CubとSRと

ただの日記

土筆

2022年04月25日 | 日々の暮らし
 4月5日の続き

 両岸の桜並木は延々と続いている。さほど大きくない川の両岸だから、この木々がもっと大きく育ったら川面が半分近く隠れてしまって、さぞかし風情のある景色になるだろう。

 1キロ前後続いているんだろうか、と思ってネットで見たら、なんと3キロも続いているんだとか。これの大半を僅か2年で植えてしまった住民の熱意に頭が下がる。前回書いたように、何の儲けにもならないのに。
 そして本来なら田植え前の人気のない田圃が広がるばかりの景色を、歌の如くに霞か雲のような桜色が覆って、その花の下には楽しそうな人々の姿が見える。

 SRでそこらを一周した後、近くの道の駅に向かう。
 予定通り弁当も何も持たない手ぶらで来たので、何か珍しい野菜でもあれば買って帰ろうと思っていた。
 初めて土筆が売られてあるのを見た。こんなものを売っているのか。

 中学か高校の頃だったろうか、家で土筆の佃煮の話が出て、「美味いけれども下準備が大変で、」と母が言っていたことを覚えている。何でもあの「はかま」と言われる部分は食べられないので取らなきゃならない。そいつがチマチマやらなきゃならないので面倒な上に、灰汁で指先が黒くなる、のだそうだ。
 食い意地が張っているので、それでも一度は食べてみたいと思っていたけど、土筆の採れる時期は短い。大量に採るとなるとそのために出掛けなきゃならない。時機を逸してしまっていたので、それは話だけで立ち消え。
 食い意地は張っているものの、忘れっぽいものだから遂にそのまま成人した。

 そういうわけで土筆の佃煮の存在は知ってはいたが実物を食べたことも見たこともなかった。

 就職して十数年経った頃。
 転勤先の職場で注文した弁当に見たこともないおかずが入っていた。
 「何だこれ?」と思ってよく見たら、もしかしてこれは土筆?
 周囲の人に聞いたら、そうだとの返事。自分だけが知らなかった。
 土筆の佃煮を初めて見た。出入りの弁当業者が春になると時々入れてくれるらしかった。

 それが売られてあった。「佃煮」は売ってないか、と思ったけれど、残念ながら、ない。
 春になって土筆の佃煮の入った弁当を見た時のあの心の和む感じ。
 甘辛く煮てあって、何度か噛むと少し苦みが感じられる。久し振りに食べてみたい。
 弁当のおかずの一品だったから、量も少なかったし、何よりも「酒の肴にしたらいいだろうな」と、いくら思っても、そんなものはそこらには売ってない。

 そして勤務地が変わったことで、以降は全く口にする機会がなくなって四半世紀近くになる。
 その土筆が摘みに行く手間を飛ばして、数十本入りのパックになって眼前にある。酒の肴にしたい。でも、自分で調理しなけりゃならない。めんどくさい。でも食べたい。
 結局食い意地の方が「勝利した」。
 一パックだけ買って帰った。高菜も少し買う。

 さて、どうなるか。
 

 
コメント
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