「法律に書かれてないから国歌じゃない」。「国歌じゃないから歌わない」・・・という理屈。
で、卒業式や入学式等の式典で起立もしなければ歌うこともしない。
「じゃ、国歌にしようじゃないか」、と言うことで法律で制定した。
どうなったか。
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国旗に礼!② (何人頭を下げたか)
2012.10/23 (Tue)
民主党鳩山総理の内閣が組まれた時のことだったと思います。
各大臣閣僚が一人ずつ所信を表明する場がありました。演壇には演台と後方に国旗が立て掛けてあったと思います。
テレビでも一部ニュースで流れたと思いますが、閣僚の大半は国旗に対して立ちどまり、目礼をすることをしなかった。
大半は歩きながら一瞥した風であったため、一、二名の立ちどまって頭を下げた閣僚だけが目立っていました。
「不肖宮嶋・・・」のフレーズで有名な宮嶋カメラマンだったか、が
「国旗に会釈もせん、とはどう言うこっちゃ!」
とエラク怒って書かれた文章を読んだ記憶があります。
これまでは野党だった。別にそんなこと、考えもしなかった。
それよりも周囲には元社会党議員だったのが一杯いる。
「民主党」という名の「駆け込み寺」に逃げ込んで来ている。
社民党ならずとも
「日の丸の下で多くの人の血が流れ~」
と今でも「戦争反対!自衛隊は違憲!」の思いを胸に議員生活を続けている。
そんな議員が、予想だにしなかった閣僚となった。
日の丸が演壇の後ろに掲げてあるなら、いやでも目に入り、それなりの社会的常識に沿った行動を採ったろう。
けれど、演台の傍らに立て掛けてあるだけだ。頭なんか下げない。頭を下げる、なんて発想自体が、「ない」。
ここで、老獪な(?)自民党ならどうしたか。
自民党は元々保守思想?とんでもない。自由党と民主党が一緒になったのが自由民主党だった。
後に民主党と自由党が出来てややこしいので自民党と言ってるだけだ。
自由党は元々反体制の党だし、民主党は名前の通り民主主義を標榜する戦後思想で立てた党だから、それぞれ別の理由で戦前の政治・政党に対して反対意見を持っている。
だから、極右もいれば極左もいる(今はそれほどでもない)。
それが本来の自民党、ということになる。決して保守思想のみの保守政党ではない。
思想的には非常に幅が広い。普通なら、とても一緒にやっていける筈がない。
しかし、みんな「数は力」ということを知っている。だから法案を立てる時、ごく小さな妥協点を党内で探しだし、法案成立の可否を問われる時は党議拘束をかける。それで世情におもねりながら、戦後数十年政権与党で在り続けた。
そんな自民党がもし野党で、国旗切り貼り事件のようなことが自党絡みで起こったならば。
そしてそれがHPに載せられ、その後に政権与党に初めてなった、なんてことになれば。
何よりもまず、この閣僚の所信表明のような時には「国旗に一礼せよ」と党議拘束以上の強さで通達をするだろう。世情におもねってきた「実力」で。
民主党にはそれがない。反体制ではなく、体制の中で生まれてきた。
そこへ違う意見の者が合流を申し出た。
代表は言った。
「民主党は民主党だけのものではない」
いや、それは冗談ですけど。でも、あとで
「日本は日本人だけのものではない」
と言ってますからね。
でも、流入した者は潰れそうになった社会党から逃げ出した者であり、自民党から飛び出した者であり、後は新生党、新進党、自由党と名を変え続けた大グループだった。
成立の仕方は全く違うけれども、自民党と民主党、「外見の思想」は瓜二つだった。非常に幅が広い。
しかし、成立の過程(歴史)が全く違うが故に、何か事に処する時、全く違った対応をする。
一方は妥協点を探そうとし、もう一方は蜂の巣をつついた騒ぎになる。よく言えば「百家争鳴」だが。
国旗に一礼をしない閣僚が半分以上いた。
元社会党系の人々なんだから当然だ。
又は戦後教育を受けて「国旗は揚げない。国歌は歌わない」で来たから当然だ。
それが菅内閣の頃から全員が一礼をするようになった。
「国歌は歌わない。辛気臭いから嫌いだ」という首相の下で。
首相への当てつけか?そうではない。逆に首相から「一礼するように」と通達があったとしか考えられない。
人に謝るとき、腰に手を当てたまま頭を下げる恰好だけするような人物だ。一事が万事、だ。国旗への一礼は形式以外の何物でもない。
それが国民からの人気取りになると思えば、靖國神社の参拝だって喜んでするだろう。
それが証拠に、「総理主導だ」と言ってわざわざ命懸けで作業をしている福島第一原発にヘリコで行ったではないか。自分が先頭に立ってヘリコから降り立つところを映せ、と拘泥していたではないか。
