3月30日(水)
今日は5月半ば過ぎの気温だったとかで、なるほど暑かったわけだ。
朝6時半、目覚ましのCDがかかる前には起きていた。実際には6時前からストレッチを始めていたような。いや、それは血圧測定か。
とにかく8時前には朝食を摂り、それから眠くなったら寝たら良い、と思いながら。
何しろ昨日は1時前には寝ている。
御飯を食べ、後片付けをしても9時半。これはうまく時間が使えている。
・・・・と思ったけれど、着替えて出たのは1時近く。一体何をしていたんだろう。
檀那寺の護寺会費というやつを振り込みに行く。
郵便法の改正で手数料がいるようになったんじゃないかな、と走り出してから不意に思い出す。車で出ているから取り敢えずそのまま局へ。今日はホイールを擦らないように慎重に停める。
窓口でそれを言うと、やっぱりそのようで、手数料が110円かかるという。通帳から引き出す形で機械を使えば無料。やっぱり。
通帳を持って出れば良かったのだが、今さら遅い。クルマだから取りに帰れば、とも思ったが110円のためにもう一度出直す、という気にはならない。
何だか味気ないような妙な気がする。折角の人と言葉を交わす機会が110円のためになくなる。逆に「会話料が110円」?アイドルとの握手会みたいなもんか?
この妙な感じはこれまでにも経験したことがあるようだが、と思い出してみようとする。
ひとつ思い出したのは、CDが出始め、「レコード店」と言いながら「CD店」ばかりになっていった時のことか。
ノイズがなくなって鮮明な音質になって、更には高い金出して頻繁にレコード針を交換しなくても良くなった。良いことづくめだった筈だが、何か釈然としないものを感じていた。何かが物足りない。原因はノイズの中にあった。日常生活なら必ず存在する筈の高周波の雑音がCDでは再生されない。
雑音を雑音として切り捨てることで完璧に近いものになったCDの再生音を、少なからぬ人々が「何かが足りない」と感じる。結果、CDに雑音の中から耳障りではない高周波の一部を加えることにしたという。それでも当然のことながら、生演奏の熱気までは加えることは出来ない。レコードなら、熱気を加えることは出来ないが雑音の中に熱気を想像するきっかけは潜んでいる。
毎月の給与を現金の入った給料袋で渡されるのと、振込明細の入っただけの給料袋を渡されることの違いみたいなのも。
どんどん話がずれていっているような気がする・・・・。