梅雨の貴重な晴れ間の山仕事の帰りに、妻女山展望台から大パノラマ写真を撮影しました。この妻女山展望台のある赤坂山は、江戸時代の「川中島八景」のひとつ、妻女山秋月に挙げられています。ちなみにあとの七つは、茶臼山暮雪、猫ケ瀬落雁、千曲川帰帆、八幡原夕照、勘助塚夜雨、典厩寺晩鐘、海津城晴嵐です。またここは、「信州サンセットポイント百選」に選ばれています。妻女山秋月の名のごとく、秋の鹿島槍ヶ岳に沈む夕日の美しさは想像を超えるものがあります。
パノラマ写真は、もちろんワンカットではなく十数枚の写真の合成ですが、光の方向と加減がよかったので割と巧くできました。写真を別ウィンドウかタブで開いて下記の文章と照らし合わせてください。左がほぼ真西、右端がほぼ真東になります。正面は北です。
左端の手前の尾根は、斎場山から北へ延びる韮崎。奥の山は千曲川左岸西山の篠山の尾根。その鞍部右へ青い帯の右に丸い山頂の茶臼山。左の突起が崩壊した有旅茶臼山で、武田信玄にちなんだ石碑があります。右へ白い崖が見えるところが中尾山。右へ犀川まで低い山脈が続きます。
茶臼山の奥は、神話の山・虫倉山。右へ中世の山城がたくさん残る陣場平山。下って鞍部の向こうに中腹だけ見える戸隠連峰。手前右の山塊は富士ノ塔山。右奥に長野市民に親しまれている飯縄山。標高1917mなので「ひくいな」なんていわれますが、今の季節のお花畑はなかなかのものがあります。手前の山は、旭山、大峰山など、やはり中世の山城跡が残る山々が続きます。土豪が群雄割拠した川中島では、周囲の山々は山城だらけなのです。また、南部は古代科野国の発祥の地でもあったため古墳の数も相当なものがあります。
その右奥には、飯山への谷。右奥に高社山から志賀高原の山々。手前金井山から右へ謙信が超えたという候可峠を経て尼巌山から奇妙山、手前には松代城跡のある松代の街。奇妙山から右へ立石岳。その手前にこの地の産土神が祀られるプリン型の皆神山。松代城跡の北西の角にある爐台には、松代藩の御用絵師が描いた城から見た川中島の風景画が展示されていて、実際の風景と照らし合わせて見る事ができます。カメラのない時代、御用絵師は藩の記録係でもあったのです。
写真中央には冬季オリンピック長野大会の開会式が行われた野球場が見えます。この一帯は合戦場という町名もあるように川中島合戦の激戦地といわれ、野球場のある公園の敷地には山本勘助の石碑もあります。さらに右へたどると手前のハリエンジュに隠れて八幡原古戦場。続いてスケート競技が行われたホワイトリングやMウェーブも見えます。
今度は梅雨明けに、北アルプス(鹿島槍ヶ岳・白馬三山)や戸隠連峰が見える大パノラマを撮影したいと思います。北アルプスのパノラマ写真は、MORI MORI KIDS Nature Photograph Galleryのこのページにもあります。このパノラマ写真のさらに大きな画像もあります。山座同定があるカットもあります。ぜひご覧ください。
★妻女山の詳細は、妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をご覧ください。