十日町市への旅。午後はキナーレ現代美術館からほくほく線を挟んですぐ北にある十日町市博物館へ。国宝の火焔型土器がいくつも観られます。日本人の原点が見られる非常に魅力ある博物館でした。2020年6月にリニューアルオープンしたばかりでプロジェクションマッピングなど、子供達も楽しめる分かりやすい楽しめる展示がいいですね。
●十日町市博物館公式サイト
国宝の火焔型土器が並んでいます。現代から見ると装飾過多に見えますが、それは我々がデザインされた人工物ばかりに囲まれて暮らしているからです。現代になるほどデザインがシンプルになるのはそのためです。それと大量生産の時代になりモノに対する呪術的な思い入れが希薄になったことが挙げられます。代わりに可愛いなど精神の枯渇を埋める商品が溢れています。
(左)十日町市博物館の外観。「雪と織物と信濃川」がテーマ。(右)縄文時代は、約1万2~3千年前に始まり、約2千3百年前までをいいます。世界史的に見ても稀有な長い時代といえます。土器と弓矢の発明、定住化と竪穴式住居の普及、貝塚の形成など、高度な技術や精神文化、交易のネットワークも持っていました。決して未開の原始時代ではありません。学校では、この後の移民で形成された弥生時代と共にあまりにも軽くみられ、ほとんど教えられていません。
(左)後の弥生時代に出雲族の諏訪大社の祭神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の妻の奴奈川姫の印である翡翠が既に縄文時代からあったということ。そして勾玉(まがたま)。勾玉の語源は色々あります。語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られます。三種の神器の一つ『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』にもあり、魔除けや厄除けといった呪的な意味で身につけられてきました。(右)黒曜石。信州の和田峠近辺で採掘され、古代から全国に流通していました。翡翠と共に日本の古代史では非常に重要な鉱物で、両方ともに諏訪大社のお守りにもあり、秋宮のお守りを私はいつも携帯しています。
(左)磨石(すりいし)。稲作はまだ始まっていないので、木の実や野生の穀物などを磨り潰したのでしょう。(右)細かな美しい細工も見事ですが、上の小さなものはともかく、下のものは直径5センチはあります。こんなものを本当に耳にぶら下げていたのでしょうか。
(左)石棒。男根です。古代においては出産と死は、最も不思議で大切なことだったと思われます。命を生むのは女性ですが、それには男性が必要です。乳幼児の死亡率が高かった昔。各地に男根女陰の石像があります。少子化は村の滅亡を意味していたからです。(右)土偶の移り変わり。土偶は女性です。縄文のビーナスや仮面の女神が有名です。長野県立歴史館で開催された国宝の土偶展は圧巻でした。
●特別企画「土偶展」国宝土偶と中部高地の土偶。女性を崇めた縄文時代の人々(妻女山里山通信)
●土偶
(左)縄文時代の暮らしの再現。(右)家の中。昭和時代の田舎の暮らしとそう変わらないですね。
(左)縄文人の男性。平均身長は158センチ。私より10センチ以上低いですが、むちゃくちゃ体力あったんでしょうね。右にプロジェクションマッピングがあります。ここで自分の顔を登録すると。(右)こんな風に自分が縄文人になって土器を焼いたり、調理をしたりと動きます。これ子供達にバカウケでしょう。
(左)三角形土偶。小さいです。何に使われたのでしょう。(右)古代の着物。色々な繊維や織物も展示されています。シンプルですが、お洒落ですね。
国宝の火焔型土器。レプリカで持てるものもあります。けっこう重いものです。土器を組み立てるパズルもあります。火焔型土器といいますが、私は火と共に水も表しているのではないかと思っています。水流の渦と思われる文様が見られるからです。火と水は人類にとって最も大切なものですから。しかし、美大出身で粘土細工もしたこともありますが、これを作れと言われてもできないでしょう。物凄い技術と表現力です。縄文人の感性と創作レベルの高さに圧倒されます。自然に対する畏敬の念と同調。西洋人と違い日本人には空間恐怖というものがないといわれますが。それは、間を感じられる様になった中世以降の話で、人口も少なく自然と一体となって暮らしていた縄文人の自然観察眼やそれを形にする情動を想像すると、タイムマシンで行って作っているところを見てみたいと思います。
(左)坂上田村麻呂が北国遠征の祈りに安置した守り本尊と伝えられている白雲山長徳寺(千手観音堂)。(右)これは前立本尊でしょう。
1727年(享保12年)創建の真宗大谷派の寺院。焼失後、1848年(嘉永元年)に再建されました。棟梁は篠田總吉(柏崎)。本堂を含む5棟が国登録有形文化財に指定されています。
見事な龍の宮彫り。
木鼻には唐獅子と貘。象は大きな耳が垂れていて笑っているのがほとんど。貘は想像上の動物で耳が立ち毛が荒ぶっています。
激流を遡る鯉。
見事ですね。鯉の激流上りは、すぐ後の北村喜代松に通じるものを感じるのですがどうでしょう。
本堂の内部。欄間の木彫に圧倒されます。雪深い十日町の歴史に感嘆視し堪能し、キナーレ現代美術館に戻り明石の湯に入って長いトンネルを抜けて松代町(まつだいまち)へと向かいました。大地の芸術祭の展示。草間彌生の作品が見どころです。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
