~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

今日という日

2010-11-11 20:42:45 | 日記
私は厚い鍋でご飯を炊いています。

いつもふたを開ける時、ちょっとドキドキします。

うまく炊けたかなーって…

今朝は、真ん中が盛り上がりふっくら炊けました。お弁当のおかずに

作った、初女先生のいんげんの炒めも美味しくでき、それだけで

今日はいい日と思えました。

私がいい日と思えたのは当然です。

11月11日は、イスキアに鐘が届いた日です。

イスキアの鐘の第二のお誕生日です。

16年目の今日、初女先生は長い時間を掛けて一本一本のネジ釘を

抜かれ、76本の釘をすべて抜き終わった時には、外はうっすらと

明るくなっていたそうです。

遠くアメリカから来た鐘が、イスキアの鐘になった日です。

ガイアシンフォニー二番の初女先生の映像の最後に

「その鐘を打つ者は誰れぞ そは汝なりき」という言葉が私達の心を

とらえます。

最初は遠くに感じていたこの鐘が、自分のすぐ傍にあるように

思えるようになり、今私は、心響いた者として、この鐘を鳴らし

続けたいと思っています。

今朝、イスキアの鐘のお誕生日おめでとうございます!と先生にFAX

したら、先ほど「今朝ほどはよろこびのFAXを有難うございます」

という、優しい字のお返事がきました。

今日の森は非常に寒かったとありました。

イスキアの鐘もまた、厳しい自然の中にかえっていくのですね。

「その鐘を打つのはだれでもない。あなたなのですよ。」

と言う初女先生の声が聞こえてくる気がします。

イスキアの鐘さん お誕生日おめでとう!





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地球家族

2010-11-10 23:25:57 | 日記
ニューヨークから帰って来た人が「日本ってやっぱり島国なんだよね

島国として生きて行くのが、これからの道なのかしら」と言って

いました。

島国かー…

島は好きだけれど島国と言われると、ちょっと溜息がでそうです…

初女先生は、「これからの人たちは人種や国、宗教という境界線

を超えて繋がっていくことが大事なんではないでしょうか。

日本は島国なので、どうしてもそういう境界線を気にしがちです。

ヨーロッパなど行くと、知らないうちに隣の国に入っていたりする

でしょ。あの感覚が日本人には残念ながら足りないように思うのです。

 でも、これからはみんな同じ「地球」という家に住んでいる一つの

「家族」だという意識をもったほうがいいのではないかと思ってます。」

と言われています。

地球家族か!すべてが繋がっているってことですよね。

89歳の初女先生の心に学ぶべし!ですね。
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道端において行く

2010-11-09 21:20:10 | 日記
先日、初女先生の講演会を10年もやってこられたKさんに

お会いしました。

私が心から敬愛する方です。

そのKさんが、講演会が終わった後、二人きりの時に

初女さんに、「Kさん、やったことは道端において行くんだよ

知らない処で咲く花が一番美しいんだよ」と言われたと教えて

くれました。

「やったことを道端において行く…」

初女先生は、本当にこの言葉の通り生きて来られました。

私がどんなに先生に感謝し、先生に出会ってなかったら今の私は

ない。と言っても、先生はいつも黙って聞いているだけでした。

もし、私が先生の立場だったら「有難う。そういってもらえると

私も嬉しいわ」なんて言うと思います。

先生は、見事なまでもやったことをさり気なくおいて行かれます。

羽田に先生をお送りする時、先生は決して振り向きません。

(過去2回だけ振り向かれましたが)

見送る、私達に背を向けゲートに入って行かれる時、先生はもう次の

一歩を踏み出されているようです。

自分のやったことに、執着せず知らない処で咲く花が美しいと言われる

初女先生…

先生の知らない、花園が地球のあちこちに出来ています。

今私に、このタイミングでこの言葉が来たことは何か意味のあること、

心から受け止めなければ!

