2月23日(木)
今日は義兄のところに行くことを予定していた。
だから昨日はそのことしか頭になかった。
昨晩になって「あ、明日、天皇誕生日か!ケーキ買ってないな。明日も買えないし」と、気が付いた。
姉の月命日。
言ってみれば忌日のようなもんだから、天皇陛下の誕生日を祝うってのは、どんなもんだろう。
で、しばらくたって気が付いた。上皇陛下の誕生日、12月「23日」だった。まずい!これまでも何も考えずにケーキ買って一人でお祝いしてた!!
今更どうにもならないけど。
思いついて調べてみたら、隣市の道の駅に行くのと義兄の家に行くのと、距離はほとんど変わらない。
郊外の旧街道を行くのと、有馬街道を下った後は昔から連なっている阪神間の市街地を通り抜けるのと、その距離は倍ほども違うと思っていたのだが。
義兄宅からの帰りは、雨の心配は全くなかった。
家の方に向かう交差点で信号待ち。
あの「人生、楽しんでますなぁ」と声を掛けてきた老ライダーと信号で並んだ場所。
右側に並んだ車から声がした。
「お父ちゃん!かっこいいな」ん?お父ちゃん?
左側には歩道しかない。先頭で信号待ちをしている。
声は確かにこっちに向けられていて、そっちを見ると隣の車の運転席から60前後の男がこっちに笑顔を向けている。前の老ライダーと同じだ。
あの時は2輪と4輪の違いはあっても「同好の士」という感じだったけど、今回は違う。
今回は車同士。それもこっちは軽。あっちはそれなり(SUV?)の普通車。
・・・ということは?「軽がカッコつけて」と揶揄われたのか?
それとも本気(当然半分は冷やかし、2シーターオープンも良いかも、が半分だろうけど)なのか?
彼から見たら自分の「お父ちゃん」の年恰好、つまりお爺さんに見えたんだろう。
やっぱり調子に乗って屋根開けているようでも、ちゃんとジャケットを着てネクタイ締めているのを見ると、半分揶揄いながらも羨望の気持ちもあったんじゃないか。
先日ラジオパーソナリティーが「オープンカーに乗る人は『見てくれ!』感があるようで、ちょっと自分は乗るのが恥ずかしい」みたいなことを言っていたが、ふと思った。服装と同じでそれは自意識過剰というやつだ。
他人はそんなにこっちを見ていない、ということが一つ。
でも、景色の一部として他人の視界に入っていることが一つ。
どちらも「自分」なんて眼中にないけど、ゴミが目に付くのと同じと考えたら、目立つ格好をしてなけりゃ(嫌な感じにさせなければ)それでいいんじゃないか。
バイク乗りの観点から言えば、以前にも書いたけど安全のための最低限の装備は「安全運転の意識」で、その上にバイク用の服、靴、グローブ、ヘルメット等々がある。だから「見てくれ!」じゃなくて安全を意識したそれなりの服装になる。
車だって同じだろうと思うけど、現実には高速道のSAではジャージー上下にサンダル履きのお父さんとパジャマを着た子供が歩いていたりする。車の中は家の延長かもしれないけど、ドアを開けたらそこは一般社会だ。
以前に書いたこと。↓
【「女性の装いは街の景観を美しくする」と三島由紀夫は言ったとか。至言だと思いますが、男だって街の景観に関わっている。帽子も昔は確かにその一端を担っていた。それなりに「身嗜み」と捉えるのが日本人ですから。 】
街に限らず、人前に出る等世間に自分の姿を見せる時、自分は景色の一部になるということを、自意識から捉えるか、思い遣り、エチケットと捉えるかで全く様子が変わってくる。
信号が変わり、声を掛けてきたおじさんにちょっと手を挙げて左折した。