CubとSRと

ただの日記

花見ドライブ

2022年04月26日 | 日々の暮らし
 4月7日(木)

 昨晩は寝るまで道順を考えていて、結局、篠山口の南、古市まで行って戻ることにしていた。行って戻るとは言え、往復ではなく周回。

 コペンで出る。
 東条で花を見ながら北上。一旦東条の道の駅に寄り、改めて東条湖へ。
 本来なら大きく左折して立杭焼の郷に入るところを、今回は直進して立杭焼を使っているという喫茶店へ。カプチーノを一杯。砂糖を入れずとも十分甘い。
 二十分ほどで出て、立杭焼の郷に。
 以前から立杭焼で料理を盛る皿を、と思ってはいるのだが、今回もどこにも寄ることなく通過。

 道沿いの斜面に、時折り桜の老木がある。四方に伸びた枝は花が満開で、四、五十年昔にタイムスリップでもしたかのような景色を見せている。

 古市まで行って、そのまま三田に下る。岡場を通って呆気なく帰宅。
 花見ではなく、「花見ドライブ」としたので、弁当も作らずコーヒーも用意しないでただ走り続けた4時間だったが、意外にこういうのも良いんじゃないかと思った。

 花見は何度でも行けばいい。弁当を持って行くのも、今回のようにただただ走り抜けるだけ、というのも、それぞれの良さがある。
 まあ、車が入れないところをゆっくりと、というのなら、やっぱりカブが一番なのかもしれない。


 蛇足だが。先日買った土筆。
 ネットで調理法を読み、買った日に下拵えをして、翌朝指示通りに煮てみた。思いの外うまくいって、これは下準備の面倒なことを差し引いても作ってみるだけの価値はある、と思わされた。
 そういうわけで店頭に並んでいる時期は短いから、早速改めて買いに行こう、ついでに花見もしようと早々に決定。
 
 「花より団子」。

 
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土筆

2022年04月25日 | 日々の暮らし
 4月5日の続き

 両岸の桜並木は延々と続いている。さほど大きくない川の両岸だから、この木々がもっと大きく育ったら川面が半分近く隠れてしまって、さぞかし風情のある景色になるだろう。

 1キロ前後続いているんだろうか、と思ってネットで見たら、なんと3キロも続いているんだとか。これの大半を僅か2年で植えてしまった住民の熱意に頭が下がる。前回書いたように、何の儲けにもならないのに。
 そして本来なら田植え前の人気のない田圃が広がるばかりの景色を、歌の如くに霞か雲のような桜色が覆って、その花の下には楽しそうな人々の姿が見える。

 SRでそこらを一周した後、近くの道の駅に向かう。
 予定通り弁当も何も持たない手ぶらで来たので、何か珍しい野菜でもあれば買って帰ろうと思っていた。
 初めて土筆が売られてあるのを見た。こんなものを売っているのか。

 中学か高校の頃だったろうか、家で土筆の佃煮の話が出て、「美味いけれども下準備が大変で、」と母が言っていたことを覚えている。何でもあの「はかま」と言われる部分は食べられないので取らなきゃならない。そいつがチマチマやらなきゃならないので面倒な上に、灰汁で指先が黒くなる、のだそうだ。
 食い意地が張っているので、それでも一度は食べてみたいと思っていたけど、土筆の採れる時期は短い。大量に採るとなるとそのために出掛けなきゃならない。時機を逸してしまっていたので、それは話だけで立ち消え。
 食い意地は張っているものの、忘れっぽいものだから遂にそのまま成人した。

 そういうわけで土筆の佃煮の存在は知ってはいたが実物を食べたことも見たこともなかった。

 就職して十数年経った頃。
 転勤先の職場で注文した弁当に見たこともないおかずが入っていた。
 「何だこれ?」と思ってよく見たら、もしかしてこれは土筆?
 周囲の人に聞いたら、そうだとの返事。自分だけが知らなかった。
 土筆の佃煮を初めて見た。出入りの弁当業者が春になると時々入れてくれるらしかった。

