《問題にしたのは、実は日本メディアなのである。朝日新聞を筆頭に左翼メディアが、靖國神社への首相参拝を政教分離や歴史認識などを理由に問題視した。そして卑劣にも中国に「御注進」する。ここで中国は「靖國」が外交カードとして使えることを自覚する。それに韓国が悪乗りした。 》
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最後です。
中曽根首相は、これを最後に首相在任中の参拝を止めてしまった。中曽根首相は「靖國参拝により中国共産党内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出てはまずいと考えた」と述べているが、中国、韓国の圧力に屈し、両国に外交カードを提供した罪は重い。
中国研究専門家のペンシルベニア大学名誉教授のアーサー・ウォルドロン氏はこの動きを鋭く見抜いていた。彼は語る。
「中国共産党にとっては真の狙いは、日本の指導者に靖國参拝を止めさせることよりも、日本の指導者全体を叱責し、調教することなのだ。自国の要求を日本に受け入れさせることが長期の戦略目標なのだ」
日本政府は愚かにも、靖國参拝さえ止めれば中国、韓国の難癖は終わると判断した。中韓両国にとって靖國は重要な外交カードにすぎないのだから、終わるはずもない。
教授はこうも述べる。
「靖國は大きな将棋の駒にすぎず、日本がそこで譲歩すれば、後に別の対日要求が出てくる。最終目標は中国が日本に対し覇権的な地歩を固めることなのだ」と。残念ながら教授の予言は見事に的中した。
南カリフォルニア大学のダニエル・リンチ教授も述べている。
「中国は近代の新アジア朝貢システムで日本の象徴的な土下座を求めている。アジアでの覇権を争いうる唯一のライバル日本を永遠に不道徳な国としてレッテルを貼っておこうとしている」
中曽根首相の譲歩は、中国の思う壺だった。
昭和二十年、日本を占領したGHQは、靖國神社を焼き払いドッグレース場を建設しようとした。この時、靖國神社を護ったのは、ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッター神父であった。彼はマッカーサーに対し次のように語っている。
「いかなる国家も、国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務がある。それは戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」「我々は、信仰の自由が完全に認められ、いかなる宗教を信仰する者であろうと、国家のために死んだものは、すべて靖國神社にその霊が祀られるよう、進言するものである」
この進言により靖國神社は焼き払いを免れた。日本人がこれを理解していないのは恥ずかしい限りだ。
父が最後の参拝で漏らした一言、「何で靖國参拝に反対するんじゃろうのう」との一言ほど重いものはない。
靖國参拝反対はメディアが作り上げた茶番である。このまま茶番が続けば、確実に日本人の精神は荒廃し、時間が経てば経つほど、日本人のモラルは低下し、国家意識は溶解していく。
「国のために命を亡くした英霊をお参りするのは当たり前の事。外国が口を差し挟むことではない」という世界の常識に回帰することだ。
指導者が腹を決め、毅然かつ粛々と靖國参拝を行えば、外交カードの効力は消失する。効力がなくなれば、反発は一人芝居に終わる。そのためには日本人自身が正気に立ち返り、メディアの茶番に〝No〟を突き付けることだ。
祖国と家族を護るため、命を懸けた父祖達に感謝の誠を捧げ、追悼するのは国民の責務なのである。靖國神社を去る時、父が言った一言が胸に突き刺さる。「国を護るために戦死した人たちを決して忘れちゃあいけんよ」
(転載了)
社報「靖國」令和4年3月号掲載
「靖國神社と父」 織田邦男(航空自衛隊 元空将)
より
「靖國神社と父」 織田邦男(航空自衛隊 元空将)
より
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「政教分離」とか「歴史認識が云々」というのは当時随分喧しく叫ばれました。
卑近な例でいえば、政教分離に関しては「政治と宗教は分けなければならない。何故なら特定の宗教が政治を行えば、その宗教ばかりが優遇されることになり、『民主主義』の本意から外れるからだ」とか。
なので、創価学会が立てた公明党は政教分離を実行するために「創価学会イコール公明党ではない」と随分苦しんで説明していましたが、何といっても巨大な団体でしたから、信徒数=票みたいなものでした。
勿論「政教分離」は「あの」神道指令を基にした考えですから、「神道=皇室=日本」というこれまでの国のあり方を解体するために新たに設定されたものです。西欧には、こんな喧しいものはない。つまり、戦後処理のためのものと言えます。
「歴史認識云々」は「A級戦犯が合祀されているところに国家の代表が参拝に行くということは敗戦を認めないということだ」と。
「A級」というのは上下の段階(A=最悪)を表すのではなく、単に分類(A項B項~という区分)を示しているだけです。それを説明しない。
更にはA分類はこれまでの戦争にはなかった概念から新しく設定された罪である(ほとんどこじつけのような形)、ということ。「事後法」という奴です。
「A級」というのが恰も戦争犯罪の中で最も重いものであるかのように誤認させようとするかのような胡散臭さ満載の考え方です。