2月27日(月)
「一月は去(い)ぬ」。
(あっという間に)過ぎ去る。
「二月は逃げる」。
逃げる(ように行ってしまう)。
「三月は去る」。
一月に同じ。「去(い)ぬ」という文語に対して口語で言ってる訳だから、この慣用句(金言?)、出自は新しいものに違いない。
四月以降は、となると特に言われるようなことはない。(「五月は落ち着かない」とか「八月は居座る」とか言わない)
何故(矢のように過ぎることを)そう言わないのかというと、これ「ただもうめんどくさい」から、だけなんじゃないのかなと思ったりする。
四月は新入学、新入社等、下拵えが必要な印象的な行事があるので、当該行事のために準備、後片付け等走り回ってなかなか日が過ぎてくれないということもあるかもしれない。五月は田植えで忙しい、とか。
暑くて茹だるような7,8月は時間の経つのが遅いし、9月は収穫が云々・・・・。
う~ん。結局あれか、1~3月は個人が特に頑張って何かしなきゃならないということがないから、「終わって仕舞えばあっという間だった夏休み」みたいなもんか?無為に過ごす時間の過ぎるのは早い。
まあ、「懸命になって何かに取り組む日々」を送ろうとしない怠け者には、一年が「光陰矢の如し」。
「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」
なんて説教されることはなかったな。高校の教科書に載っていた筈だけど。
面と向かって
「いいか、よく聞け。まだ大丈夫と油断してたら、あっという間に歳をとるぞ。何もできてないことに愕然としたってもう遅いんだ。気を引き締めて勉強しろ!」
なんてことを言われると、大半の若者は「怠けている」「何も出来てない」という自覚(というより自意識過剰による後ろめたさ)があるから(実際は真摯に生きねばという客気・かっきからの自己批判だが)畏れ入るしかない。
でも畏れ入る(頭が上がらない)と、消え入らんばかりに小さくなっているしかないから、何とか正気を保つために大概は反発する(しかない)。
「何だ偉そうに。あんたはどうなんだ。自分は出来ているのか」などと胸中で不満を漏らす(しかない)。
そうでない場合は「やれやれ。また言ってるよ。まあ、しょうがない。嵐が過ぎるのを待とう」なんて、ため息つきながらひたすら直撃を避ける。
「なにしてんの?宿題、やった?」「あ、あ~っ!今やろうと思ったのに!」自分が一番気にしてるのに。簡単に言ってくれるな。
「少年老い易く学成り難し」「あ、あ~っ!今やろうと思ったのに!」
自分で言っている分には、まだ見どころがある、か。