつくる」のとは、些か様子が違う。
 確かに今度の復興対策として、民主党は「まず、組織から」とばかりに、何だか一杯委員会をつくったらしい。
 で、形は立派にできた。節電担当とか、ボランティア担当、なんてのまでつくった。けど節電担当は都知事にお願いに行って、15分の予定が都知事を怒らせて5分で切り上げられ、ボランティア担当に至っては姿さえ見えない。
 結局、会議、会議になってしまい、みんな身軽に動けない、という。

 勿論、中心になるのは内閣。そして統括は総理大臣。
 実際に手足となって動くのは、担当省庁の職員だったり、ボランティアだったりするわけだ。手足を動かすには優秀で行き届いた気配りのできる頭脳が必要なわけで、そのために委員会を、という気持ちも分かる。
 けど、「船頭多くして 船 山に登る」のことわざもある。
 更には、その「優秀な頭脳」は、全て民主党員でなければならないらしい。(外部の優秀な頭脳は、参考書。)
 なぜかと言うと、「政治主導」。そして正確には「与党主導」。当然のこと。
 挙国一致体制ではないのだから「政治主導=民主党主導」。「役人は手足」の考えは動かない。

 で、「防災服って何だ?」ということなんだけど。
 何か、他の作業服とは異なった装備でもあるんだろうか。もしかして、「民主党」という文字と、あの沈む日のマークがついているだけ?誰にも似合うと言われる、紺色というだけ?
 本当にそれだけなんだろうか。何か特別な物がありそう。と言うより、わざわざ作るんだから、あってほしいんだけど。

 「形から入る」
 みんなが防災服と称する「作業服」を一斉に着て、震災対策に取り組む。
 しかし、その防災服というのは名前以外、取り立てて特殊な機能を持たせてあるわけではない。
 ということは、「形から入る」というのは、「同じ服を着たら、その気になる(ぴしっとする)」ということだけか。

 新入生は、その学校の制服を着る。着なければならない。
 それは当たり前だ。
 その学校の校風や、精神が好きで入学したけれど、まだ、何もかもがよく分からないから、せめて「その学校の真似できること」から始める。
 その点、制服は格好の練習法なわけだ。これは頷ける。
 表現は違うけれど、「悪いことはすぐ習う」「悪いところばかり習う」と以前に書いたのと、同じ理屈だ。

 では、防災服は?
 「防災の精神も何もかも、まだ分からないから、せめて災害対策用の服を着て~」。
 無理がある。既に震災は起こっている。
 生死の境の綱渡りを強いられている人々は、それが三週間続いている。防災服で今更何を学ぶのだ。各省庁の作業服で良いではないか。

 百歩譲って、作るとしても党名やマークを入れるくらいなら、昔のオリックスの「がんばろう神戸」のように、「がんばろう日本」と入れて上腕にも日の丸をつけたら良いではないか。
 いや、それ以前に、全国会議員に配れば良いではないか。

 もう一つ、気に入らないのは首相を筆頭に作業服で閣僚が国会に出ていたことだ。
 緊急事態が発生しているのだから、とるものもとりあえず、で、作業服、という理屈なんだろうが、なら、防衛大臣は自衛隊の野戦服を着るべし。
 指揮権は首相にあるのだから、首相も野戦服を着れば良い。

 国会というのは国政に関して意見をたたかわせるところだ。
 ならば、裁判官が法廷服を着るように、フロックコートではなくとも、背広、或いは紋付羽織に袴で出席するのが当たり前だ。それこそが「形から入る」ということだ。
 威儀を正してこそ、国政についての論議が成る。

 なんてことを、またごちゃごちゃと思っていたら、4月1日から、また背広で登院なんだそうだ。
 その理由は
 「具体的な復興策に取り組む時期に入ったから」
 、だと。
 汗と泥にまみれての作業服の時期は、終わったということらしい。



 ・・・・・・・・・やっぱり、よく分からん。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日露戦争から (奴隷の平和) 3

