CubとSRと

ただの日記

阿字の子が・・・・

2019年05月19日 | 日々の暮らし
 「阿字の子が 阿字の都を立ち出でて 泣き泣き帰る 阿字の都に」
 、だとばかり思っていたけど、本当は
 「阿字の子が 阿字のふるさと 立ち出でて また立ち還る 阿字のふるさと」 
 なんだそうだ、御詠歌では。
 なるほど、御詠歌の方が(当たり前だけど)ちゃんと意味が通っているし、境地が高まって行っているのが能く分かる。
 本当の道を求めようと修行の旅に出て、やっと分かってみると初めから全てのものは裡にあった、と。
 メーテルリンクの「青い鳥」と一緒。前を向いてひたすら歩いていたら一周していた。ただ、この一周、前と同じようで質は全く違う。
 辿り着いた我が家には以前から飼っていた青い鳥がいたけれど、帰ってみて初めて、その青い鳥が一番の、本当の青い鳥だったと分かる。
 全てのものは初めから「在る」けれど、見ることはできないし、触れることもできない。(色即是空)
 けれど、修行の旅に出る(=毎日を真剣に生きる)ことによって、何も分からなかった、つかめなかったものが分かるようになる(空即是色)。
 言い方を変えれば、
 「何かに取り組むことで認識能力を高めれば、道理によって成り立つ『世界』を捉えることができる」
 と、なるだろうか。
 覚えていた方のは、親に反抗して家を飛び出た子供が、世の中の酸いも甘いも十分に味わって、分別が付くようになり、やっと親の有難さが分かって涙ながらに親に詫びを言う、と。
 (さらに進めば、その時親はもう鬼籍に入っている、という展開。)
 一読しただけなら、そんな印象を持つ。
 「阿字の子が 阿字の都を立ち出でて 泣き泣き帰る 阿字の都に」
 「泣き泣き帰る」という言葉がそんな印象を持たせるんだろう、より具体的でなんだか「親孝行」の四文字が浮かんできて。
 しかし、現世に生まれ、死ぬまでを指す「阿吽」という単語の「阿」、「阿字の子」というのは「生まれた者」という意味だけだから、この歌には本来「人は生まれ、生き、死ぬ」と言う意味しか詠まれてない。
 となると、当然、「行間を読む」ということが大切になる。そしてその際、親子の情愛などという感覚は、ひとまず置いといて、ということになる。
 読むカギは「立ち出でて」と「立ち還る」。この言葉から「積極的に生きる」「前向きに考え、行動する」という事の大切さを説いているんじゃないかな、と思い当たる。
 「生まれたことの意味」というのは「探し出す」ものではなく「作り出す」ものではないか。
 
 そう考えれば「泣き泣き帰る」と言うのだって、「夢破れて逃げ帰る」のではなく、「全てが分かって感激の涙を流しながら」、という事であってもおかしくはない。
 何でこんなことを書いているか?
 「やりもしないで、やろうともしないで(つまり、初めから否定する気で)、他者についてとやかく言うのは、ちょっと恥ずかしくないか?」
 ってこと。
 大体「プディングの味は食べれば分かる」とは言うけど、一度食べただけで分かるのは「味」くらいのもの。
 製法云々や周辺の全てのことは「修行の旅に出る(=毎日を真剣に生きる)」ことをしなければ分からない。


 アイドリングスクリューをいじったSRのキャブレターの調子を知るためには、とにかく乗ってみなきゃ。
  
 ・・・と言うわけで、今からちょっと出てみよう。




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買い物に

2019年05月18日 | 日々の暮らし
 昨日のこと。
 前の晩、11時に寝て、朝5時前に起きる。
 8時前に朝食を摂り、でも、カブで出たのは1時を回ってから。
 ハーバーランドの書店にするか、それとも三宮まで出て淳久堂にするかと随分迷ったけど、決まらない。
 取り敢えず、出てみる。走っているうちに決まる(かもしれない)。
 どちらにしても今日は有馬街道を南下する。それだけは決めていた。
 
