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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

春爛漫の上越市の鮫ヶ尾城跡へ。カタクリ、オオイワカガミ、ショウジョウバカマなど。ギフチョウにも邂逅(妻女山里山通信)

2020-04-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
 昨年訪れたときに、案内所の女性に、春の花は凄いですよ。ぜひおいで下さい。と言われて楽しみにしていました。我々は、中国原産の貝母の保護活動をしていますが、ここには日本のコシノコバイモが咲きます。残念ながら、暖冬で雪がなく咲き終わっていましたが、その他の可憐な花が何種類も見られました。思いがけず誰もいない城跡の裏山へ。そこには素晴らしい春の里山がありました。花の掲載順は撮影順ではありません。

 今回はずっと下道で。北信濃と上越の春の風景を見ながらゆっくりと走りました。国道18号を北上し、北信五岳道路へ。五岳とは、北信五岳(飯縄山・戸隠山・黒姫山・妙高山・斑尾山)。これらがすべて見られるので、そう呼ばれています。正式には、上水内北部広域農道。車も少なく、ドライブしていて本当に楽しい道です。
 飯綱町の林檎畑から望む左から飯縄山、奥に戸隠連峰の高妻山と乙妻山。中央に黒姫山、右へ妙高山。その右には斑尾山が見えます。この前に林檎畑の道をたくさんの保育園児が走ってきました。このご時世に、なんともほっこりする光景でした。野尻湖湖畔のナウマンゾウ博物館や、一茶記念館、黒姫童話館などは新型コロナウィルスのために閉館中です。

 りんご街道(私の命名)から望む妙高山。5月上旬には、りんごの花が満開になります。秋にはりんごの直売所も。フジ、サンフジなどが買えます。毎日りんご一個で医者いらずは英国のことわざでしたか。

 案内所に寄って情報を。コシノコバイモは、例年の積雪があれば今頃も見られるが、今年は3月20日頃に満開で、雪がないので早々に咲き終わってしまったとか。カタクリさえもう終わりです。それでも見つけた可憐な一輪。アリが種を広めるアリ散布植物の代表格です。実は湿原から間違って鮫ヶ尾城の裏の山脈へ続く山道に入ってしまったのですが、誰もいない尾根筋には、カタクリやオオイワカガミが咲き乱れていました。ツピーというシジュウカラの鳴き声。

 ショウジョウバカマ(猩々袴)もあちこちに咲いていました。北信では、上のカタクリの様な濃いピンクの花が多いのですが、ここは白花が主でした。まれにコーラルピンクのものも。ショウジョウとは中国の伝説の生き物で、根生葉が袴に似ているとか、酒を呑んで赤くなった様が似ているという故事に由来します。

(左)エンレイソウ(延齢草)。毒草で薬草。吐く効果があり、毒を出すことから命拾いの草。白花のミヤマエンレイソウもよく見られます。(右)なんでしょうか。調査中です。花びらはマツムシソウみたいですが違います。検索したのですが出てきません。分かりました。キクザキイチゲですね。長野市ではシロバナしかないので気づきませんでした。

(左)タチツボスミレ(立坪菫)ですが、花の裏とキョ(距)が白っぽいですね。オオタチツボスミレの様です。(右)モミジイチゴ、梅雨の頃には美味しいオレンジ色の木苺が成ります。

(左)ユキツバキ(雪椿)の実でしょう。(右)ユキツバキの残花。

(左)オオイワカガミ(大岩鏡)。麓では残花ですが、鮫ヶ尾城跡の裏の山では満開でした。光沢のある大きな丸い葉の上に鮮やかな花が咲き誇っていました。この山道は、あちこちで行き止まりになったために引き返しました。遭難したら迷惑かけますしね。(右)トキワイカリソウ(常磐碇草)。花時に越冬葉が残るのが、大きな特徴です。中国植物名は淫羊藿(いんようかく)といって、性ホルモンの分泌を盛んにする強壮剤として知られます。天然のバイアグラ。