2022年04月10日 | 心の持ち様
 伊勢正臣という方の小論です。最終(三回目)の転載です。


 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6098号
□■■□──────────────────────────□■■□
    
     2022(令和4年)年 4月5日(火)
   
 国柄探訪: 奴隷の平和か、大御宝の平和か:伊勢雅臣

■6.駐日ロシア公使夫妻の感激
「真の平和」を希求する人は、いざ戦いになったら雄々しく立ち上がりますが、それは相手を憎んでのことではありません。そのことを、駐日ロシア公使だったローマン・ローゼン夫妻が東京から引き揚げる際の体験から語っています。
__________
 欧洲大戦の時には、べルリンのイギリス大使館には石を投げられ、暴民は鬨(とき)の声を挙げて押し寄せた。また同じベルリンを引揚げるロシア大使は途中ある停車場では暴民等に罵言をあびせられ、唾を吐きかけられる等、あらゆる暴力を加えられた。文明国と称する国といえども、いよいよ戦争となると敵愾心(てきがいしん)の高潮する結果、国民の間にこのような野蛮性が往々にして現われてくるのである。

 然るに日露開戦の際にはどうであったか。我が国民の憤慨は、多年ロシアの圧迫政策に対して極度に達し、国民の敵愾心はいやが上にも高潮していた。
 だが、敵国公使がいよいよ東京を引揚げるという際には、あらゆる好意が彼らに寄せられたのである。[渡辺、p156]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 伊藤博文は、元老の立場上、公然とローゼン公使と会うわけにもいかなかったので、ベルギー公使に託して丁重な告別の辞を届けました。公使と親交のあった榎本武揚公爵は病身を推して別れの挨拶に来て公使を感激させました。

 最もローゼン公使夫妻を感激させたのは、皇后が女官を通じて、餞別の品として銀製の花瓶を贈られ、それに添えて次のお言葉を賜ったことでし た。
現代語訳のみ掲げます
「今回不幸にして両国の和親が破れるに至ったので、公然と送別することが 出来ないのは、まことに残念ですが、夫人とは多年懇親を重ねてきたので、女性の情として今、見過ごすことはできません。ここに侍臣を通じて送別の辞をお送りします。両国の国交が旧に服する際には、再び夫人が東京に来られんことを切望します。」[渡辺、p156]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ローゼン公使夫人は、皇后の温情に感極まって、涙を流しました。


■7.「奴隷の平和」か「大御宝の平和」か
 明治天皇は開戦の前に、次の有名な御製を詠まれています

 四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
 (世界の海 がみな同胞だと思っている世の中で、なぜ波風が立ち騒ぐのだろうか)

 しかし、明治天皇はどこから、このような理想を得られたのでしょうか? そのヒントは明治元年、明治天皇の即位のまさにその年に発せられた五カ条のご誓文とともに、国民に出されたお手紙の中にあります。
「天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば」(国内のすべての人々が、たった一人でも、その人にふさわしくない場所に置かれているようであれば、それは皆私の罪です)という一節です。

 国家という共同体の中で、国民一人ひとりが様々な個性や能力の違いはあっても、それぞれが「処を得て」互いに力を合わせていく、それが一人ひとりの幸福への道であり、また共同体全体の平和と繁栄の道である、という「大御宝」の理想です。

 これを国際社会に広げて考えれば、多くの国が、大小、貧富、文化の多様性はあっても、それぞれの国が「処を得て」、善隣関係を結び、助け合っていく。それが国際社会の理想だという考え方に通じます。

 この「大御宝の平和」をよく理解してこそ、「奴隷の平和」を拒否して必死に戦うウクライナ国民、数百万人の難民も積極的に受け入れるポーランドなど東欧諸国の奮闘にも共感できるのです。
 戦闘さえなければ「平 和」だという考え違いによって、我々の子孫にかつての東欧の人々を苦しめた「奴隷の平和」をもたらしてはならないのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする