CubとSRと

ただの日記

結果

2019年05月26日 | 日々の暮らし
  「漏水している」、という連絡があって、慌てて電話を掛けたら
 「取水栓」は止めてあるので、メーターが上がることは無いから、急いで帰らなくても大丈夫」
 と言われたものの、もしかして部屋中水浸しになっていたりすると後が大変だから、と、とにかく帰ることにした。
 
 それで原因を考えたのだが、思い当たること、二つ。
 以前、台所と風呂場の蛇口が古くなり、給湯切り替えの機能が駄目になった。それも短期間に連続して。
 「駄目になった」、と言って、「困ったことですなぁ~」なんて他人事みたいに言ってられない。
 そのままでは困るから、ホームセンターに行って新しい蛇口を買い、自分でそれぞれ交換した。
 素人工事、だ。
 その時の修理に不手際があったなら、水が漏れることもあるだろう。
 何年も前のことだけれど、安心はできない。何しろ素人だ、どこで大失敗をしてるか分かったもんじゃない。
 そうだとしたら、風呂場はともかく、台所は目も当てられないような惨状になっている・・・かもしれない。
 で、帰ることにしたのだが、思い立った翌日はごみ当番で、出るのがきっと遅くなる。
 だったら、その日は諦めて日付が変わる頃に出れば、深夜割引で安くなるし、夏みたいな日射しが暑くてたまらない、何てこともないだろう。
 2時頃に夕食を摂り、できるだけ早く寝て、11時半頃に出発しよう。
 11時半、出発。できることならやりたくなかった夜間の運転だが、そうもいっていられない。
 夕食が早かったからだろう、腹が減って仕方がない。
 おにぎりを一個だけ買って、場をつなぎ、福山SAでラーメンとチャーハンのセットを注文。
 ラーメンとチャーハン。炭水化物セット。
 それは良いけど「午前3時半」に食べる、ってどうなんだろう。
 さて。
 帰り着いて、家の中を見ても、最悪の結果である「水浸しの跡」は見つけられなかった。
 少なくとも素人水道工事が、或る日突然破綻して・・・という事ではなかった。
 その意味では一安心、だったが、原因が分からないのだから、もっとひどいことになっている可能性も出てきたということだ。
 壁の中で水道管に不具合が、なんてことになると数日かかる大工事にならないとも限らない。一難去ってまた一難、じゃないけど似たようなことはあるかもしれない。
 一時間余り待っていたら、修理に来てくれた。漏水の箇所はすぐ特定された。トイレの貯水槽内のフロートが古くなって、連動する弁がしっかり締められなくなったことと、そこへの送水管の調整ネジが効かなくなって水量調整もできなくなっていたこと。
 直接の原因は、フロート。
 昼前に修理は終わり、費用も一万円まではいかないだろう、という事だったが、
 「家の中での故障のため、水道費の減免措置は適用されないと思います」
 、と言われる。水道代、約2万5千円。
 色々合わせると、今回、5万円あまり使ったのかな。
 
 まあ、しょうがないね。その分、どこかで回収しなきゃ。
 思いついた。
 掃除機を分捕って帰ろう。置いといたって泥棒以外に使う奴は居ない。掃除機掛けて帰る奇特な泥棒なんていないだろうから、持って帰って使う方が良い。
 あ、鍋も一つ持って帰るか。クシタニの福袋に入ってたレザージャケット、ちょうどいい機会だから持って帰ろう。
 
 ということで、考えようによってはいろんな収穫のあった緊急ツーリングだったが、あとは帰るだけ。
 「ま、良かったんじゃないの」という能天気な感想だけで済ませたくはない。
 有形無形何でもいいから収穫が欲しい。それを支えに「良かった」と結論付けたい。
 「感想」でなく「結論付ける」ことによって、次に起こる(かもしれない)事案への対処能力が高められる。
 何?「器が小さい」?それは言える。
 でも、こうしなけりゃ、人だって国だってやられっぱなしだからね。