(左)たった一輪だけ咲いていたスミレ(菫)。白花ですが、キョが紫色。オトメタチツボスミレ(乙女立坪菫)。(右)小さなヒメスミレ(姫菫)。マキノスミレもあるそうですが、見つかりませんでした。鏡台山のある場所に貴重な群生地があります。

(左)ネコノメソウ(猫の目草)。東京の山では、ヨゴレネコノメをよく見ました。種類が多く同定はなかなか困難です。(右)シソ科キランソウ属というのは間違いないでしょう。日本海側なので、ニシキゴロモ(錦衣)でしょうか。数株しかなかったので、この山系でも珍しい花かも知れません。

(左)リョウブの葉も開いていました。茹でて塩もみしてリョウブ飯が作れます。(右)キタコブシ(北辛夷)と案内所の女性は言っていましたが、花の付け根にに小さな若葉が見られません。これはタムシバ(田虫葉)ではないでしょうか。それともキタコブシは、こういう花なのでしょうか。

(左)結局この山道から鮫ヶ尾城跡へ向かう道はありませんでした。方角は分かっているので、尾根を藪こぎしました。100mほど歩くと。(右)深い堀切が2つ。間違いありません。ひとつ目は深さ4mほど。なんなく超えましたが、ふたつ目は高さ6mほど。これは無理と右にまわりました。やっと本郭へ到着。遅い昼は、道の駅あらいで買ったサバのフライのホットドック。美味です。

 ギフチョウに10頭ほど出会いましたが、活性が高くなかなか撮影できませんでした。ある場所でやっとカタクリで吸蜜する一頭を撮影できました。

 本郭から桜越しにみる上越の平野。奥に米山、左に日本海が霞んでいます。まったりと昼餉(ひるげ)。ただ風は少し冷たい。

(左)山頂に舞うヒオドシチョウ(緋縅蝶)。山城には鎧由来のこの蝶が似合います。(右)ギフチョウかと思ったのですが、春型のキアゲハ(黄揚羽)でした。ヒオドシチョウと時々縄張り争いをしていました。

 斐太遺跡。魏志倭人伝に、卑弥呼が平定する前に起きた倭国大乱の時に作られた弥生時代の住居跡です。この研究をしています。春秋戦国時代の越によって滅ぼされた呉と、後に滅びた越の人々が渡来して争ったのではと考えています。人口60万の当時の日本でいったい何が起きたのでしょう。もうひとつ別の説では、高句麗の襲来によって倭国大乱が起きたというものもあります。その歴史考察は、下記の記事をお読みください。

 宮内池から見上げる鮫ヶ尾城跡。地元の方が里山整備をしていました。帰りに道の駅あらいに立ち寄り、夕食の寿司とのどぐろの刺し身を購入。他に生ホタルイカと鮮魚ののどぐろを買いました。新型コロナウィルスの影響で、魚介類はかなり値崩れしていました。帰路も下道をゆるゆると。地元の温泉に入って帰宅しました。明日は、陣馬平の貝母の開花状況を見に行きます。
 保証のない非常事態宣言をした安倍自公政権は、国民を救う気が全くありません。新型コロナウィルスで死ぬ人より経済的困窮で死ぬ人のほうが多いかも知れません。忖度するマスゴミも本当に酷い。週末外出を控えても、平日満員電車ではパンデミックが抑えられるはずもないことは猿でも分かります。今の日本に必要なのは、覚醒と革命でしょう。ぼーっと生きていたら殺されます。自分だけでなく、子や孫の将来を考えてください。

秋の鮫ヶ尾城跡とその歴史については、以前の記事を御覧ください。
上杉謙信が築城し、景勝と景虎が争った「御館の乱」で有名な鮫ヶ尾城へ。「倭国大乱」の頃からの斐太遺跡。秋桜(妻女山里山通信)
上杉景虎が自害した御館の乱の鮫ヶ尾城跡。奴国大乱の斐太遺跡。ナウマンゾウ博物館。錦秋の苗名滝(妻女山里山通信)

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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