「祈り」と「願い」は、違うと思うのですが、
どうも、はっきりしないのです。
祈っているつもりが、いつの間にかお願いに
なっていたり…
初女さんとランディさんの対談「深き森の語らい」の時に
ランディさんが同じ様なことを言ってました。
祈りが分からなくて、2回目にイスキアに行った時に
「祈りというものが何なのか分からないんです」と
初女さんに質問したそうで、
「あの時は、お願いといっしょくたんになっていたんだと
思います。」と言われたランディさんに初女さんは
「祈りって、やっぱり自分を超えたところですね。
自分があるうちはダメでないかって、いつも思うんですよ
だから、自分が無くなったところで本当のお答えが
出て来るように思うんですね。」と言われ
ランディさんの「でも、自分はありますよね。こうして。」
という問いに、初女さんは「そう、かたちはね。
でもねぇ、私、という言葉を超えた、いのちの筋って
いうようなものが心の奥に、あると思いますね。」と
とこたえられているのです。
多分、これはとっても重要なことだと思うのですが
まだ、私にはわかりません。
初女さんは別の本でも「心の中には言葉を超えた
いのちの筋があります。
ことばを超えなければね。」と書いています。
いのちの筋ってなんだろう…
体験から生まれている、初女さんの言葉は
自分が体験しなければわからないのです。
「祈り」と「願い」は違う
でも、そこからさらに深く求めていくのが初女さんが
歩いて来た道なんだ…
初女さんからの宿題が、また一つ天から降りてきた