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ただの日記

日露戦争から (奴隷の平和) 2

2022年04月09日 | 心の持ち様
 伊勢正臣という方の小論です。分量が多いので三回に分けて転載しようと思います。

 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6098号
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     2022(令和4年)年 4月5日(火)

   
 国柄探訪: 奴隷の平和か、大御宝の平和か:伊勢雅臣


           進軍の道すがら   陸軍少将 中村寛
 道すがら あた(敵)の屍(かばね)に野の花を 一もと折りて手向けつるかな(通り道に横たわっている敵兵の屍に、野の花を 一本折って手向けた)

 
■3.ロシアは「帝国の友邦」に戻った

 明治天皇が希求された「真の平和」の姿は、日露戦争後に見ることがで きます。明治38年10月16日に発せられた「日露講和成立の詔」には 次のような一節があります

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 わが方から提議した諸条件中、はじめから交戦の目的であった韓国の保全 と、東洋の平和に必要なロシア軍の満洲撤兵とは、ロシア側においてわが要求に応じ、それによって和平を望む誠意のほどを明かにしたのである・・

 ここに、平和と栄光とを二つながら獲得し、・・・また、行く末永く列国 とともに世界平和の恩恵にひたりたく思う。いまや、ロシアもまた戦前におけるわが方との旧交をあたためて帝国の友邦にもどった。それならば、 善隣の親交を回復してさらにますますこれを増進することを考直せねばならぬ。[正論]

 「平和と栄光とを二つながら獲得し」の「栄光」とは、戦争に勝った栄光 ではなく、独立国としての栄光でしょう。「交戦の目的であった韓国の保 全」と「東洋の平和に必要なロシア軍の満洲撤兵」を達成して、ようやく 「真の平和」が到来したのです。

 そして、ロシアが「帝国の友邦」に戻ったので「善隣の親交」をますま す増進せねばならない、と言われます。弱者が強者にひれ伏す「奴隷の平 和」ではなく、互いが独立国として「善隣の親交」を進めるのが「真の平和」なのです

■4.「速やかに平和を回復できました」

 明治天皇の希求される「真の平和」は、同年11月17日に伊勢の神宮をご参拝された際の「平和回復の奉告」にも現れています。次のような内容だったと伝えられています
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皇大神宮の大前に申し上げます。さきにロシア国と開戦になりましてから、陸海軍の軍人たちは身をかえりみず陸に海にと勇敢に敵にいどみ、事態を平穏に解決いたしました。このように速やかに平和を回復できましたことは、大神の広く大きなご神威によるものと思いますゆえ、そのことを奉告しようと今日ここに参拝いたしました。
どうかこれからも、皇室をはじめ日本国民はもちろんのこと、世界各国の 人々を末永くお守り下さい。[明治神宮]
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 ここには「戦勝」の文字はありません。「平和を回復」できたことを、 天照大神の神威のお陰と感謝しているのです。そして「世界各国の人々」 をも「末永くお守りください」と祈られています。これが「真の平和」なのです。

 現代日本の歴史教科書では、与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」 を引用して、反戦の声を紹介しているものがありますが、我々の先人たちが日露戦争を戦わなかったら、我々は間違いなく「奴隷の平和」に陥ったでしょう。かつてソ連に支配された東欧諸国のように。


■5.敵将兵への思いやり

 明治天皇の「真の平和」への祈りは、ロシアの将兵にも及んだ仁慈にも現れています。次のような逸話が伝えられています。
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侍従武官長岡沢精の語るところによれば、明治天皇は戦争の報告を受けられる時に我が軍の損害は、この度は甚だ僅少でございましたと奏上すると、御心から安堵の態であるが、更に反対に敵軍の死傷は多数でございましたと奏上すると、竜顔(天皇のお顔)は忽(たちま)ち曇って、御心痛のさまをありあり、と拝したということである。皇后が、負傷の帝国軍人等に下賜された義眼・義肢を、捕虜として収容した敵国兵士へも、下賜せよとの御沙汰があったのは、これ等の思召を体せられてのことである。[渡辺、p157]
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 明治天皇の敵将兵へのお心は、次の御製(天皇のお歌)にも窺うことがで きます。
 国のためあだ(仇)なす仇はくだくともいつくしむべき事な忘れそ 
(自国 に仇(あだ)をなす敵は打ち砕くべきだが、慈しむことも忘れては ならない)

 この天皇の御心を体した将兵は、以下の歌を詠んでいます。
 進軍の道すがら(陸軍少将 中村寛)
 道すがらあた(敵)の屍(かばね)に野の花を一もと折りて手向けつるかな
(通り道に横たわっている敵兵の屍に、野の花を 一本折って手向けた)

 武士道精神の発露です。このような美しい武士道精神で世界を驚かせたのが、旅順攻略の後の乃木将軍とステッセル司令官との会談でした。この時も、明治天皇の「武士としての面目を保たしむべし」とのご指示で、ロ シア軍の高官たちは勲章と軍刀の正装姿で、乃木将軍以下と並んだ記念写真をとっています。[JOG(783)]

 戦い終われば、勝つも負けるも「武士は相身互(あいみたが)い」、恨みを残さずに互いの健闘を讃え合う。武士道が目指したのも「真の平和」 だったのです。

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 「強いから勝った。勝ったのだからその喜びを爆発させるのは当然のこと」。
 こういう考え。対して
 「鍛錬に努めた結果、今回は勝てた。しかし彼の鍛錬も本物だったから苦戦を強いられた。彼の強さを認め、讃えよう」
 という考え。

 「何をセンチメンタルな、そんな甘い考え方じゃ次回は負ける。相手を虫けらの如く踏みにじるべきだ」と言い切る国もある。
 しかし、それって「俺らは虫けらを踏み潰すくらい強い!」と言ってることにしかならないんだけど。虫けらを踏み潰す、って自慢するようなことか??
コメント
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