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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

松代夢空間主催の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」が行われ天城山へ、私がガイドをしました。問題の妻女山展望台(妻女山里山通信)

2022-11-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 松代夢空間主催の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」が行われ、私がガイドをしました。春は貝母(編笠百合)が満開なので、陣場平の貝母見学に時間を多くとったためコースは短めでした。今回は天城山(てしろやま)までの紅葉狩りなのでコースは長め、急登も二ヶ所ほどあります。

 ほぼピーカンの晴天ですが冷え込みました。9時の集合時間の気温は4度ぐらいでした。日陰にいると本当に寒いです。挨拶して注意事項を少し。出発です。

 ガマズミ(莢蒾)の赤い実。抗酸化作用のあるガマズミ酒の話をしました。所々で植物や昆虫や歴史の話などをしながら登ります。

 アオツヅラフジ(青葛藤)の青い実。有毒ですが薬草でもあります。つる植物なのでこのつるを集めて工芸品を作る人もいます。万葉集では黒葛(つづら)という名で登場します。
「駿河の海 おしへに生(お)ふる 浜つづら 汝(いまし)を頼み 母に違(たが)ひぬ」東歌
(駿河の海に生えている浜つづらのように、長くいつまでもそなたを頼りにしていて母と仲違いしてしまった)

 ゆっくり歩いて20分ほどで長坂峠。黄葉は榎(えのき)。国蝶のオオムラサキの幼虫の食草であることなどを説明しました。遠くに目的地の天城山方面が見えます。見えているのは芝山です。この20mほど左に清野から土口に抜ける東風越えという旧道がありました。洪水時には松代藩の大名行列が超えたという斎場越し。例えば善光寺街道は道幅二間(3.6m)、松本藩の差切峡の旧道も1.5間(2.4m)で、けっこう広いのです。人ひとりがやっと歩けるような登山道では無かったのです。
 さらにここでは、妻女山でも深刻な松枯れ病の原因の多くが排気ガスであることや、松枯れ病対策のネオニコチノイド系農薬の空中散布で昆虫が絶滅したことや、ネオニコの散布を止めさせた話、復活まで何年もかかった話などをしました。ベトナム戦争の枯葉剤とほとんど同じ成分のラウンドアップやグリホサート剤の危険性も。当ブログでも何度も記事にしています。

 記事でも何回か紹介している見晴らしのいい場所。山座同定などを。戌ケ瀬や猫ケ瀬など戦国時代の地名や千曲川の流れを解説しました。

 天城山林道を歩いて、芝山と天城山の鞍部で急登をこなして尾根で休憩です。南面はケヤキが多く黄葉が光っています。篠ノ井の地名のもとになった高句麗の帰化人の話なども。

 ここから東へ急登をこなして天城山山頂へ。今回の最高地点です。標高は694.6m。登りはじめの妻女山の駐車場が411mですから、標高差284mとなります。山頂は坂山古墳という円墳で天井の石は失われており盗掘もされています。明治時代に、塚掘り六兵衛(北村六左衛門)という不届き者がいて盗掘しては出土品を売り払い酒代に替えていたそうです。

 妻女山方面へ下ります。かなりの急斜面です。これを下るとダンコウバイの美しい黄葉の間から白馬三山が見えました。

 堂平大塚古墳へ。ちょうど持ち主のKさんご家族がいらしたので見学をお願いしました。みなさんには古墳の中まで入って見学してもらいました。Kさん一家の話や、戦前に住んでいた乃木希典の軍隊で軍曹をしていた山岸義十郎(漢字不詳)やここに住みたいと打診してきた川島芳子の話や、皇太子時代に見学に来た大正天皇の話などをしました。

 最後は陣場平へ。川中島の戦いで上杉軍が七棟の陣小屋を建てて本陣としたと伝わることや一基だけある高句麗人の積石塚古墳の話し、貝母の話しなどを。貝母を発見するきっかけになった菱形基線測点も紹介しました。貝母の見頃は、4月の10〜20日頃であることや、当ブログで開花状況を発信していることなども。帰化植物の除去などの大変さも。そして、下山しました。予定より30分オーバーでしたが、満足いただけたのではないでしょうか。

 温泉に入って再び妻女山に戻りました。戊辰戦争の戦没者を祀る松代妻女山招魂社(妻女山松代招魂社)。劣化が激しく瓦が落下したため、危険なので現在は参拝できなくなっています。奉賛会も高齢化している様ですし、クラウドファウンディングを始めるとかなにか対策が必要でしょう。

 問題の妻女山展望台へ。樹木が大きくなり松代城が見えなくなってしまいました。複数の県内外の観光客や歴史マニアに苦情を言われました。加えて老朽化で階段や展望台の木材の塗装が剥げ割れています。大勢の人が訪れる場所なのに長野市の管理が杜撰すぎます。偶然であった引っ越してきた女性が展望台へ登り始めたら怖くなって戻ったとか。直後に私が登っていたので行けるのねと登ってきた。話をすると、これは本当に酷いですねと。別の女性は床板が無いことに気づかず登ってきて転びそうになったことも目撃しています。本当に危険です。

 加えて展望台の川中島合戦図が、あまりにもデタラメで間違いだらけの上、実際の風景と全くリンクしないため、どこがどこやら全く分からないのです。これも度々苦情を言われています。夢空間の代表もこれは酷いなと。戦国時代の地名ならば現在地は妻女山ではなく赤坂山です。また戦国時代には妻女山という名の山はありません。斎場山です。鞍骨城の位置も完全に間違っています。長野市にメールをして担当課長の返事を待っています。この様なメールを出したのは初めてではありません。約10年前に同様の苦情が出て市に伐採してもらいました。しかし翌年にはひこばえが出て、10年後にはまた同様の事態になってしまったというわけです。課長や職員も代わったでしょうから全く問題が継承されていないのでしょう。いわゆるお役所仕事というものですね。それでは、訪問者の安全は守れません。

 展望台から左に茶臼山。右奥に虫倉山。そこまでが松代藩の領地です。右へ陣場平山。富士ノ塔山と続きます。眼下の長芋畑ではつる壊しやつる燃やしが始まり、長芋掘りも始まっています。

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本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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