「後日談」というのはこのことです。「国旗の切り貼り事件」を全く反省せず、だから国旗に対しての一礼を、「敬意」ではなく、ただの形式、としか見ない(見ることができない)、この党のお粗末さ、です。
勿論、国旗はただの布きれです。
しかし・・・ (続く)
民主党鳩山総理の内閣が組まれた時のことだったと思います。
各大臣閣僚が一人ずつ所信を表明する場がありました。演壇には演台と後方に国旗が立て掛けてあったと思います。
テレビでも一部ニュースで流れたと思いますが、閣僚の大半は国旗に対して立ちどまり、目礼をすることをしなかった。
大半は歩きながら一瞥した風であったため、一、二名の立ちどまって頭を下げた閣僚だけが目立っていました。
「不肖宮嶋・・・」のフレーズで有名な宮嶋カメラマンだったか、が
「国旗に会釈もせん、とはどう言うこっちゃ!」
とエラク怒って書かれた文章を読んだ記憶があります。
これまでは野党だった。別にそんなこと、考えもしなかった。
それよりも周囲には元社会党議員だったのが一杯いる。
「民主党」という名の「駆け込み寺」に逃げ込んで来ている。
社民党ならずとも
「日の丸の下で多くの人の血が流れ~」
と今でも「戦争反対!自衛隊は違憲!」の思いを胸に議員生活を続けている。
そんな議員が、予想だにしなかった閣僚となった。
日の丸が演壇の後ろに掲げてあるなら、いやでも目に入り、それなりの社会的常識に沿った行動を採ったろう。
けれど、演台の傍らに立て掛けてあるだけだ。頭なんか下げない。頭を下げる、なんて発想自体が、「ない」。
ここで、老獪な(?)自民党ならどうしたか。
自民党は元々保守思想?とんでもない。自由党と民主党が一緒になったのが自由民主党だった。
後に民主党と自由党が出来てややこしいので自民党と言ってるだけだ。
自由党は元々反体制の党だし、民主党は名前の通り民主主義を標榜する戦後思想で立てた党だから、それぞれ別の理由で戦前の政治・政党に対して反対意見を持っている。
だから、極右もいれば極左もいる(今はそれほどでもない)。
それが本来の自民党、ということになる。決して保守思想のみの保守政党ではない。
思想的には非常に幅が広い。普通なら、とても一緒にやっていける筈がない。
しかし、みんな「数は力」ということを知っている。だから法案を立てる時、ごく小さな妥協点を党内で探しだし、法案成立の可否を問われる時は党議拘束をかける。それで世情におもねりながら、戦後数十年政権与党で在り続けた。
そんな自民党がもし野党で、国旗切り貼り事件のようなことが自党絡みで起こったならば。
そしてそれがHPに載せられ、その後に政権与党に初めてなった、なんてことになれば。
何よりもまず、この閣僚の所信表明のような時には「国旗に一礼せよ」と党議拘束以上の強さで通達をするだろう。世情におもねってきた「実力」で。
民主党にはそれがない。反体制ではなく、体制の中で生まれてきた。
そこへ違う意見の者が合流を申し出た。
代表は言った。
「民主党は民主党だけのものではない」
いや、それは冗談ですけど。でも、あとで
「日本は日本人だけのものではない」
と言ってますからね。
でも、流入した者は潰れそうになった社会党から逃げ出した者であり、自民党から飛び出した者であり、後は新生党、新進党、自由党と名を変え続けた大グループだった。
成立の仕方は全く違うけれども、自民党と民主党、「外見の思想」は瓜二つだった。非常に幅が広い。
しかし、成立の過程(歴史)が全く違うが故に、何か事に処する時、全く違った対応をする。
一方は妥協点を探そうとし、もう一方は蜂の巣をつついた騒ぎになる。よく言えば「百家争鳴」だが。
国旗に一礼をしない閣僚が半分以上いた。
元社会党系の人々なんだから当然だ。
又は戦後教育を受けて「国旗は揚げない。国歌は歌わない」で来たから当然だ。
それが菅内閣の頃から全員が一礼をするようになった。
「国歌は歌わない。辛気臭いから嫌いだ」という首相の下で。
首相への当てつけか?そうではない。逆に首相から「一礼するように」と通達があったとしか考えられない。
人に謝るとき、腰に手を当てたまま頭を下げる恰好だけするような人物だ。一事が万事、だ。国旗への一礼は形式以外の何物でもない。
それが国民からの人気取りになると思えば、靖國神社の参拝だって喜んでするだろう。
それが証拠に、「総理主導だ」と言ってわざわざ命懸けで作業をしている福島第一原発にヘリコで行ったではないか。自分が先頭に立ってヘリコから降り立つところを映せ、と拘泥していたではないか。
「後日談」というのはこのことです。「国旗の切り貼り事件」を全く反省せず、だから国旗に対しての一礼を、「敬意」ではなく、ただの形式、としか見ない(見ることができない)、この党のお粗末さ、です。
勿論、国旗はただの布きれです。
しかし・・・ (続く)