 夜中、ハーバーランドの書店の名前をどうしても思い出せずにいた。
 だからと言って起きてPCで検索、なんてことをすると、またずるずると夜更かしをしてしまう。
 起動させたい気持ちを抑えて寝ようとするもんだから、余計寝付けない。
 苛々しながら考える。
 「確か京都から進出してきた書店だから、安土書店?いやいや、そんな名前じゃなかった。何だか岐阜県の市名みたいな名前だったような気がするけど・・・。岐阜書店?いやいや。じゃ、犬山?違う違う。信長書店?そりゃあ、エロDVDの専門店。あれ~え?」
 
 もやもやしながら「寝られない寝られない」と思っていたような気がするのだが、いつの間にか、朝。すぐ寝入ってしまったみたいだ。
 分からないまま、思い出せないまま出発するんだから、もどかしさが残っていて、あんまり気分は良くない。
 分からないまま、結局ハーバーランドのその書店に向かう。
 ハーバーランドでエスカレーターに乗り、階を上がっていくけれど、もうこうなるとどうでもいい、その先に書店はあるんだから。
 書店名を知らなくたって店の方はウェルカム、だ。
 書店のある階へのエスカレーターに乗り、もう少しで書店名が見える、寸前に「あ!大垣書店だった」。
 京都の本屋で、岐阜県の市名みたいな名前で。
 それぞれ記憶は間違ってないが、もうどんだけ意地を張ってんだ、と感心するくらい頭は抵抗して、書店名を隠し通そうとする。
 それが書店の看板が目に入る寸前で、もはやこれまで、とばかりに突然思い出す。
 不思議なもんだ。周辺はどんどん思い出す。
 まるで城攻めをしているかのように。次々と外堀を埋めて行って、どんどん核心に近づいていくんだけれど、肝腎の本丸が鉄壁の守りを見せる。
 そのくせ、天守閣の守りは薄くて、一発でも、砲丸が当たれば即、白旗を掲げて降参する。
 そんなことなら、もっと早くに降参すれば、お互い深手を負わずに済ませられたものを。

 ま~た何言ってんのかな??

 で、何を買ったかと言えば。
 マンガ「ワカコ酒」1、2巻。
 テレビで見るのと、マンガではだいぶ様相が違う。
 マンガには修行中の雲水みたいな趣がある。
 いや、飲み様についてちょくちょく「幼過ぎる」と主人公が顔を赤らめて反省しているからなんだけど。
 当然、酒飲みにだけ、この気持ちが大事、なのではない。何事につけ、楽しく取り組むにはこの気持ちが大事。
 天狗の鼻は自身で折らなきゃ。
 同時に、もっと大天狗を目指さなきゃ。
 尤も、酒でこれをやるには肝臓とシビアに評定しなければならないが。

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簡単なことなんだけど

2019年05月17日 | 重箱の隅
 去年の日記なんだけど、本当は6年前の日記。
 でも、考え方はさほど変わっていません。
 天皇陛下の靖國神社参拝・・・ではなく、靖國神社行幸。細かいことのようにいう人もあるだろうけど、
 「参拝はした。神道の礼式ではなくても真心は同じ」、と神前で一礼しただけの小泉総理の在り様。英霊達はどう感じただろう。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 小池百合子氏が官公庁の省資源(冷房費の節約)のために、ドン小西氏に知恵を借りて「クールビズ」、というちょっと気の利いた名前の運動を提案した。
 それまでの「省エネルック」という野暮ったい名前のあまり効果の上がらない格好から何とか抜け出さなければ、ということだったんだけれど、結局、具体的には
 「ネクタイを一本取ってしまえば、~」
 みたいになってしまったのは、御存じの通りです。ただただだらしない服装になった。
 それが皮肉(?)なことに、民主党政権になって一気に国会内で流行した。
 だから、民主党政権が一番、貢献をしたと言えるかもしれません。
 一見クールビズとは関係がないような「神は細部に宿る」。民主党政権下のクールビズの大流行は、これの見事な実例なんじゃないか。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 本来の意味は「クール(涼しい)」、と、そこから派生したであろう語義の「涼しそうな、涼やかな(汗ひとつかかず、平然として)」の、二つの意味を重ねて、まあ、日本風に言えば、「朝飯前」とか「片手間」とか「お茶の子さいさい」みたいに、さらっと軽く、「ビジネス」をこなしてしまう。
 カッコ良く、スマートに仕事をやろうじゃないかということで、つくられた言葉だと思います。
 そして目的は「省エネ」。
 夏場はそうだけど、冬場は?
 「カッコ良く、スマートに」、ということで基本的には、「冬だってクールビズ!」でないとおかしい。
 「冬は暖房費節約のためにいっぱい着込んで、でも、カッコよく」、とはいかんでしょう。
 まあ、最近は「ウォームビズ」なんて言葉が使われることもあるけど。
 でも「暖かくて、もふもふしてて、それでいてスマートでカッコいい」ビジネススタイル、なんて聞いた事がない。
 だから、「クールビズ」って、当然「あいつ、カッコいいね、クールだ」という意味ではなく、「クール=涼しい」だけで、「カッコいい」は、なくなっていると見るべきでしょう。
 それで、最近は「クールビズ=ノーネクタイ」となってしまったのでしょう。
 実践する者の認識の甘さではないかと思います。上っ面だけ「お達しがあった」から、「右へ倣え」でやっている。
 「お上のなさることに間違いはございますまいから」を冷徹に、ではなく、ただただ諦めの目で見ているだけで、考えることはない。
 
