CubとSRと

ただの日記

3月11日のこと 半旗

2023年03月11日 | 心の持ち様
 こちらに引っ越してきた時に前のブログの大半を転載しました。
 その際、毎日数回分、日によると5,6回分ずつ転載したので、全くここでは人目に触れてないかも、と思って、今回、3,11東日本大震災に関連した日記を改めて二回分、再掲することにしました。
 
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 2015.03/12 (Thu)  (職を辞して田舎に帰っていた時のこと)

 昨日のことです。
 風は強いけれど、雨雪の心配はなくなったようなので、何日ぶりかで買い物に出かけました。
 途中、或る鉄工所の国旗掲揚柱に日の丸が揚がっているのを見つけ、
 「あれ?今日は何かの記念日だったろうか」
 と思い、ほぼ同時に、
 「?何か変だな」
 、と。

 掲揚柱の半ばまで揚げた形。半旗でした。
 「半旗?」と思ってすぐ、今日は3月11日だった、と思い出しました。
 車だからとはいえ、家を出てからここまで十数キロ。半旗が揚がっていたのはここだけでした。
 別に、消防署の掲揚中にも半旗が上がっていましたが、そちらは消防署だから当然のことなのかもしれません。
 もしかしたら私の注意力が足りず見落としただけで、他の官公署でもそうしていたのかもしれませんが。
 とにかく間違いなしに個人の家、企業に半旗はなかった。勿論、国旗自体が上がっていなかった。

 テレビや新聞では先週あたりからずっと採り上げていたし、自身、今朝新聞を見た時には、今日が東北大震災のあった日だ、と、又、個人的には神戸から戻ってくる途中、降雪のために自動車道を降ろされ、仕方なしに山中の旅館に投宿した日だ、と思い出していました(地震のことはそこで聞きました)。
 けれど、今日、街中で半旗を目にするまで一度も思い出すことなく、また、半旗を目にしてもすぐには「大地震があった日だ」ということを思い出せませんでした。

 冷たい性格だからなのでしょうか。それとも「所詮、他人事」と思っていたんでしょうか。それとも喉元過ぎれば何とやら?人のうわさも七十五日?
 何事につけ、私に限らず、大方の人は過ぎてしまえば忘れてしまう。
 忘れてしまうことで心の落ち着きを取り戻す。そして何かの拍子に、忘れてしまっていたことを後ろめたさを感じながら思い出し、「気が緩んでないか?」と自問自答し、生活を改めようとする。
 「震災を忘れるな」と、この時期になると、現地の様子が繰り返し報道されます。

 「私は冷たいんだろうか」
 そう書きました。けど何だかはっきりしない。モヤモヤがある。
 昨日、遂に日記を書かずに寝てしまったのは酒のせいもあるんだろうけど、このもやもやが晴れないせいでもありました。
 
 「震災を忘れるな」。震災の一体何を忘れるなと言うのでしょう。
 多くの人々が「望まない死」、に呑み込まれました。それに対し、我々には何ができるのか。彼らの死から生き延びる法を学び取れ、と? 何だか引っ掛かる。
 それとも「常に逃げ延びる道を確保して生活せよ」、と?これも何だか引っ掛かる。

 「震災は終わってない」
 当然でしょう。失った命は戻らない。「復旧」にはまだまだ時間がかかる。「復興」、となれば、更に多くの時、金、人が必要になる。

 「寄付を続けよう」「ボランティアに行こう」。新潟地震は?兵庫県南部地震は?広島の水害は??

 我々に何ができるか。電気を節約することでしょうか。食費を切り詰めることでしょうか。それとも質素倹約の生活?
 我々にできる一番のことは、毎日丁寧に生き、買い物は何であれできる限り国産品を買うこと。災害後数年間はできるだけ被災地の商品を買うようにすること。
 安いからと言って外国製品を買うのではなく、一円でも多くのお金が国内で流通するようにする。そうして景気を良くしていく。
 遠回りのようでも、これが我々全ての国民にできること、なんじゃないでしょうか。

 半旗を見て思い出した時、「さて、今、何ができるだろう」と思うこと。
 そして、どんな小さなことでもいい、「日本の景気を良くすれば、それが被災地の復興の、何よりもの支え(心の支え)になるんだ。」、と思い出して行動することが何よりものことではないでしょうか。

 
 国旗を見て清々しい心で、何かに取り組む。
 半旗を見て、気持ちを引き締めて、これまた、何かに取り組む。
 百万言を費やすより、国旗の翻るさまが、そういうことを思い出させてくれるように思います。
コメント
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