 それが売られてあった。「佃煮」は売ってないか、と思ったけれど、残念ながら、ない。
 春になって土筆の佃煮の入った弁当を見た時のあの心の和む感じ。
 甘辛く煮てあって、何度か噛むと少し苦みが感じられる。久し振りに食べてみたい。
 弁当のおかずの一品だったから、量も少なかったし、何よりも「酒の肴にしたらいいだろうな」と、いくら思っても、そんなものはそこらには売ってない。

 そして勤務地が変わったことで、以降は全く口にする機会がなくなって四半世紀近くになる。
 その土筆が摘みに行く手間を飛ばして、数十本入りのパックになって眼前にある。酒の肴にしたい。でも、自分で調理しなけりゃならない。めんどくさい。でも食べたい。
 結局食い意地の方が「勝利した」。
 一パックだけ買って帰った。高菜も少し買う。

 さて、どうなるか。
 

 
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下見

2022年04月24日 | 日々の暮らし
 4月5日(火)

 2時過ぎどころか、2時半を回ってやっと寝た。明日はコペンで、と思っていたが、特に買う予定のものはない。

 朝になって、「今日は下見に行くだけだから」とSRで出ることにした。
 既に昼を過ぎていたし、むかご御飯を炊いていたから、それを弁当にする気にはならないし。
 で、とにかく行ってみるだけのつもりで出た。
 
 ほんの二、三日で(当たり前だけど)灘や東灘の表六甲側に負けず、こちら北区の山の上も桜が満開に(なっている木も、ある)。
 更に北の峠越えの道の頂上辺りの桜は、一本だけ表六甲並みに満開だった。そこに至る並木の蕾はまだ堅そうで開花するのは数日後らしく、谷あいの道は殺風景だ。
 ただ不思議なもので寒々としたふうではない。ほんの少しだけど両側の山肌に緑が見え始めているからだろうか。白に近い緑で、春の息吹というより何だかソワソワしてじっとしていられない子供みたいで、どうも落ち着かない。

 山を越え、東条の川沿いの両岸に植えられた桜並木の細道に入る。
 三分咲きくらいだろうか。それでも花見に出て来た人は結構いて、シートを広げた上で弁当を食べている家族もちらほらと見える。
 まだまだここは穴場と言えるかもしれない。あと10年もすれば桜の木々ももっと大きくなって相当に見応えのある景色になりそうな雰囲気。

 下見のつもりで来たけど、これならあと二日ほどで満開になるだろう。
 予想はついた。所期の目的は達成した。
 けど、「じゃ数日後、弁当作って来るかな」というとそれは何とも言えない。予想ができたから冷めてしまった?そういうわけではない。
 車で来たら停める場所に困る。軽だって同じ車だ。SRにしたって乗らない人から見れば騒々しくて傍迷惑に見えるだろう。
 となるとカブ、なんだが。実際これまでカブで来てるんだけど。2回。

 「何もないから何かしよう、とみんなで2年掛かりで桜を植えた」
 と、以前に地元の人が言っていた。
 「誰も人が来ないから、花見に来てくれるだけでもいい」、と。

 そして地元の人には全く儲けにならない花見の名所になりつつある。
 
  何だか「虔十公園林」に似たようなものを感じる。
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雨の一日

2022年04月23日 | 日々の暮らし
 4月3日(日)

 雨は降らないということだったので、7時前に洗濯機のスイッチを押す。
 降らないということだが、その割に空は重く曇っている。雲の流れも鈍重過ぎる。

 8時前、改めて(?)目が覚める。能々見たら9時前だった。
 依怙地ではなく、明るさから見るとどうしたって8時前だけど。
 でも、時計の勝ちだ。

 空を見ると何だか妙な天気で、どうも雨が降ったような気配。
 雨樋の割れたところからベランダの床に落ちる雨音らしいのが聞こえてくる。
 降らないどころか雨勝ちの一日。
 「夕方になったら止む」というのがネットの天気予報。
 「夕方から夜にかけて降る」というのがNHKの予報。
 天気予報のそれぞれを重ねて見れば、結局今日は一日雨。

 ということで買い物には出ず、昨日新神戸駅で買った駅弁、高野豆腐を煮る、椎茸・ブロッコリー等の炒め物、更にチキンラーメンという豪華(?)な夕餉。勿論これらは酒の肴。

 明日はコペンで出ようかと思うが、現在時刻午前1時20分。
 これから風呂に入るから、寝るのはきっと早くても2時過ぎ。

 ということは花見は明後日か?

