私は、ずーと三角のおむすびを作ってきました。
崩れないように、ぎゅっとむすんだ三角おむすび。
息子が最後に食べたのも、そんな三角おむすびでした。
初女先生のおむすびを食べた時、おむすびってこんなにふっくら
しているんだと、驚きました。
先生に教えて頂き、やってみたのですが丸いおむすびにならず、
どうしても三角おむすびになってしまうのです。
先生は「私は三角が出来ないの。丸くなっちゃうの」と言ってました…、
それから、丸いおむすびを目指してきました。何とか丸く
にぎれるようになっても、今度はふっくらが難しいのです。
ふっくらだけれど、食べて崩れないというのが…
これが出来ず、とうとう息子に「お母さんのおむすび、崩れるから
もう、作らなくていいよ。」と言われてしまいましたが、それでも
ひたすら、作り続けました。
そしてやっと、ご飯の炊き方に一つの鍵があると分かったのです。
今ようやく、先生のふっくらにはほど遠いですが、丸くてそれ程
堅くなく、崩れないおむすびに、たどり着きました。
初女先生の新刊「あなたに喜んでもらえるように」の本の片隅に
先生がおむすびを結んでいる手の写真がありました。
そういう写真は、今まで何度も見ているので珍しくもなかった
のですが、写真に添えられている言葉に、はっとさせられました。
「おむすびをにぎる手は「心」の形です」と書いてあったのです。
実際に作ってみると、本当に「心」のかたちをしているのです。
三角おむすびは心のかたちにはなりません。
おむすびは「心」の形なんだ!と思って作ったら、少しふっくらが
初女先生に近づきました。
先生は、「おむすびをにぎる時、食べてもらう人のことを思って
にぎられるんですか?」という質問をうけると、「私は美味しく
できるように、一心に作っています」と言われます。
もう、にぎる手が心そのものになっているのですから、真っ直ぐに
心に届く「おむすび」になるのですね。
「心」をかたちにしたのが、初女先生の「おむすび」なんですね。
崩れないように、ぎゅっとむすんだ三角おむすび。
息子が最後に食べたのも、そんな三角おむすびでした。
初女先生のおむすびを食べた時、おむすびってこんなにふっくら
しているんだと、驚きました。
先生に教えて頂き、やってみたのですが丸いおむすびにならず、
どうしても三角おむすびになってしまうのです。
先生は「私は三角が出来ないの。丸くなっちゃうの」と言ってました…、
それから、丸いおむすびを目指してきました。何とか丸く
にぎれるようになっても、今度はふっくらが難しいのです。
ふっくらだけれど、食べて崩れないというのが…
これが出来ず、とうとう息子に「お母さんのおむすび、崩れるから
もう、作らなくていいよ。」と言われてしまいましたが、それでも
ひたすら、作り続けました。
そしてやっと、ご飯の炊き方に一つの鍵があると分かったのです。
今ようやく、先生のふっくらにはほど遠いですが、丸くてそれ程
堅くなく、崩れないおむすびに、たどり着きました。
初女先生の新刊「あなたに喜んでもらえるように」の本の片隅に
先生がおむすびを結んでいる手の写真がありました。
そういう写真は、今まで何度も見ているので珍しくもなかった
のですが、写真に添えられている言葉に、はっとさせられました。
「おむすびをにぎる手は「心」の形です」と書いてあったのです。
実際に作ってみると、本当に「心」のかたちをしているのです。
三角おむすびは心のかたちにはなりません。
おむすびは「心」の形なんだ!と思って作ったら、少しふっくらが
初女先生に近づきました。
先生は、「おむすびをにぎる時、食べてもらう人のことを思って
にぎられるんですか?」という質問をうけると、「私は美味しく
できるように、一心に作っています」と言われます。
もう、にぎる手が心そのものになっているのですから、真っ直ぐに
心に届く「おむすび」になるのですね。
「心」をかたちにしたのが、初女先生の「おむすび」なんですね。