 ついでながら、その「お上(政府)」も、推進する立場ながら、よくは分かっておらず、
 「ネクタイしないでいいんだよ。これで肩凝りが減るし、涼しいし、万々歳だよなぁ。オレ暑がりだからネクタイ、やだったんだ。何か嫁さんに首根っこ、押さえられているみたいでさぁ」
 ナンテことを閣僚が言っているかどうかは知りません。
 「認識の甘いのは、これを始めた前政権与党の自民党の説明が、十分でなかったからであーる!」
 、ということで、やっぱりこれも「ジミンガー」になるんでしょうか。
 「厳しく追求自民の失敗。笑って見過ごせ民主の無策」
 、なんてテレビ局や新聞社の壁に張ってあるかどうか、も、当然知りません。
 いずれにせよ、自民党政権下、小池百合子女史が牽引役となって始められたクールビズだけは、現政権与党も全く同じで、行っています。

 さて、前政権与党の総裁小泉首相のクレリックシャツももうひとつではありましたが、現与党の三代の首相。やっぱりこれも、何だかなぁ、です。
 そして、こういうことは、案外根が深い。
 「認識が甘い」のではなく、「認識能力が低い」のではないかと思って、過去を振り返ってみました。
 「たかがクールビズ、されどクールビズ」、です。
 瑣末なことでも、一つ一つをきちんと見て、正心で以って取り組むと、そこには必ずその人の人格が表れる。
 当然です。「そのことなりに、その人が全力で取り組む」のですから。本気にならざるを得ない。
 我々は「それ」から、彼の人格を読み取ろうとすれば良い。専門的な難しいことを政治家以上に分かろうとするより、政治家自身がどれだけ本気なのか、その一挙手一投足を同じ正心で以って見ればいい。
 全力で総理で「あろう」とした三人の民主党議員。その在職期間中に服装が変わるのは当然でしょう。また、変わらなければおかしい。
 総理という役職を懸命に演じることによって本物の総理になる。
 初代総理は、普段着がぶっ飛んでいました。
 それ以上言うべき言葉が見つかりません。そして、少なくとも総理を演じようという、「一途さ」は、なかった。
 あれば、いつまでも繰り返し流される鳩の物まねや、みょうちきりんなポーズを取っていたファッションショーなどへの参加はあり得なかった。
 二代目は、初め、服装をバカにしていた。
 高級な外国製のスーツの袖口の大きなタグをつけたまま国会に登場した時には、我が目を疑ったものだけれど、あれなら、ベントの仕付け糸だってそのままだったんじゃないでしょうか。
 それではイカンな、と気付いたのか、スタイリストに意見を聞き、急激に様子が変わっていきました。けれども、それは彼の人間性そのものとも言える、その場しのぎ、小手先細工だけのものでした。
 根底は変わらない。相変わらず、服装をバカにしている。
 いや、服装そのものより、「それを生業とする人」を、と言うべきかもしれません。いやいや、服飾に限らない。彼は、全ての職業をバカにしている。職を尊ぶ、とか、職によって人が育つことなど、見ようともしない。
 だからこそ、結果が出なければ、少しも努力を認めず誰でも叱り飛ばし、そのくせ、自己弁護は大得意。
 悪口大会になってしまいました。
 気を取り直して。
 現総理は一番まともです。ぶっ飛んでもいないしこつこつやろうという姿勢もある。ただ、周りを軽視もしないけど、考えてもいない。
 ところが、気にはしている。だから、ネクタイをしなかったか、と思えばその日のうちにまた、してみたりする。南洲翁とは全く違います。
 南洲翁は多額の俸給を、藩主、藩名を汚さぬために遣い、明治政府からの俸給は国民の血税であるから、と自らのことには一切使わなかった。
 自分がどう言われようと「人をして言うに任せよ」という姿勢を貫いた。
 現総理は、周囲の評判を気にする。
 「奇兵隊内閣」「最小不幸社会」には呆れたけれど、ご機嫌取りの、自らを泥鰌に喩える演説や、上っ面だけの「正心誠意」もまた、結局上滑りするだけだった。
 一人、かりゆしを着ていたH前総理。
 デザイン性の高いシャツを着て、ノーネクタイだったのが妙にだらしなく見えたK総理。
 人目を気にして、無難を選ぶ現総理。
 自身のために、ではなく、見た人が涼しく感じることが、クールビズ。
 そう思って相手のことを思い遣る。
2012年5月26日の日記より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「一事が万事」。一挙手一投足にその人の本心が現れる。神は細部に宿る。
 「国会審議拒否はしない。ちゃんと出席する!」と高らかに宣言した翌日、開会の同時刻に結党集会を開いて、欠席・・・・。


