CubとSRと

ただの日記

「屠殺」と「虐殺」

2022年06月19日 | 重箱の隅
 2020年06月02日 の日記より

 「孔子学院」。
 何でも、シナ、国の肝煎りで世界中に聖人「孔子」の名を冠した学校をつくって、四千年の歴史を正しく伝えるとか何とか。
 もう随分学校がつくられているんだそうですね。
 ただ、不思議なことに、「儒学」を広める、というわけではないらしい。
 一番よく知られた名前だから、ということで、「冠詞」扱いみたいです。

 つまり、「孔子」というのは「カンフー」とか「マーボドーフ」とあまり扱いが変わらないみたいなんです。
 そりゃ、「カンフー学院」とか「マーボドーフ大学」はないでしょう、変ですから。
 でも・・・・・ねえ。
 「あんたたちゃ、節操がないのか!」と思います。(ない・・・・か。)

 大体、大昔、「焚書坑儒」なんて、儒学関連の書物を焼き捨て、儒学者を生き埋めにして「屠殺」した過去を持ってるんです。一度ならず、二度三度。もっと?

 「南京大虐殺」事件を、「南京大屠殺」と言っている。
 確かに、「南京大屠殺」はあったんだそうですね、何度か。
 だから、日本人が「南京大虐殺はなかった」、といくら言っても「いや、南京大屠殺は、あった。間違いない」と、反論される。
 日本には関係のない「大屠殺」なんだけど。それ(南京大屠殺)なら、何度も「あった」。

 南京が首都だった時、同じ漢民族同士で、あったんだそうです。太平天国の時なんかはひどかったらしい。革命政府、ですからね、言ってみれば。樹立する時も、平定される時も、酸鼻を極めるような状景が展開されたようです。皆殺しに近いことをする。
          (略)
 「南京(で)大屠殺はあった」、とだけ言う。そうでしょう。革命なんですから。
 「政権を倒す」と言うのは、文字通りの革命、「命を革(た)つ」ことでもあります。降参したら、普通、奴隷にされます。ギリシャ、ローマの昔からそうです。
 しかし、奴隷じゃなくて食糧にされる事もある。(うう、とんでもないところへ行こうとしている・・・。)
 
 「屠殺はあった」。それだけ言う。事実だ。
 「誰がやった」と聞くと、初めて「日本軍がやった」、と言い切る。
 この辺を以って、「したたか」という表現をすべきでしょう。
 したたか=平気で嘘をつく、です。


 註 
「虐殺」は文字通り「虐げ」殺す、或いは「虐め」殺す、と日本では捉えられています。単純に「これは酷い!」となります。
 対して「屠殺」は単に「屠(ほふ)る」。つまり、ただ「殺す」というだけではなく、その後の処置まで想像させます。すべて同じ生き物として命を奪う。これが屠る。屠った後は・・・・。
コメント
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