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ただの日記

考え方(道筋)

2023年12月25日 | 心の持ち様
 ただ「焚書」だとか「坑儒」だとかいう言葉を見ると、始皇帝は冷酷非情の権化、としか見えないし、実際そう習ってきたように記憶している。
 しかし、秦は「法(という考え方)による新たな社会体制」で以て新たな国づくりを目指した。
 大久保利通を評する「冷たい血を豊富に持っている」という言葉を思い出す。冷静ではあるが冷酷ではない、目的に向かうために立てた筋道を鉄の意志で情に流されず貫き通す。

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樋泉克夫のコラム
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(知道中国 2617)   
  ──習近平少年の読書遍歴・・・「あの世代」を育てた書籍(習283)

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13歳で王位に就いた始皇帝は奴隷所有階級出身の重臣を退け、「韓非子が説く法治理論を十二分に重視し、法家を周辺に置いて重用し」たうえで政治を行った。全国を統一した後、中央集権政府によって「引き続き農業を重んじ商業を抑える政策を進め、辺境を開発し、水利事業を興し、農業生産を奨励し、工商奴隷所有勢力に徹底して打撃を与えた」。同時に度量衡・貨幣制度・文字を全国的に統一し、「統一国家の基礎を強固にし、各地区・各民族間の経済や文化の発展を促した」。
ところが、時代に取り残された奴隷所有階級と儒家が結託し、様々な策動を試みるのであった。

 始皇帝の側近に紛れ込んで「古代の制度は変えることが出来ない。郡県制度を廃して封建制に復すなら、千万代の後まで秦は栄えます」と吹聴するばかりか、都の咸陽で密かに私学を経営し反政府活動を企てる不届き者もいたほどだ。
 そこで始皇帝は「一、私学開設を禁止。二、国立図書館を除き、個人による儒教関連書籍の所有禁止。三、儒教関連書籍を使って政府を批判する者は斬首」との法令を下す。かくして国立図書館所蔵以外の個人所有の儒教関連反政府書籍が摘発され焼却処分となる。

 だが「これで認識における闘争が幕を閉じたわけではない。
革命である以上、一握りの反動儒家の反抗は続く」。彼らは地下に潜行し徒党を組み、秘かに武装蜂起を企てる。そこで彼らを逮捕することになるが、都への護送途中、沿道から「こいつらゴキブリを埋めてしまえ」「あの世の孔子のところに送り届けてやれ」などと怒声が飛び交う始末だ。

 だから焚書は後世に広く伝えられているような学問・言論の弾圧ではなく、坑儒は反動儒家に対する庶民の憤怒に従ったものであり、決して人権を否定したものではない。
『始皇帝的故事』は、焚書坑儒を奴隷制社会への回帰を企む反動勢力に対する「当時の人民の賛成と支持を受けた」始皇帝の正しい措置であり、社会を前進させるうえでの大いなる功績と位置づける。だから「広範な人民の要求と願望、前進しようとする歴史の趨勢に合致」しない学問・思想を存在させてはならないばかりか、自らに不都合な学問・思想を徹底弾圧することは正当な行為だというリクツが成り立ってしまうことになるわけだ。

 (以下略)

 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023)12月24日(日曜日)
        通巻第8065号より 
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 「焚書は時代に取り残された奴隷所有階級と儒家が結託し、様々な策動を試みるのを阻止するため→だから弾圧ではない」
 「坑儒は地下に潜行し徒党を組み、秘かに武装蜂起を企てる彼らに対して庶民の憤怒が抑えきれなかった結果」・・・・。
 
 始皇帝は「新たな社会体制による新たな国づくり」を目指したのだけれど、中国共産党は?「共産主義による国家統一」。
 似ているようで全く違う。
 始皇帝は法によって(しっかりとした考え方で以て)それを行おうとし、中国共産党は「共産主義」と書かれた旗を拝むように命じた。

「新たな社会体制による国家統一」という面だけなら中国も同じ。だが、中国共産党が自らを法家を遵奉しようとした秦(始皇帝)になぞらえるのはいくらなんでもおかしいだろう。「新たな考え方」ではなく共産主義という旗を押し立ててそれに盲従させようとしているだけなのだから。
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