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ボクネンさん

2010-11-08 18:11:05 | 日記
昨日は、東京のボクネンズアートにボクネンさんが来られる

というので、行ってきました。

去年はお会いしなかったから、二年ぶりです。

ボクネンさんとは、初女先生と出会う二か月前に出会いました。

息子の姿を追う求めていた私が、ここにあの子がいる!と思ったのが

ボクネンさんの絵の中だったのです。

もう、その作品はすべて売れてなかったのに、私の祈りの様な願いを

聞いて下さり、刷って彩色をして下さったのです。

あれから、7年。

ボクネンさんに会うたびに、「ボクネンさん、私元気になったよ!」

といって泣いていた私です。

昨日は、バリバリ元気で行ったのに「ボクネンさん、私元気になったよ。

ボクネンさんが映画で言っていた、幸せの方が多いんだよっていうの

本当だった。悲しい辛ことが私を支え、そのことが私の核になっている」

と、泣きながら言ってしましました。

ボクネンさんは「俺も泣きそうだよ」と言いながら「強くなったなー」

と言ってくれたのです。

7年間、会う度に泣く私を温かく見守っていてくれたボクネンさんです。

人の思いに支えられ見守られていたから、ここまでこれたんだなーと、

心から思いました。

ボクネンさんの絵の中にいたと思っていた息子は、今私と共にいます。

一緒にボクネンさんの作品に、心打たれています。

ボクネンさんの大きな手に包まれ、私は益々元気になって帰って

来ました。

有難う!ボクネンさん
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ミレーの絵と初女先生

2010-11-07 22:08:23 | 日記
今朝の「日曜美術館」はミレーでした。

ミレーの絵は、観ていると心静かになるなと思いましたが、

私の中では、その程度で留まっていました。

ところが、この番組で私はミレーに釘づけになってしまいました。

ミレーの絵の紹介になんと岩木山が出て来たのです。

なんで?と思って見ていると、あの奇跡のリンゴの木村さんがミレーの

絵の解説をしたのです。

農民から見たミレーを…

それは、私達にはない視点でした。

落ち穂拾いの農民の手が赤くなっているのです。

働いてきた手です。

種まく人の農夫の手は、もみを少しでも広く遠くに蒔こうとする、

その瞬間の手でした。

ミレーは大地の画家と呼ばれたそうです。

ミレーの絵の中の農民の手を見ていたら、初女先生の手を

思い出しました。

先生の手も、働いて働いて働いてきた手です。

その先生の手に握られた時、悲しみも苦しみも先生の手が吸い取って

くれるような気持ちになります。

大地の画家ミレーと母なる大地を感じさせてくれる初女先生が

重なりました。

ミレーの最後の作品は、親友のルソーを失い絵が描けなくなった

ミレーが、5年の歳月をかけて描いた「春」という作品でした。

私はこの絵がとても心に響いてきました。

明るく、観ていると心が穏やかになって来るようで、勝手に

これは「神様のお庭」かしらと思いました。

イスキアに初めて行った時、天国ってこういうところかしら?と思った

あの時の気持ちが蘇りました。

ミレーはローマ法王から依頼を受けた「聖母」の顔も、農民の顔に描き

買い取ってもらえなかったそうです。

どこまでも、大地の画家だったんですね。

ミレーに影響を受けた、青森の写真家「小島一郎」の写真が又、

すばらしいのです。

ミレーのいたバルビゾンと青森が重なり、ミレーの絵に初女先生を

見出したような気がしました。

そして、ミレーが私に神聖な朝をもたらしてくれました。

来週の再放送で、もう一度ミレーに会おう!
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おむすび

2010-11-06 08:01:57 | 日記
私は、ずーと三角のおむすびを作ってきました。

崩れないように、ぎゅっとむすんだ三角おむすび。

息子が最後に食べたのも、そんな三角おむすびでした。

初女先生のおむすびを食べた時、おむすびってこんなにふっくら

しているんだと、驚きました。

先生に教えて頂き、やってみたのですが丸いおむすびにならず、

どうしても三角おむすびになってしまうのです。

先生は「私は三角が出来ないの。丸くなっちゃうの」と言ってました…、

それから、丸いおむすびを目指してきました。何とか丸く

にぎれるようになっても、今度はふっくらが難しいのです。

ふっくらだけれど、食べて崩れないというのが…

これが出来ず、とうとう息子に「お母さんのおむすび、崩れるから

もう、作らなくていいよ。」と言われてしまいましたが、それでも

ひたすら、作り続けました。

そしてやっと、ご飯の炊き方に一つの鍵があると分かったのです。

今ようやく、先生のふっくらにはほど遠いですが、丸くてそれ程

堅くなく、崩れないおむすびに、たどり着きました。

初女先生の新刊「あなたに喜んでもらえるように」の本の片隅に

先生がおむすびを結んでいる手の写真がありました。

そういう写真は、今まで何度も見ているので珍しくもなかった

のですが、写真に添えられている言葉に、はっとさせられました。

「おむすびをにぎる手は「心」の形です」と書いてあったのです。

実際に作ってみると、本当に「心」のかたちをしているのです。

三角おむすびは心のかたちにはなりません。

おむすびは「心」の形なんだ!と思って作ったら、少しふっくらが

初女先生に近づきました。

先生は、「おむすびをにぎる時、食べてもらう人のことを思って

にぎられるんですか?」という質問をうけると、「私は美味しく

できるように、一心に作っています」と言われます。

もう、にぎる手が心そのものになっているのですから、真っ直ぐに

心に届く「おむすび」になるのですね。

「心」をかたちにしたのが、初女先生の「おむすび」なんですね。
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癒しから自立へ

