私は、こう習いました。
「モンゴルと同じく遊牧民族だった満洲民族は、明を征服し、『清』を建てた。満洲民族は文字を持たなかったため、漢民族の文化に倣い、ただ、髪型、服装くらいの簡単な習慣だけ強制し、他はそれまでと同様の生活を許した。」
「髪は辮髪、漢服をやめ、旗服へ」
俗に言う、「髪を切るか、首を切るか」、です。
そのような緩やかな支配をしたため、清国は長く続いた。そう思ってました。
でも、とんでもない。それは違う。
満洲民族の偉いのは(というより、清朝政府の偉いのは)、漢民族文化の全てを「尊敬」する姿勢をとったところにあります。戊辰戦争時の、政府軍西郷隆盛のやったことと、同じことをやっている。
心持ちはともかく、「被征服者に、恥をかかせたり、劣等感を持たせたりするな。ただし、肝腎なところは押えよ」です。
持ち上げるわけではない。清国皇帝は、ただ「漢民族の文化は素晴らしい」と認め、自らもそれを学ぶことで、被征服者の気持ちを掴んだのです。
しかし、自らの故郷である満洲へは漢民族を行かせない。
「満洲は聖地である。我々も行かないから、お前たちも行くな」と漢民族に命ずる。
計算づくでやったとしたら満洲民族は、大変な理論家であり、策士です。
しかし、言われるように「策士、策に溺れる」、です。民族として、政府として、そんな(計算づくを旨とする)体質なら、江戸、明治にわたるあれほどの長期間、他民族を支配することなどできません。
「相手の誇りを傷付けない。しかし、大義は正面に立てる。」
これをやられると、誰も、正面から反抗することはできない。「情」、「理」の双方を立て、でも、理を上位に置くものだ、としてきたのが日本であり、清国であった、と見てよいでしょう。
「情」だけでは、国は早晩、滅びます。しかし、「理」だけでも人心は離れ、国は崩壊します。「情」、「理」、共にあって、上下の位置が、国民に理解されている事、です。
「近世のシナ」、清国は決して変な国ではない。
(略)
「モンゴルと同じく遊牧民族だった満洲民族は、明を征服し、『清』を建てた。満洲民族は文字を持たなかったため、漢民族の文化に倣い、ただ、髪型、服装くらいの簡単な習慣だけ強制し、他はそれまでと同様の生活を許した。」
「髪は辮髪、漢服をやめ、旗服へ」
俗に言う、「髪を切るか、首を切るか」、です。
そのような緩やかな支配をしたため、清国は長く続いた。そう思ってました。
でも、とんでもない。それは違う。
満洲民族の偉いのは(というより、清朝政府の偉いのは)、漢民族文化の全てを「尊敬」する姿勢をとったところにあります。戊辰戦争時の、政府軍西郷隆盛のやったことと、同じことをやっている。
心持ちはともかく、「被征服者に、恥をかかせたり、劣等感を持たせたりするな。ただし、肝腎なところは押えよ」です。
持ち上げるわけではない。清国皇帝は、ただ「漢民族の文化は素晴らしい」と認め、自らもそれを学ぶことで、被征服者の気持ちを掴んだのです。
しかし、自らの故郷である満洲へは漢民族を行かせない。
「満洲は聖地である。我々も行かないから、お前たちも行くな」と漢民族に命ずる。
計算づくでやったとしたら満洲民族は、大変な理論家であり、策士です。
しかし、言われるように「策士、策に溺れる」、です。民族として、政府として、そんな(計算づくを旨とする)体質なら、江戸、明治にわたるあれほどの長期間、他民族を支配することなどできません。
「相手の誇りを傷付けない。しかし、大義は正面に立てる。」
これをやられると、誰も、正面から反抗することはできない。「情」、「理」の双方を立て、でも、理を上位に置くものだ、としてきたのが日本であり、清国であった、と見てよいでしょう。
「情」だけでは、国は早晩、滅びます。しかし、「理」だけでも人心は離れ、国は崩壊します。「情」、「理」、共にあって、上下の位置が、国民に理解されている事、です。
「近世のシナ」、清国は決して変な国ではない。
(略)
毛沢東の号令の下、展開された文化大革命(文革運動)は、毛沢東を建国の父、として熱狂的に支持する者ならば、誰でも、運動家として認められました。
共産主義のシンボルである紅旗を押し立て、赤い腕章を巻き、「毛語録」通りに社会を造り直す。
「紅衛兵」となった若者は、共産主義をまともに学んだわけではありません。
また、学問教養はありません。それが毛語録を読む。「語録」、ですよ。論文を読んで、論議して、ではありません。
語録からどんな意味を見出すか。おおよそ見当がつくでしょう。
語録には「論の展開」はない。論議しなければ見つからないものを、学問教養のない若者が読んで何が見出せるか。
当然、彼等は単に毛語録通りに(字面のままに)行動しただけです。
それが「文革の担い手」です。
「批林批孔」はその時出て来た方針です。
「林彪を批判し、孔子を批判する」
「社会主義革命を成し遂げた同志『林彪』。彼は間違っていた。批判的に見直さなければならない。」
そして「彼の考えと共通する孔子も、今一度批判されるべきである」
学問教養のない若者。彼らが「毛沢東の号令の下、一斉に起ち上がった」わけですが、おかしいでしょう?
「林彪同志を批判すべきである」
どこから発案されたんでしょう。誰が発案したんでしょう。
そして、なぜ突然に「孔子の在り方を批判しよう」などという発想が生まれるんでしょう。第一、大半の紅衛兵にとっては「おい『こーし』って誰?」の筈です。
勿論、これらは、既に本質が明らかにされています。
急造の紅衛兵が、こんなことを言うなんてあり得ない。これは林彪と共に孔子にかこつけて、周恩来を批判することで毛沢東が権力を奪還しようとしたのだ、と。
共産主義のシンボルである紅旗を押し立て、赤い腕章を巻き、「毛語録」通りに社会を造り直す。
「紅衛兵」となった若者は、共産主義をまともに学んだわけではありません。
また、学問教養はありません。それが毛語録を読む。「語録」、ですよ。論文を読んで、論議して、ではありません。
語録からどんな意味を見出すか。おおよそ見当がつくでしょう。
語録には「論の展開」はない。論議しなければ見つからないものを、学問教養のない若者が読んで何が見出せるか。
当然、彼等は単に毛語録通りに(字面のままに)行動しただけです。
それが「文革の担い手」です。
「批林批孔」はその時出て来た方針です。
「林彪を批判し、孔子を批判する」
「社会主義革命を成し遂げた同志『林彪』。彼は間違っていた。批判的に見直さなければならない。」
そして「彼の考えと共通する孔子も、今一度批判されるべきである」
学問教養のない若者。彼らが「毛沢東の号令の下、一斉に起ち上がった」わけですが、おかしいでしょう?
「林彪同志を批判すべきである」
どこから発案されたんでしょう。誰が発案したんでしょう。
そして、なぜ突然に「孔子の在り方を批判しよう」などという発想が生まれるんでしょう。第一、大半の紅衛兵にとっては「おい『こーし』って誰?」の筈です。
勿論、これらは、既に本質が明らかにされています。
急造の紅衛兵が、こんなことを言うなんてあり得ない。これは林彪と共に孔子にかこつけて、周恩来を批判することで毛沢東が権力を奪還しようとしたのだ、と。
2020年06月02日の日記より
(2010.12/10 (Fri) 初出)