CubとSRと

ただの日記

「孔子学院」と「羊頭狗肉」は同義だったのか!

2022年06月21日 | 重箱の隅
 「孔子学院」ってのがどうにも納得できなかった。
 だってそうだろう、やってることは孔子や儒学には全く関係がない。
 それどころかそういうものとは正反対の、「中国文化研究」の体裁をとった世界覇権を目指す機関じゃないのか。
 よくもまあよりによって「孔子」の名前なんか持ってきたもんだ。

 ところで、この「孔子学院」という名前の付け方、何かどこかで聞いたようなやり方だよな、「看板に偽りあり」?いや、もっとなんかうまい言い方が・・・・。あ!そうか「羊頭狗肉」だ。
 と思っていたんだけど、どうもそういうことじゃないみたいだ。

 大昔のシナ人や、今に至るまでの日本人には「羊頭狗肉」は「看板に偽りあり」、と同義語だけど、少なくとも三国時代以降はそうではないらしい。
 「羊頭狗肉。羊の頭は掲げているだけで、何も羊の肉を売ってるとは言ってない。羊の頭は肉屋の印だ」。つまり、絵看板ということだ。
羊肉と特定しているわけじゃない。だから値段が安けりゃ犬の肉に決まってる。却って嘘がない!(?)

 十年余り前に日記を書き始めた。そのきっかけは「中韓を知り過ぎた男」というブログだった。
 【シナの路上の屋台で食事をすることがある、と言ったら、多くの日本人駐在員は衛生面で抵抗があるから自分はしないと答える。私に言わせると「彼らは根っこのところでシナ人を信用している」ということになる。 
 言い方を換えれば、まだ日本人のものさしでシナ人を見ているのである。店がきれいなレストランなら厨房も清潔だと信用するのか?】

 屋台なら目の前で材料も調理も自分の目で見ることができるのに、
 「店がきれいなレストランなら厨房も清潔だ(ろう)」
 、と全く疑うこともせず入店する。
 これ、
 「羊頭を掲げているんなら羊肉を売っているんだろう」
 、と同じ。人の好過ぎる価値基準。いかにも日本人。
 しかし、シナ人に別に悪意があるわけではない、としたら・・・・?

 冷静に考えたら、共産主義の国が儒学を奨励する、と考える方がおかしい。
 逆に(儒学の祖云々は別にして)孔子なら、世界中の人々が知っている。このアイドル性を利用しない手はない。
 「孔子」の名は客寄せパンダ以上の実力を発揮する!
 ・・・・だよね。まずは「見た目」。第一印象が良くなけりゃ。

 だから、見た目に胡麻化されないよう、まずは「足元を見る」(正しい対応のための大原則)。これが世界の常識。
 対して日本は「見た目だけで人を判断するな。要は中身だ(足元を見てはいけない)」。これは世界の非常識。(森羅万象に神を見出し、全ての人に仏性がある、と教えられてきた日本では常識だけど。)
 世界のレベルから見るに、日本の考える理想の社会実現は限りなく遠いと言わざるを得ない。

 「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)という対談本から転載します。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 宮崎 
 学問の神様は孔子様なんだけれど、やっぱり全国に孔子廟がありますね。ところが誰もお参りに来ない。
 でね、受験生なんだかが困ったときの神頼みで、中国でも合格祈願をしに来るのはだいたい孔子廟なんです。
 宮脇
 岡田英弘によると、それは科挙の試験問題が、全部「四書五経」から出たからです。
 科挙を受けるために「四書五経」を読む人だけが、「読書人」で、彼らは孔子に弟子入りすることになるわけです。
 それで、科挙受験者が孔子を祀った。
 孔子廟に行くのは、読書人のエクスクルーシブ・クラブ(排他的特権集団)の人たちです。
 だから科挙がなくなったので孔子廟が廃れた。
 宮崎
 ああ、なるほど。儒教の精神に学ばなくなったのではなくて必要がなくなっただけ。
 北京の孔子廟も、高い入場料をとるようになったら外国人観光客しか来なくなった。
 儒教はなやかなりしときだって、庶民の行儀の悪さはいまとぜんぜん変わらないんだから、「論語」をまともに読んでいたのはやっぱり知識人だけだったんでしょうね。 
 宮脇
 そうなんです。だから「四書五経」を読めないと儒教徒じゃないわけです。そうじゃない人は道教だったり仏教だったりで、儒教とは無関係だった。
 中央の役人になりたい人、その予備軍や地方の小役人、科挙試験の途中までしか受かってないような郷試合格者が孔子廟に行き孔子様を祀っているという、それだけの話なんです。

 (2019年06月20日の日記)
コメント
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