 「明後日か?」ってまた行くのか?
 勿論!
 来年見られるかどうか分からないんだから。
 コロナ禍みたいなのは言うまでもない。ロシアのウクライナ侵攻だって対岸の火事ではない。
 その前に。明日だって生きてるかどうかわからない。


 身勝手に「生きている」と決めつけた上での太平楽。
 
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花見の筈が

2022年04月22日 | 日々の暮らし
 4月2日(土) の続き

 目的地としていた保久良神社は「桜の名所」というわけではない。
 単純に三十年ほど前に行った時、神戸の町が見渡せて気持ちが良かったことや、その時は夕方で、あまり長い間居られなかったのが残念だったという思い、それに岩に刻まれているという神代文字らしきものをもっと時間をかけて見たかったことなどが遠い記憶にある、というだけのこと。
 あまりにボンヤリした記憶なので、手に入れた原付で上ったのか、それとも散歩の延長で何となく歩いて上ったのか、さえ覚えていない。

 それを今頃になって、と考えてみれば、妙と言えば妙な話だ。
 ただ、「桜の木々・満開の桜」を見るよりも、一本か二本の老木に咲く花の方が、いや、桜の花の咲く巨木自体を眺める方が好きになってきたような気がする。
 当時、保久良神社にそんな桜はなくても、三十年も経てばもしかしたらそういう桜が育っているかもしれない。

 いい加減な漠とした思いで向かったが、道を間違えることもなく参道入口に着いた。「関係車両以外進入禁止」、とある。
 「関係車両」に参拝者は含まれていないらしい。三十分ほどかけて歩いて上るしかない、ようなことが書かれている。かといって参拝者用駐車場などといったものはない。
 ということは近くの阪急岡本駅から歩くのが唯一の手段。これは参拝を拒否する神社だな。

 別に不思議なことではないけど。「保久良」が「火座」なら、元々はただの「燈台」。航行する船のためのもので、御利益を求めて参拝する神社ではない。言ってみれば便宜上造られた神社でしかない。祭神がスサノヲ、オオクニヌシという、国土にまつわる神々であることにもそれならうなづける。

 また脱線した。けど、それはそれでよい。今日は参拝するなということだ。少なくとも花見を目的に(物見遊山では)行くところではない、と。

 歩いて上るにしても参詣入口まで人家が密集している。車は言うまでもなく、カブでさえ置くことができないのだから、そのまま引き返す。
 引き返して新神戸駅に向かった。

 新神戸駅で、酒の肴になりそうな弁当を買う。今朝作った弁当と併せ、二つの弁当を持って六甲ケーブル下から六甲山に上る。途中の鉢巻展望台で弁当を使い、買った弁当は家で酒の肴にする。
 ・・・という方針に変更し、弁当を買って、六甲山上を遠望、早々に方針変更をし、目の前の生田川河岸の桜(ここも桜の名所)を見ながら昼食を摂ることにした。

 東アジア、東南アジア辺りから仕事できたらしい小グループ。大学というよりまだ就職したてらしい数十人の若者のビンゴ大会。中にワイングラスを片手に時々言葉を交わしている西欧人らしい夫婦。子供を抱えベビーカーを押している若夫婦。座っている後ろを歩く学生風の数人は日本人だと思ったら耳慣れない外国の言葉でしゃべっている。

 喧噪とまではいかないけれど相当に賑やかな中で作ってきた弁当を食べ、淹れてきたコーヒーを飲む。
 こんな賑やかな中での食事も悪くない、と思うようになったのは独り暮らしにすっかり馴染んでしまったからか。仕事に就いて二年後からずっとだから四十数年。馴染むも何もないんだが。

 以後、予定通りカブで六甲山へ。
 やはりカブで、というのは少々キツイ。3速では上らない。2速では段々に速度が落ちる。かといって1速では大騒ぎをするわりにちっとも進まない。
 それでも車にせっつかれなければのんびり山登りができる。

 そういうわけで「日本の全ての坂を上るために作られたカブの1速」は、そんなに使うことはなかったけど、2速では上れないのが六甲山。

 上り切ってしまえば、尾根伝いに少し行けば自宅。
 というわけで、3時前には帰宅。

 
 
 

 
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