CubとSRと

ただの日記

驟雨(しゅうう)

2021年08月26日 | 日々の暮らし
 8月21日(土)

 目が覚めたのが9時だった。
 起きて朝食を摂ったら10時を過ぎるだろう。その時間になって家を出たんじゃ葡萄はきっと売り切れている。
 だからと言って、朝食も摂らず勿論ストレッチも取り敢えずやったことにしても、9時半過ぎに家を出られればいいところ。
 これはもう、今日は駄目だな、と思いながら、「それでも買い物だけでも行こうか」と思っているうちに昼。

 「やっぱり今日は寝坊が全てに尾を引いた。止めるしかなかったか」
 、と思った辺りで突然、雨音が聞こえ始めた。それも相当に強い。
 ホントに「バラバラ」というマンガみたいな音を立てて降って来る。
 
 えっ?「降るかも」と予報では言ってたけど、こんな降り方、するか?
 まさに驟雨(しゅうう)。
 それにしても「驟雨」なんて表現、よくも考えたものだ。
 何頭もの馬が一緒になって地響き立てて駆け抜けていく様子、その轟音が短時間の強い雨脚と見事に重なる。

 なんてこと書いてはみたが、実はこの「驟雨」という言葉も「驟」の意味も数年前まで知らなかった。
 数年前から、あのダム湖のほとりの駐車場に行くようになって、たまたま居合わせた人に
 「ここ、良いところだけど、近くにバイクの停められる喫茶店があれば良いですよね」
 と話しかけたところ、
 「『シュウ』、って喫茶店がありますよ」
 という返答があった。
 どんな字を書くんです?と聞くと、難しい漢字でちゃんと覚えてないけど、雰囲気のいい店で、とにかく安い、とのこと。

 いつもの昔の少年軍団に聞くと、流石にみんな知っている。それでもしばらくかかって、やっと「馬に、聚楽館の聚」ということが分かる。神戸近辺の昔の少年少女ならすぐわかる「聚楽館(しゅうらくかん)」の聚。
 全国的には豊臣秀吉の「聚楽第」。(でもあちらは「しゅう」じゃなくて「じゅ」だけど)

 後になって気が付いた。「馬」はバイク。「聚」は「衆」と同じく人の集まり。
 だからこの喫茶店の店名はバイク乗りが集まる処と連想させるようにつけられた(らしい)。
 実際、道路に面したカウンター席の上半分の壁はガラス張りで、その下にバイクを斜めに停めるように作ってあって、コーヒーを飲みながら眼下の自分のバイクを見る、ってのはなかなか気分のいいものだった。
 店の表を通るだけでも、整然と並ぶ色々なバイクとその上の大きなガラス窓を持つ洒落た喫茶店を見るのは、バイク乗りならきっと楽しかった筈だ。
 どちらも過去形で書いたのは、近所から苦情が出てきた、とかで、もう停められなくなったから。(今は店の裏手に停めるようになって、ライダーズカフェの雰囲気はなくなった)

 あれ?えらく脱線して題と全く関係のないことを書いてしまった。
 戻ろう。
 
 確かに「驟雨」だった。強くはあったが、短時間で止んだ。
 「驟雨」「夕立」。片岡義男のバイク小説にも何度か出てくる情景。
 夏でなければ、短時間でなければ、ツーリング時に遭うと間違いなく凹んでしまう雨。けど、驟雨、夕立の場合は妙に気分が高揚する。

 残念ながら、この日の雨は夕立のように後は「見る見るうちに雲の切れ間から青空が広がって~」とはならず、止んだ後も曇り空のまま。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予定が狂う

2021年08月25日 | 日々の暮らし
 8月20日(金)

 昨日もひどかった。何しろ真っ赤な帯が住んでいるこの辺り一帯に懸かっている。昨年(一昨年だったかな?)も見た「線状降水帯」、というやつ。
 これが途切れながらでも風に乗って北上するわけで、甲子園の高校野球を伝えるテレビの画面が、白くなるほど降って、ついにたまらず試合は一時間以上中断。
 あの水はけのよい甲子園が泥濘のようになって、一昨日の投手が投球と同時に足を滑らせ横転する、といった驚くべき光景の再現こそなかったものの、よくもまああの中で野球を、と感心する。

 こっちも一昨日ほどではなかったものの、やっぱり雑巾を並べ、鴨居から雨水が滴り落ちてくるのを受け止め続けねばならなかった。

 17日火曜にダイハツに電話を入れたら、18日水曜まで盆休みという留守案内が聞こえ(「盆休み」とは言ってなかったけど。まあ、盆休みだ)、ということは19日の6ヶ月点検の延期依頼は当日の朝までできない、と分かる。
 点検は19日朝10時からの予定。そして店が開くのは10時。
 それじゃ結果として約束時間を過ぎてからの延期依頼ということになるわけで、何だか、直前キャンセルよりもっとひどいことをするような気がして、良心が苛まれる・・・ことはない・・・こともない。

