佐藤初女さんが亡くなって10か月が経ちました。
生涯の師を失い、動けなくなった時期がありました。
それでも、立ち上がり一歩を踏み出さなければと
思い、歩き出したと思っていました。
行動はしていましたが、精神は依存のままだった
のかもしれません。
ずーと、初女先生に「気づきをお与え下さい」と
祈っていたのですから…
でも、気づきは与えらえるものではなく、自ら
気づいていくものだと、気が付いた途端に
どっか~んと、一生ものの気づきを得たのです。
人生ってそういうものなのかもしれません。
そうしたら、するするって人生のこたえ
数学で言うなら、解への道が見えてきたのです。
私は、どうしてらいいか分からなくなった時
初女先生に「どうしたらいいの~」って聞いて
いました。
明確に、言葉が降りてくることは何回か
ありましたが、時間が経ってから
これが、先生のお答えだったんだとわかることが
殆どでした。
問題にぶつかった時にどうしたらいいか
その答えがわかったのです。
そこに「愛」があるか?ということ
「愛」がある行動をとれるかということなんだ
初女先生の「愛」の深さが、やっとわかって
来ました。
先生が亡くなった今、初女先生の「愛」は
誰の上にも注がれるということだと思います。
今、先生の本を開いたら、いきなり初女先生の
お好き(心に響く)だった聖句が出て来ました。
『愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、
恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み
すべてに耐える。
愛は決して滅びない
(コリントの信徒への手紙)』
今、この聖句を打ち込みながら、涙が溢れて
きてしまいました。
ここにある愛は、初女先生の「愛」そのものだから…