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細かいこと。いや、「神は細部に・・・」

2019年05月15日 | 重箱の隅
 「行幸と御親拝」
 「天皇陛下が靖國神社を参拝(親拝)されたことはない」
 文章を読んでいる途中、この文章はこう言っている、と解釈しました。
 「はぁ?」と思いました。
 「何、言ってんの?昭和天皇は参拝されてるし、第一、靖國神社を置くようにと言われたのは明治天皇なんだから、参拝のなかった筈はない」、と。
 で、能々読むと、「皇太子の時は参拝されている」と続くので「??」となり、「天皇は皇室の祖先神や、代々の天皇を祀る神社には参拝をされるが、そうでない神社(靖國神社等)には行幸をされるのだ」と書かれていることで、やっと納得。
 天皇陛下は神官の長、日本国の祭主なのだから、国民の先頭に在って皇祖神を拝するのが仕事。
 国民を拝む、ということは対立する支配者であるという立場を唱えることになる。
 で、「参拝と行幸の違いは、神前での拝礼の角度にある」と展開し、「参拝は90度に身体を倒される(最敬礼)が、行幸の場合は30度だ」、と。
 「何だ、角度の違いか。それだけのことか。細かいことを。天皇陛下が来られるという事が大事なんだから、そんな角度のことなんか、この際、大したことじゃないぞ」
 、と考えますよね?大半の人は。
 でも、そうじゃない。
 一番大事なことは、靖國に祀られている英霊(靖國の大神)の立場で考えてみれば、という事です。
 「靖國の大神」、と言うより、英霊達は、天皇陛下の最敬礼を望むだろうか。
 一見、拝礼の角度なんて小さいことに見える。
 けど、そういう小さいところにしか心は表せない。そういうところにこそ、真心が見える。
 英霊達は国を護るために命を捧げることが、身近の人を守る近道と知っていた。
 だから「お母さん」と叫んだり、妻子の名前を叫んだりした。天皇陛下個人のためにではなく、国のために。
 国の存続がなければ、身近な人々は結局命を失うことになる。
 ・・・・・・・・・・・・・・
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)5月15日(水曜日)弐
         通巻第6078号
(読者の声2)最近天皇陛下の御親拝または御参拝に関する議論が多くなされています。
 さらに最近沼山光洋氏が自裁されたことにより議論が沸騰しています。一つ注意を喚起したいことがあります。
 今までに靖国神社に御親拝ないし御参拝された天皇陛下は一人もいらっしゃいません。
 明治天皇も大正天皇も昭和天皇も上皇も靖国神社に行幸されたことはあります。しかし御親拝ないし御参拝されたことは一度もありません。
 大正天皇、昭和天皇は皇太子時代には靖国神社に参拝されました。
 天皇陛下が御親拝ないし御参拝されるとき神殿に向かって90度上体を倒されます。天皇の祖先に当たる神様や亡くなられた天皇が祭られている神社では御親拝ないし御参拝されます。例えば伊勢神宮です。
 神社に行幸されるときは、約30度上体を倒して、深めの会釈をされます。
 天皇陛下が神社にいかれる場合は、天照大御神様の地上における現人神としていかれます。
 天照大御神様が靖国神社で90度上体を屈して拝まれることは、何より英霊の方々が望まれません。
 英霊は天皇陛下が近くにいらして御稜威に触れることをなにより喜ばれます。天皇陛下が靖国神社を御親拝ないし御参拝されるよう要求することは、天皇の御稜威そして存在そのものを否定することです。
 以前GHQの中の天皇陛下を裁判にかけず利用しようとした一派が、そのための文書・資料として木戸幸一に口述させ、寺崎英成に筆記させて作ったものが、昭和天皇独白録として公開されました。あれを第一級の歴史資料といった東京大学の教授がいましたが、それをはるかに超えた暴言、暴挙です。
   (當田晋也)