 天気が理由、と言ったって屋根のある車なんだから、行けないわけではない。大雨警報が出ていて高齢者に避難指示が出ているからって、そしてその対象者であるからって、家に居る方がより安全で、大雨の中、避難場所に行く方がよっぽど危険。そして洪水が起こって道路が寸断されているわけじゃないけれど、避難場所に危険を冒して行くより6ヶ月点検にダイハツまで行く方がもっと危険。
 何しろ悪名高き有馬街道だ、小規模な崖崩れが起きただけでも閉じ込められた形になって全く動けなくなってしまう。

 19日朝。10時きっかりになるまで電話はつながらず。数秒間をおいて再度掛けたら、おそらく同じ理由で電話がかかってきたのだろう、数分間話し中。
 三度目でやっとつながった時には、10時を10分ほど回っていたろうか。
 
 延期の依頼をして、では何時が空いているのか、と探してもらったら9月1日。2週間近く後になる。まあ、それでも良い。

 親なし趣味なし職もなし、のないないの爺さん。楽しみが2週間延長されたと思えば、それもまた、良し。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浸水(大袈裟な!)

2021年08月24日 | 日々の暮らし
 8月18日(水)

 今朝。6時過ぎに居間に降りる。
 雨の余りの降り様に驚く。何しろ音がすごい。
 それでも、その時はさほどのこととは思わなかったのだが、昼過ぎ、鴨居の辺りから水が滴り落ち、敷居が水浸しになっていることに気付く。

 慌てて溜まった水を雑巾三枚に吸い取らせ、洗って絞ることを二、三回繰り返しているうちに少しはおさまってきた風だが、今回もまた台風でもないのに居間と二階(寝室)の雨戸を、雨が吹き込む中で、気にしながら閉める。
 後で降水量の記録を見ると、ひどい時は一時間に32mm降ったらしい。

 午後6時を過ぎて、少しマシになった風なのでこれを書いている。
 今日一日はまだ終わってない。またいつ大雨になるか分からないらしい。
 こんなだから、勿論外には出られなかった。それはしょうがない。

 雨が続くと木製の玄関ドアが湿気で変形する。ドアを開けにくくなり、同じく閉めにくくなる。
 引き戸に比べて開き戸というのは、防犯上でも災害に対しても強いのだが、開けにくく閉めにくい、ってのは不便だ。
 それに比べたら、引き戸は開けやすく閉めやすい。

 と思っていたのだが、アルミ枠の掃き出し窓の内側に障子が入って畳敷きの部屋の体裁を作っている。そこに雨水が入って来る。障子の木枠は敷居と結託して思い切り水を吸い込み、玄関ドアと同じく精一杯変形する。
 そうなると障子を開けることも閉めることもできなくなる。開き戸より性質が悪い。雨が止んで二日ほど晴天が続かなければびくともしない。
 「もういいかも」と慌て気味に開け閉めをしようとすると、華奢な窓枠は玄関ドアと違って簡単に変形する。

 先に乾燥してしまった障子紙だけが、とばっちりを食らって斜めに破れる。それも一か所ではない。障子の中の格子になった部分は全て歩調を揃えて破れる。今回、数年ぶりにそれをやってしまい、障子紙が何ヶ所か破れた。
 まだ障子の木枠は乾燥してないから動かない。乾燥しても鴨居が下がってきていて、障子を外すことができないから、障子の張替えも容易ではない。

 破れたところだけ切り抜いて張り替える、という方法を取るしかないのだがみっともないだろうな、と思ったり、いっそ格子を生かした市松模様に張り替えて、炭治郎の羽織みたいにしてやろうかと思ったり。

 しないよ、そんなこと。
 結果としてそうなるかもしれないけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杞憂

2021年08月23日 | 日々の暮らし
 8月14日(土)

 2時頃になって床に就くが、何だか記憶が信じられなくなるくらい。昨日と同じく、またしても雨。
 代わり映えしないというか何というか、とにかく同じことを繰り返しているような感じ。どこかで思い違いをしているのではないか。

 晴天ならば夜だって雲の流れ具合や月の光で日々の違いが分かるが、こう何時も同じように雨が降っていると、「あれ?今日?昨日?」と。
 昨日と同じく相当強く降っていて、風も強い。
 今度は壁からの雨水の浸入のみならず、屋根瓦が再び剥がれそうになってないか、気になる。気になり始めたら眠れない。
 「まだ雨は続く」、という予報通り、雨が続いたら、あの一か所から大量の雨水が浸入してくる。
 心配だ、心配だ。