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あぶないあぶない

2019年05月23日 | 日々の暮らし
「今朝一番、それも夜中のうちに出てやろう!」
 ・・・・・と思って、早めに夕食を済ませた。
 
 ちょっと寝てから早朝、それも1時か2時に出発。
 ということで、食事の後片付けに取り掛かる。
 そうそう、いつもの通りに今日あったことをカレンダーに書いとかなきゃ。
 あっ、明日、ごみ当番じゃないか!あぶないあぶない。
 忘れてほったらかしにしてしまうところだった。最低限のルールは守らなきゃ。
 誰かがやってくれるかもしれないけど、そんな申訳のないことはできない。
 しかし、下手すると11時頃になる。それから出ると昼近くなる。
 う~ん、中途半端だなぁ~~。
 でも、それならいっそ真夜中に出発して、夜間割引で夜明けに着いてそのまま修理に立ち会う、ってのがいいかもな。

 夜中に目が覚めた。
 「いっそバイクで帰るか。」
 クルマに比べたら腰への負担は少ないから。それに長距離(と言っても3~400キロ)走れなかったら、北海道に行けない。どこかで試しておかなければらないし。
 思いついたら寝てられない。PC点けて早速検索。
 「軽自動車等」の文字が目に入る。そうだ、バイクは同じ金額だったんだ。あほらしい。
 それにETC付けてたバイクはみんな手放した。SRにETCの機器はつけてない。
 却って高くつく。
 やめやめ。
 で、これを打ち込みながら冷静になる。
 ついでに、と思いついたことを、準備なしに軽い気持ちで始めると碌なことにならないのは、これまでさんざん経験してきてるじゃないか。
 SRで身体の具合をチェックする、という事なら、そのためだけの日帰りツーリングをやれば良い。
 時間はたっぷりあるんだから。

 それより、バイクの方が軽自動車より通行料金が高いってのは・・・・。
 ETCの機器だってバイクはクルマの倍額だもの。
 
 何だかなぁ~~~~~~。


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今のことも分からない。明日のことなんて

2019年05月22日 | 日々の暮らし
 いやもう、毎日何かある。
 突然、なんてことはない。それまでに事態は着々と進行している。
 知らぬは自分ばかり。
 役所から封書が届いたので何かと思って開けてみたら、田舎の家が漏水している、だと。
 慌てて電話を掛けてみると、このひと月ほどでとんでもない量の水が使われている計算になるらしい。
 誰もいない家だから、帰ってみるしかない。
 今更慌てても、それこそ水道の水だけに「覆水盆に返らず」、だ。
 できることからこつこつと。
 明日の準備に、取り敢えずはガソリンを入れに行こう。


 これじゃ、明日は日記を書けないな。毎日書こうと思ってたんだけど。
 ん~。明後日も、だな、きっと。いや、もっとか。
 数日、という事にしておこう。


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大山鳴動して?

2019年05月21日 | バイク 車 ツーリング
 二週間くらい前からだろうか。
 カブに乗っていてアクセルを開けると「ビイイイ~ン」というような甲高い音がし始めた。
 ヘルメットをかぶっていても聞こえるくらいだから、随分と気になる。
 前にタペット調整をしてもらった。調子よく走っていたのだが、またタペット音が気になるようになり、再度調整を頼んだ。
 するとその時は開けてみたけど調整の許容範囲内、ということで調整はされなかった。
 その時の誤差が大きくなって?と思いもしたが、今回の甲高い音はどう考えたってタペット音ではない。
 タペット音は「カタカタ」。今回のは「ビイイイ~ン」。
 音が全く違う。
 スロットルを大きくひねると、その甲高い音がするんだけれど、かまわずに更に開けると音が聞こえなくなる‥‥時も、ある。
 チェーン等の駆動系か、それともプラグ周辺の電気系統?
 何しろ全くのメカ音痴だから、さっぱり分からない。
 それに走っている時の特定の状況に置いてだけ、で、要はその特定の状況は走っている時にしか作り出せないという事。
 色々なネジが緩んでないかレンチを買ってきてチェックしてみた。
 音が聞こえるのは何となく前の方。どこも緩んだらしいところはない。
 ナンバープレートの一方が少し緩んでいた。これか!と思った。
 翌日。やっぱり「ビイイイ~ン」という音が聞こえて来た。
 ナンバープレートとは関係がなかったらしい。
 
