週末も妻女山陣場平へ。積石塚古墳の周りの灌木(かんぼく)の伐採がやっと終わりました。アイスバーンでまだ車では登れません。作業を終えていつもの様に昼過ぎにログハウスへ行くと、Kさんがいました。選定した梅の枝を片付けに来たそうです。昼を食べながら久しぶりに色々な話をしました。
セリバオウレンは、前回より開いていました。セリバオウレンは、キンポウゲ科オウレン属の多年草。葉はすべて根生し、2回3出複葉。雄花と両性花があります。これは雄花。花びらのように見えるのは5枚の萼片で,その内側の淡い黄色の9枚が花弁なのですが、遠目に肉眼で見るとほぼ純白です。
セリバオウレンは薬草で消炎、止血、精神不安などの薬です。健胃(けんい)、健胃、整腸薬として消化不良や下痢止めにも用います。有効成分は、アルカロイド(ベルベリン)、パルマチン、コプチシンなどです。
芹葉黄連という名前の由来は、古代には、カクマグサ、ヤマクサと呼んでいたそうですが、中国名の黄連と、カクマグサ、ヤマクサと同じ植物と間違って、黄連の名をあてたといいます。「本草和名」や「和名妙」に記述があります。また、江戸時代の貝原益軒は「大和本草(1708)」で、「日本の黄連性よし。故に中華、朝鮮にも日本より多く渡る。中華の書に日本産黄連を良とす」と記しています。
積石塚古墳越しに見る貝母(ばいも・編笠百合)の群生地。間にあった灌木を100本以上伐採しました。その後、棘のあるヤマガシュウやノイバラを剪定ばさみで切りました。陣場平がすごく広くなった感じがします。伐採地には、7月に貝母の球根を植える予定です。
陣場平入り口からの貝母の群生地。あちこちに芽吹いているので、踏まないように枯れ葉をどけて小道を作ってあります。
陣場平中央の貝母の群生地。芽吹いたら成長は早いです。しかし、暖冬だった昨年と比べると、10日ほど遅れています。満開は、15〜25日頃になるかも知れません。開花情報は当ブログで逐一アップしていきます。
日当たりの良いところの貝母は、緑色になってきました。枯れ葉が膨らんでいるところは、下に貝母が芽吹いています。
陣場平入り口の西斜面の貝母。毎年最初に芽吹いて開花します。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集) 「季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)」。
天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌の中の一首です。これが貝母のことであるという説があります。貝母は球根の形から、母栗(ははくり)という古名があったそうです。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
ログハウスへ下る道すがら。日向ぼっこするテングチョウとミヤマセセリ。実はヒオドシチョウも初見したのですが、撮影できませんでした。
(左)長野市は、予報ではスギ花粉がやや多めと出ましたが、花粉がついていません。目も痒くありません。ちゃんと山に来て調べて予報を出して欲しいですね。むしろ今は黄砂の方が要注意です。(右)吊りカマスと呼ばれるウスタビガの繭。今シーズンは非常に少ない。鞍骨などの標高の高いところは多かった様です。昨夏の猛暑と関係あるのかも知れません。
ログハウスでKさんとおしゃべりした後、下ります。長坂峠の手前。左側がナラ枯れ病が心配される森です。
長坂峠から斎場山。川中島の戦いで最初に上杉謙信が本陣としたところで、山頂は円墳で平らです。用事を思い出したので駆け下りましたが、驚愕の事態が。なんと椎茸のホダ木が何者かによって盗まれていました。ひどいことをする輩がいるものです。目の前に大日如来の石仏があるのに。なんという罰当たり。この上のカーブに積まれた山桜の丸太もなくなっていました。犯人は薪ストーブを持つものか、薪として売る者でしょう。ごく一部ですが、粗大ごみを不法投棄したり、栽培椎茸を盗む輩もいるのです。しかし、たいてい特定できます。また、仲間を集めてクヌギの伐採をしなければなりません。やれやれです。
翌日、新たに伐採するクヌギを探しに登りました。幸い前回のすぐ近くにいいクヌギを見つけました。苔や地衣類、木材腐朽菌などがついていないことが条件です。もちろん伐採が可能な地域です。伐採することで森が更新され、ギャップができて新たなニッチの鬩(せめ)ぎ合いが始まります。具体的には、草木や樹木の生存競争が始まるのです。伐採されたクヌギも、蘖(ひこばえ)が生まれて成長します。たくさん出た場合は、ある程度大きくなったら最も太いものだけ残して切ります。残ったものが主幹となりいずれ大木となります。
今年初物の山蕗。信州人のソウルフード、スギヨのビタミン竹輪とのかき揚げです。今回は、四国の物産展で買ったじゃこ天も入れた絶品かき揚げ。米は仲間と作ったコシヒカリ。カブの自家製千枚漬け。地大根の酢辛子漬けも手作り。今回はすべて自家製です。春のデトックスプレート。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