 でも、こんな夜中に見に行くわけにもいかないし、見に行ったって見えるわけじゃないし、明るくなって見に行ったとして、仮に最悪の予想が現実のものとなって一枚剥がれそうになっていたとしても、雨が続いていたらとてもじゃないけど二階の屋根になんか上れるものじゃない。晴れていたとしても梯子すらないのにどうやって上るんだ。
 以前上ったときだって脚立を一階の屋根に掛け、腰痛を気にしながらそこに上って脚立を引き揚げ、一階の屋根から二階に改めて掛けて上ったんじゃないか。
 そして、二階の屋根に上った時、危うく脚立を落とすところだった。そうなると、もう飛び降りるしかなかった。

 今回は梯子を買うか、それともレンタル業者に借りるかしなければならない。そうなると間違いなく「晴れるまでは無理!」なわけで。
 この秋雨前線、一週間は居座るらしいから、まだそれらの行動を起こすわけにはいかない。

 それ以前に例の屋根瓦が本当に剥がれそうになっているか否か、現時点(夜中の2時)では全く分からないわけだ。夜が明けなきゃ目視確認すらできない。
 そしてこれが一番大事なことだが、この一件、「杞憂」となる可能性がとても高い。
 とにかく夜が明けるまでは何もできない。寝よう。今はとにかく寝よう。

 ‥‥と無理矢理眠ろうとするが、却って気になって眠れない。修学旅行やツーリング前のワクワク感ではない。苛々感。
 略してイラ菅‥‥は別な人物を思い出してしまうから使わないでおこう。

 こんな時は音楽でも聴くのが一番。
 と言うことでいつものようにCDを掛ける。
 ‥‥眠れないな~。

 時計を見ると、まだ十五分くらいしか経ってない。
 やっぱり駄目かな~、と思っているうちにCDは終わっていた。いつ終わったか分からない。ということは、眠っていたということだ。
 改めてCDを掛ける。「眠れない」から。

 一度は眠っていた(らしい)のだから、当然、今度はもっと「眠れない」。寝ぼけ眼でそう思う。それでも、またいつの間にかCDは終わっていた。

 三度目。
 これまたいつの間にかCDは終わっていた。

 5時を過ぎて起き出し、6時前、明るくなったので取り敢えず出てみた。
 一段高くなっている隣の空き地前に行って振り返る。屋根瓦にこれと言って変わったところはなく、ちゃんと寄せ棟の屋根を抑えている。


 杞さんを笑うのは簡単だけど、当人は至って真面目で真剣に物事を考える人だったんだ。だから、周囲の人は決して考えようともしない「重大事」に気が付き、「これは大変だ」と一所懸命に考え、悩んでいたんだろう。
 瓦一枚に比べたら「天が崩れ落ちてくる」かもしれないというのは桁違いの話で、その想像力たるや到底常人のものではない。ノーベル文学賞なんてすっかり色褪せてしまうほどの作家になれる(と思う)。
 瓦一枚で「夜も眠れない」奴がそんなことを想像してみた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の中、雨戸を閉める

2021年08月22日 | 日々の暮らし
 8月13日(金)

 迎え盆。
 またしても雨。それも相当強くって、朝方はその音に驚いて目が覚めたくらいだ。
 夜が明けてからも強い南風にのって、横殴りの雨が窓を叩き続ける。
 あまりの音に、また腰窓下の壁面のひびから雨が浸み込んでくるかも、と心配になる。カーペットを敷いた床の窓下辺りが、歩くと心なし湿っているような・・・。

 どちらにしても硝子窓を叩く雨音が気になって、昼日中から南側の雨戸を閉める。・・・・よけい喧しくなった・・・・・・。

 夕方になって、やっと止み間ができるようになったけれど、半時間足らずのものばかり。当然、外には出られない。
 
 郵便受けだけ、隙を見て見に行く。ローン解約の申請手続き書類と、自動車保険の書類が届いていた。
 加えて夕方に表札の原案(原図?)ができたので、という電話もあった。
 それぞれ、すぐに取り掛かりたいところだが、この雨、一週間くらい続くと言っているから、何ともイライラするが、しばらく待つしかない。

 買い物に行けないから、夕食は鶏胸肉のたたきと、キャベツのガーリックバター炒め。
 一杯やる上では二品でも何とか肴になるもんだ、と感心する。
 「親指一升」とか「饅頭を肴に一杯」なんて人もいるんだから、感心するほどのことでもない・・・か。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする