今朝の「日曜美術館」はミレーでした。
ミレーの絵は、観ていると心静かになるなと思いましたが、
私の中では、その程度で留まっていました。
ところが、この番組で私はミレーに釘づけになってしまいました。
ミレーの絵の紹介になんと岩木山が出て来たのです。
なんで?と思って見ていると、あの奇跡のリンゴの木村さんがミレーの
絵の解説をしたのです。
農民から見たミレーを…
それは、私達にはない視点でした。
落ち穂拾いの農民の手が赤くなっているのです。
働いてきた手です。
種まく人の農夫の手は、もみを少しでも広く遠くに蒔こうとする、
その瞬間の手でした。
ミレーは大地の画家と呼ばれたそうです。
ミレーの絵の中の農民の手を見ていたら、初女先生の手を
思い出しました。
先生の手も、働いて働いて働いてきた手です。
その先生の手に握られた時、悲しみも苦しみも先生の手が吸い取って
くれるような気持ちになります。
大地の画家ミレーと母なる大地を感じさせてくれる初女先生が
重なりました。
ミレーの最後の作品は、親友のルソーを失い絵が描けなくなった
ミレーが、5年の歳月をかけて描いた「春」という作品でした。
私はこの絵がとても心に響いてきました。
明るく、観ていると心が穏やかになって来るようで、勝手に
これは「神様のお庭」かしらと思いました。
イスキアに初めて行った時、天国ってこういうところかしら?と思った
あの時の気持ちが蘇りました。
ミレーはローマ法王から依頼を受けた「聖母」の顔も、農民の顔に描き
買い取ってもらえなかったそうです。
どこまでも、大地の画家だったんですね。
ミレーに影響を受けた、青森の写真家「小島一郎」の写真が又、
すばらしいのです。
ミレーのいたバルビゾンと青森が重なり、ミレーの絵に初女先生を
見出したような気がしました。
そして、ミレーが私に神聖な朝をもたらしてくれました。
来週の再放送で、もう一度ミレーに会おう!
ミレーの絵は、観ていると心静かになるなと思いましたが、
私の中では、その程度で留まっていました。
ところが、この番組で私はミレーに釘づけになってしまいました。
ミレーの絵の紹介になんと岩木山が出て来たのです。
なんで?と思って見ていると、あの奇跡のリンゴの木村さんがミレーの
絵の解説をしたのです。
農民から見たミレーを…
それは、私達にはない視点でした。
落ち穂拾いの農民の手が赤くなっているのです。
働いてきた手です。
種まく人の農夫の手は、もみを少しでも広く遠くに蒔こうとする、
その瞬間の手でした。
ミレーは大地の画家と呼ばれたそうです。
ミレーの絵の中の農民の手を見ていたら、初女先生の手を
思い出しました。
先生の手も、働いて働いて働いてきた手です。
その先生の手に握られた時、悲しみも苦しみも先生の手が吸い取って
くれるような気持ちになります。
大地の画家ミレーと母なる大地を感じさせてくれる初女先生が
重なりました。
ミレーの最後の作品は、親友のルソーを失い絵が描けなくなった
ミレーが、5年の歳月をかけて描いた「春」という作品でした。
私はこの絵がとても心に響いてきました。
明るく、観ていると心が穏やかになって来るようで、勝手に
これは「神様のお庭」かしらと思いました。
イスキアに初めて行った時、天国ってこういうところかしら?と思った
あの時の気持ちが蘇りました。
ミレーはローマ法王から依頼を受けた「聖母」の顔も、農民の顔に描き
買い取ってもらえなかったそうです。
どこまでも、大地の画家だったんですね。
ミレーに影響を受けた、青森の写真家「小島一郎」の写真が又、
すばらしいのです。
ミレーのいたバルビゾンと青森が重なり、ミレーの絵に初女先生を
見出したような気がしました。
そして、ミレーが私に神聖な朝をもたらしてくれました。
来週の再放送で、もう一度ミレーに会おう!