●十日町市博物館公式サイト
国宝の火焔型土器が並んでいます。現代から見ると装飾過多に見えますが、それは我々がデザインされた人工物ばかりに囲まれて暮らしているからです。現代になるほどデザインがシンプルになるのはそのためです。それと大量生産の時代になりモノに対する呪術的な思い入れが希薄になったことが挙げられます。代わりに可愛いなど精神の枯渇を埋める商品が溢れています。
(左)十日町市博物館の外観。「雪と織物と信濃川」がテーマ。(右)縄文時代は、約1万2~3千年前に始まり、約2千3百年前までをいいます。世界史的に見ても稀有な長い時代といえます。土器と弓矢の発明、定住化と竪穴式住居の普及、貝塚の形成など、高度な技術や精神文化、交易のネットワークも持っていました。決して未開の原始時代ではありません。学校では、この後の移民で形成された弥生時代と共にあまりにも軽くみられ、ほとんど教えられていません。
(左)後の弥生時代に出雲族の諏訪大社の祭神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の妻の奴奈川姫の印である翡翠が既に縄文時代からあったということ。そして勾玉(まがたま)。勾玉の語源は色々あります。語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られます。三種の神器の一つ『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』にもあり、魔除けや厄除けといった呪的な意味で身につけられてきました。(右)黒曜石。信州の和田峠近辺で採掘され、古代から全国に流通していました。翡翠と共に日本の古代史では非常に重要な鉱物で、両方ともに諏訪大社のお守りにもあり、秋宮のお守りを私はいつも携帯しています。
(左)磨石(すりいし)。稲作はまだ始まっていないので、木の実や野生の穀物などを磨り潰したのでしょう。(右)細かな美しい細工も見事ですが、上の小さなものはともかく、下のものは直径5センチはあります。こんなものを本当に耳にぶら下げていたのでしょうか。
(左)石棒。男根です。古代においては出産と死は、最も不思議で大切なことだったと思われます。命を生むのは女性ですが、それには男性が必要です。乳幼児の死亡率が高かった昔。各地に男根女陰の石像があります。少子化は村の滅亡を意味していたからです。(右)土偶の移り変わり。土偶は女性です。縄文のビーナスや仮面の女神が有名です。長野県立歴史館で開催された国宝の土偶展は圧巻でした。
●特別企画「土偶展」国宝土偶と中部高地の土偶。女性を崇めた縄文時代の人々(妻女山里山通信)
●土偶
(左)縄文時代の暮らしの再現。(右)家の中。昭和時代の田舎の暮らしとそう変わらないですね。
(左)縄文人の男性。平均身長は158センチ。私より10センチ以上低いですが、むちゃくちゃ体力あったんでしょうね。右にプロジェクションマッピングがあります。ここで自分の顔を登録すると。(右)こんな風に自分が縄文人になって土器を焼いたり、調理をしたりと動きます。これ子供達にバカウケでしょう。
(左)三角形土偶。小さいです。何に使われたのでしょう。(右)古代の着物。色々な繊維や織物も展示されています。シンプルですが、お洒落ですね。
国宝の火焔型土器。レプリカで持てるものもあります。けっこう重いものです。土器を組み立てるパズルもあります。火焔型土器といいますが、私は火と共に水も表しているのではないかと思っています。水流の渦と思われる文様が見られるからです。火と水は人類にとって最も大切なものですから。しかし、美大出身で粘土細工もしたこともありますが、これを作れと言われてもできないでしょう。物凄い技術と表現力です。縄文人の感性と創作レベルの高さに圧倒されます。自然に対する畏敬の念と同調。西洋人と違い日本人には空間恐怖というものがないといわれますが。それは、間を感じられる様になった中世以降の話で、人口も少なく自然と一体となって暮らしていた縄文人の自然観察眼やそれを形にする情動を想像すると、タイムマシンで行って作っているところを見てみたいと思います。
(左)坂上田村麻呂が北国遠征の祈りに安置した守り本尊と伝えられている白雲山長徳寺(千手観音堂)。(右)これは前立本尊でしょう。
1727年(享保12年)創建の真宗大谷派の寺院。焼失後、1848年(嘉永元年)に再建されました。棟梁は篠田總吉(柏崎)。本堂を含む5棟が国登録有形文化財に指定されています。
見事な龍の宮彫り。
木鼻には唐獅子と貘。象は大きな耳が垂れていて笑っているのがほとんど。貘は想像上の動物で耳が立ち毛が荒ぶっています。
激流を遡る鯉。
見事ですね。鯉の激流上りは、すぐ後の北村喜代松に通じるものを感じるのですがどうでしょう。
本堂の内部。欄間の木彫に圧倒されます。雪深い十日町の歴史に感嘆視し堪能し、キナーレ現代美術館に戻り明石の湯に入って長いトンネルを抜けて松代町(まつだいまち)へと向かいました。大地の芸術祭の展示。草間彌生の作品が見どころです。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。