 (今日の同じメールマガジンに投書された方からの訂正記事があったので、勝手に訂正した文を掲載しました)

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見てみるもんだ

2019年05月15日 | 重箱の隅
 昨日の日記を書いた後で、以前同じ題名の日記を書いたような気がして検索してみた。
 何しろ、しょっちゅう「困った困った。書くことがない」、と言ってる奴だ。
 そいつが無理矢理「これから毎日日記を書こう」なんてことを思いついた。
 それなりに頑張って、でも、よくて二日に一度、大方は三日に一度日記を書くのが限度だったわけだから。
 「困った困った」という題の日記を書いたことがあるかもしれない。いや、あるに違いない。
 ・・・なんてことを思ってのことだったのだが・・・。
 現在の社会状況はあの頃とあまり変わらない。いや?変わってないのは国民の意識レベルだけ、か?
 ・・・・・・・・・・・・・・・
   (2013年8月7日の日記)
  「まず、何をする」
 何もできない時。
 解決のための具体策、乃至特効薬的な対応策がない時。
 一体どうしたら逆境を撥ね退けることができるのか。
 また、先日は「失言」と喧伝される、意図的な誤報道(偽詐報道と言うべきでしょうか)がありました。説明も、弁解も聞く耳持たず、で世界中に広まりました。
 「政治家なんだから、もっと言葉には気を付けてほしい」
 とか
 「中韓だけでなく欧米の心まで逆撫でしてしまった」
 とか
 「取り返しがつかない。総理共々辞任すべき」
 とか。
 バッカじゃなかろうか、なんて思ってしまいます。だってそうでしょう?
 「じゃあ、どうしたらいい?」ってことを一言も言ってないんですから。
 あるのは「困った困った」だけです。
 その次は相も変わらず「責任とって辞めろ」のオンパレード。
 辞めたら情況は良くなるのか?半年かけてつくってきた「シナ包囲網」、誰が受け継げる?
 何も解決策を示さずに、とにかく当人に「責任とれぇ~~」、ばかり。辞めたって何も好転なんかしない。
 なのに殆んど作り話みたいなことを殊更に採り上げて「彼があんなことをするからこんなことになった」。
 そして続けて「困った困った。どうしようもない」。
 恥ずかしいというか情けないというか。
 言うやつも言う奴だが乗せられる方も乗せられる方だ。マスメディアもだが、国民もだ。

 「脱亜論」を読んだって、「そうだその通りだ!」と言う人はいますよ。
 で、どうするんです?絶交する?それも良いでしょう。
 その分、投資したものは返ってきませんよ?大変な損失ですよ。日韓併合(植民地ではない)時の投資を思い出してください。返ってきました?それどころか最近だって、盗んで行った物だって「返さなくていい」なんて裁判所が判決出してる。全く「さっぱりわからない」。
 日本の製品がなければ、技術がなければ、成り立たないけど、彼らは「成り立たないから降参!」って言いますか?
 それどころか粗悪品つくって、売り捌き、文句が出たって知らん顔してるでしょう?新幹線のこと、忘れた人はないでしょう?彼の国は今でも「国産だ」、って言い張ってますよね。
 つまり「そうだ、その通り。絶交しよう」、じゃどうにもならない。詰将棋のように、詰めていくしか手がない。
 「脱亜」とは具体的にどうすることなのか。
 それは国民すべてが中韓を相手にしない、という事です。
 「中には良い人もいるから、決めつけるのは~」なんて言ってたら、「脱亜」にならない。「良い人は別枠」、と国民が同じ価値観を持てばいいだけのことです。