セリバオウレンは、前回より開いていました。セリバオウレンは、キンポウゲ科オウレン属の多年草。葉はすべて根生し、2回3出複葉。雄花と両性花があります。これは雄花。花びらのように見えるのは5枚の萼片で,その内側の淡い黄色の9枚が花弁なのですが、遠目に肉眼で見るとほぼ純白です。
セリバオウレンは薬草で消炎、止血、精神不安などの薬です。健胃(けんい)、健胃、整腸薬として消化不良や下痢止めにも用います。有効成分は、アルカロイド(ベルベリン)、パルマチン、コプチシンなどです。
芹葉黄連という名前の由来は、古代には、カクマグサ、ヤマクサと呼んでいたそうですが、中国名の黄連と、カクマグサ、ヤマクサと同じ植物と間違って、黄連の名をあてたといいます。「本草和名」や「和名妙」に記述があります。また、江戸時代の貝原益軒は「大和本草(1708)」で、「日本の黄連性よし。故に中華、朝鮮にも日本より多く渡る。中華の書に日本産黄連を良とす」と記しています。
積石塚古墳越しに見る貝母(ばいも・編笠百合)の群生地。間にあった灌木を100本以上伐採しました。その後、棘のあるヤマガシュウやノイバラを剪定ばさみで切りました。陣場平がすごく広くなった感じがします。伐採地には、7月に貝母の球根を植える予定です。
陣場平入り口からの貝母の群生地。あちこちに芽吹いているので、踏まないように枯れ葉をどけて小道を作ってあります。
陣場平中央の貝母の群生地。芽吹いたら成長は早いです。しかし、暖冬だった昨年と比べると、10日ほど遅れています。満開は、15〜25日頃になるかも知れません。開花情報は当ブログで逐一アップしていきます。
日当たりの良いところの貝母は、緑色になってきました。枯れ葉が膨らんでいるところは、下に貝母が芽吹いています。
陣場平入り口の西斜面の貝母。毎年最初に芽吹いて開花します。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集) 「季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)」。
天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌の中の一首です。これが貝母のことであるという説があります。貝母は球根の形から、母栗(ははくり)という古名があったそうです。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
ログハウスへ下る道すがら。日向ぼっこするテングチョウとミヤマセセリ。実はヒオドシチョウも初見したのですが、撮影できませんでした。
(左)長野市は、予報ではスギ花粉がやや多めと出ましたが、花粉がついていません。目も痒くありません。ちゃんと山に来て調べて予報を出して欲しいですね。むしろ今は黄砂の方が要注意です。(右)吊りカマスと呼ばれるウスタビガの繭。今シーズンは非常に少ない。鞍骨などの標高の高いところは多かった様です。昨夏の猛暑と関係あるのかも知れません。
ログハウスでKさんとおしゃべりした後、下ります。長坂峠の手前。左側がナラ枯れ病が心配される森です。
長坂峠から斎場山。川中島の戦いで最初に上杉謙信が本陣としたところで、山頂は円墳で平らです。用事を思い出したので駆け下りましたが、驚愕の事態が。なんと椎茸のホダ木が何者かによって盗まれていました。ひどいことをする輩がいるものです。目の前に大日如来の石仏があるのに。なんという罰当たり。この上のカーブに積まれた山桜の丸太もなくなっていました。犯人は薪ストーブを持つものか、薪として売る者でしょう。ごく一部ですが、粗大ごみを不法投棄したり、栽培椎茸を盗む輩もいるのです。しかし、たいてい特定できます。また、仲間を集めてクヌギの伐採をしなければなりません。やれやれです。
翌日、新たに伐採するクヌギを探しに登りました。幸い前回のすぐ近くにいいクヌギを見つけました。苔や地衣類、木材腐朽菌などがついていないことが条件です。もちろん伐採が可能な地域です。伐採することで森が更新され、ギャップができて新たなニッチの鬩(せめ)ぎ合いが始まります。具体的には、草木や樹木の生存競争が始まるのです。伐採されたクヌギも、蘖(ひこばえ)が生まれて成長します。たくさん出た場合は、ある程度大きくなったら最も太いものだけ残して切ります。残ったものが主幹となりいずれ大木となります。
今年初物の山蕗。信州人のソウルフード、スギヨのビタミン竹輪とのかき揚げです。今回は、四国の物産展で買ったじゃこ天も入れた絶品かき揚げ。米は仲間と作ったコシヒカリ。カブの自家製千枚漬け。地大根の酢辛子漬けも手作り。今回はすべて自家製です。春のデトックスプレート。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
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★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
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