 それにしても今になっていきなり、とはどういう事だろう?何か変わったことをしたかな、と色々思い出してみる。
 思い出した事と言えば、前かごに整理用に釣り用具バッグを入れたことだが・・・。
 けど、普段は釣り用バッグ入れて走ることはない・・・あっ!
 乗る時、その都度釣り用バッグを前かごから出してるけど、その時、盗難防止用のチェーンロックも出してるぞ!これまではチェーンロックはいつも前かごに放り込んだままだった。
 いやいや、それもおかしい。チェーンロックを放り込んだままの時は音がしなかったんだから。犯人はチェーンロックじゃない。それどころかチェーンロックが音の出るのを抑えていたのかも・・・・。
 そこで、一ヶ所だけ点検してないところがあることに気が付いた。
 釣り用バッグを入れていたから前かごの中は点検してない。
 ネジが数か所ある。
 一本のネジにドライバーを当てたら30度くらい回った。
 小説「スーパーカブ」の著者が色々原因を考え、それぞれの場所を点検し、その都度、手を加えてみたけどどうにも調子が良くならないカブの、不調の原因を見つけた時は、偶々ヘルメットを取った時だったと書いていた。
 肝腎な音を聞かず原因を探っていた。そのせいで、本当ならすぐ分かる筈の箇所を注視することをしなかった、と。
 雲泥の差はあるけれど、前かごに原因があるかもしれないのに、バッグを取り出すというちょっとしたことを面倒に思って、それを出してまで確認しようとはしなかった。
 車の運転で言えば「~だろう運転」。
 半島国お得意の「ケンチャナヨ~」。
 
 肯定的に見ることは大事だけど、能天気はあかんやろ。
 事の大小を分かる能力(実力)のない者は、ちょっとした雑音でも「すわ存亡の大事!」とばかりに大騒ぎする。
 そのくせ、深呼吸をしてヘルメットを取り、耳を澄ませてみる、ということもしない。

 たいざん、じゃないけど、ネジ6分の1回転のお粗末。

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国民自らの意志で

2019年05月20日 | 重箱の隅
 これは「建国記念の日」に関しての文章ではありますが、
 【「国の在り方」についての、国民の心の持ち様(素朴な在り方)について】
 、の、簡便な説明でもあると思います。
 国の在り方を変えるという事はそれまでの国を滅する、否定する、ということです。
 これまでの国の在り方を、国民自らの意志で変えるということの重大さ。
 国民によって新しく決められた国の在り方で国を運営するという事は、国を作り直すことと同じです。
 そうなるとそこに住む日本人も「新日本人」ということになる。
 その「新しく作られた日本」は「新日本」なのですから。
 中身は同じ?
 「国の在り方を変えるという事はそれまでの国を滅する、否定する」、ということです。
 先人の命をかけての思いを否定する。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 ~「二月十一日」は、戦前、「紀元節」と呼ばれて盛大な祝日でしたが、大東亜戦争敗北の結果、占領軍によって廃絶されたことは有名な話ですので、いま改めて述べません。未曾有の大戦に敗れ、遂に外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても、その後、もしも祖国「日本」の「建国」を記念する日を、国民みずからの手で、新たに敗戦の日や、戦後の或る日に決められたとすれば、それは堪えがたい恥辱であり、亡国の残民として、首陽山に隠遁とまでは申しませんが、少なくとも私自身は大学における歴史の教壇を去る覚悟でありました。
 「建国記念の日」をめぐる論争
 (一部のみ、転載)
                (田中卓評論集4  第二十章より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても」
 日本の「建国」を敗戦の日や戦後の「或る日」に決められたとしたら、恥辱であるのは言うまでもないが、更に(それまでの日本はなくなったということなのだから)亡国の民となるのだ。
 (国を失った者が、一体、何の歴史を教えるのか。だから)教壇を去るしか選択肢は、ない。
 これが歴史学者の在り方、でしょう。
 正しい歴史認識を持ち、伝統を次代につなぐ。「統」を伝える。「建国記念の日」を敗戦後の日、とすると、統は途絶える。
 「日本の国を護る」ということの主は「日本の国を(国民に)正しく伝える」ということです。
 そのために、確かに、武力、経済力等の攻撃から、「国を守る」ための手段も必要になってくる。
 けれど、繰り返しますが、「本」は伝統を正しく伝えるということです。
 隣国のように、本末が転倒してしまって、「国民の胃袋を守るために」武力、経済力で国を守る、となったのでは、他国は傍迷惑なだけです。
 伝統を正しく伝え、継いでいくために、何ができるか。
・・・・・・
 日本は皇国であるということ。日本には皇室がある、ということ。
 これが日本の、これまでの「国の在り方」です。
 女性天皇はあっても、女系天皇はその皇室を崩壊させることにつながる(皇室が複数出現する可能性)から、国の在り方を変えることになるおそれがあるため、これまで否定されてきました。




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