 以下は三年前の正月に書いた日記(2010年1月10日)です。
 隣国の虚仮威しはいずれ見破られ、冷笑されるだけになる。
 しかしこちらだって、勇ましいこと言ってるだけじゃ何も変わらない。
 何かを変えるには、たとえ笑われても、貶されても、これと決めた考えを、一途に突き進むしか方法はないんじゃないでしょうか。
 示威行動より、共感を持たれる行動を日々淡々と行うこと。それで、共感する人を一人でも二人でも増やすこと。
 これなら私のような臆病者にもできます。
 
 「脱亜論」「痩せ我慢の説」。今こそ必要な時です。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   「まずは生兵法(なまびょうほう)」  2010年1月10日

 昔、福沢諭吉が、知人の軍学者を訪ねた時のことです。
 まあ、幕末当時の軍学者、といえば、今の軍事評論家、とはちょっと違って、国の在り方から、外交、政治、軍事等、色々なことに詳しくて、よく言えば啓蒙家、悪く言えば煽動家。その分、熱心な信者もいれば、論敵もいて、命を狙われるおそれもあったのだそうです。
 さて、諭吉が部屋に入ると、床の間に、刃渡り三尺を優に超えるであろう大刀があった。
 普通の刀は刃渡り二尺二寸から二尺四寸(66センチから72センチ)です。三尺(90センチ)を超える大刀、というのは、腰にした状態から抜く、ということになると、相当な修練が必要です。
 驚いた諭吉が、
「これを遣えるのか」
と聞くと、軍学者は
「何、用心のためだ。これを置いておけば、そう簡単には誰も手を出すまい」
と笑って答えた。
 それを聞いた諭吉は「そうか」と頷いて、その刀を手にし、続けざまに二、三度、抜刀、納刀をやって見せた。
 その刀捌きに、軍学者が驚いて何も言えずにいると、
「この程度(自分の腕前)では、とても、実際の時には遣えない。却って、危険だから、貴殿は片付けられた方が良かろう」
と、忠告した。
 実は、福沢諭吉は立身(たつみ)流という居合い(抜刀術)を、豊前中津藩藩士時代から修練しており、記録から見る限り、かなりの腕前だったようです。
 立身流自体は定寸の刀(二尺四寸前後)を使いますから、三尺の刀を抜き差しするということは、おそらく初めてのことだったでしょう。
 その刀を少なくとも雑作なく(自然に)扱って見せた。相当な技量です。
 当然、諭吉はこう言いたかったのです。
 「普通の刀でさえ、満足に、遣えない者が、これ見よがしのことをすれば大怪我をする。」
 身の丈に合わぬ大法螺を吹くのはやめろ、と言いたかったのかもしれません。
 「まずは、確実に、こつこつと正しい取り組みをしよう。そうすれば、分からないことも少しずつ分かるようになり、できなかったことも、少しずつ、できるようになる。」
 「できないことがあっても、焦っていることを外に見せず、こつこつと、ひたすら努力し続ける。」
 「痩せ我慢の説」で勝海舟、榎本武揚を批判した諭吉の考えがここに見えます。
 
 この軍学者は、確かに、この幕末を余りにも大拍子(大雑把)に生きている。自分の命はもっと大事に考えなければ。
 いや、現代も同じだ。この軍学者と同じく啓蒙の姿勢は必要だ。同時に、そこには煽動家の側面もある。
 そして、諭吉が武術修業で身に着けた「焦っていても外には見せず、ひたすら精進を続ける」姿勢。
 初めは「生兵法」でしかありません。格好だけです。でも、それは仕方がないことです。格好だけで中身がないのを、気にして焦る。焦りながら、外には見せず、こつこつと努力をする。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 国政に於いては、パチンコ屋じゃあるまいし「一発逆転」を狙うなんて危険過ぎます。外交に於いては特にそうです。
 長い時間かけて、じりじりと詰めていく。
 そして、すっかり脚本が出来てから、「私は神輿」と、思い切り芝居がかった演技をする。



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