2010-11-04 20:56:23 | 日記

日常生活の中で、やたらと「癒し」という言葉がでてきます。

「癒し」という言葉がこんなにも遣われるようになったのは

いつからだろう…

癒しグッズは、こんなものまでというほどあるし、人に対してまで

今や「癒し系」などと言います。

癒しがこんなにも持て囃されるほど、人は病んでいるのだろうか…

初女先生を知っていると言うと、「初女先生といると、癒されるでしょう」

「イスキアに行くと癒されるでしょう」と言われますが、私は「違うん

だよなー」と心の中で呟いています。

初女先生は「人が他の人を癒すということは、出来ることではないと

私は思います。癒しとは、自らの気づきから起こってくる

ものなのです。」と言われています。

初女先生に会うと、癒されるというより、深い気づきにより

自分の中に眠っていた力が目覚め、自分の足で立ちあがれる気が

するんです。

初女先生をよく知る3人で、話していた時一人の人が「もう、癒しの

時代は終わったんだよ。これからは、自立の時代だと。」と

言われました。

そして、先生の新しい本「あなたに喜んでもらえるように」は自立の

本だよ!と…

この本を読むと希望が湧いてくるのはその為か、と納得しました。

いつまでも、地球に癒してもらってばかりはいられない、これからは

一人ひとりが自立をして行かなくては…

自立のためのバイブルを、私達は手にしたのだから!

癒しの時代から、自立の時代に地球が動き出したようです。

さあ!イスキア号の船出です。
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お役目

2010-11-03 21:51:31 | 日記
昨日のブログに頂いたコメントに、「みんな、何かしらお役目を持って

生れて来ているんですよね。そのお役目探しが難しなー」と

書きました。

私は、子供を亡くしあれだけの悲しみを体験した者に課せられた

お役目ってあるんだろうなと思っていました。

それはあるとは思いますが、誰もに与えられた大切なお役目がきっと

あるように思えるんです。

初女先生の「あなたに喜んでもらえるように」の中に、講演会に

来ていた一人の男性が、「いのちって、どいういことですか?」と

言われ、先生が「生きることですよ。」と言うと「生きることって

どういうことですか?」と聞かれたので「人は誰かに仕える為に

生れてきた、と言われてますので、人のお役に立つように生きること

です」と答えたら、その男性は「はい!わかりました!」と言って

足取りも軽く帰って行かれたと書いてありました。

すべての人に与えられている、一番大切なお役目は「母の心」を

持って人のお役に立つように生きることかしら…

初女先生は、「自分のやりたいことが見つからないという相談を

よく受けるけれど、何をしようかとか、自分が何をしたいのかと

考える前に、今このとき、自分の目の前にあることに忠実に心を

込めて動くことで、答えは自ずと出てきます。

動くこと、行動に移すことが何より大切なんです」と言われています。

お役目探しは難しい!なんて言う前に、目の前にあることを、

なんですね。

そして、母の心をもっていれば解決出来ない事はない!ということ

なんですね。

「いのちとは生きること
  
       人の役に立つように生きることです
                        佐藤 初女」
                
                
            



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母の味

2010-11-02 19:35:26 | 日記
先日、職場に福祉体験に来た中学生とお昼を食べました。

彼らのお弁当を見て、え!っと思ってしまいました。

おかずに、火を通したものがあるのだろうかと探してしまうほど

でした。

冷凍食品と後はソーセージなど切ったものが入っていました。

野菜は見当たりませんでした。

お弁当は空腹を満たすものであればいいのだろうか…

確かに朝の忙しい中でのお弁当作りは大変ですが、でもお弁当って

親の愛情が伝えられるものかもしれないって、気がするのです。

今は幼稚園でも、給食のない処は園児が集まらないと聞きます。

給食設備のない幼稚園は、仕出し弁当や菓子パンがでるそうです。

本当に89歳の初女先生が「食はいのち」と日本中を歩いているのが

わかります。

初女先生は「母の味を知っている子と知らない子では、成長の過程で

やはり違ってくると思います。

既製品ばかり与えられて、「母の味」を知らずに育った子は、

お腹はとりあえず満たされても、心は満たされることがないようです」

と言われています。

私たちの「いのち」は食によって支えられ、そしてその食は心にも

働きかけてくれるということが、なおざりにされてきている気が

します。

いのちのある食がいのちを育んでくれるということを、伝えて

いかなければ…

初女先生の行脚はまだまだ続きそうです…

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初女先生ってすごい!

2010-11-01 19:21:50 | 日記
初女先生を初めて羽田にお迎えに行った時、時間がなくて

一緒にいらした方が、「先生、お昼ここでいいかしら」と言って

ファミレスよりもっと雑多な感じの処に入ったので、私は「食はいのちの

初女先生がこんなお店で食事をするの?」と驚いてしまいました。

しかし先生は、全く嫌な顔もせず「スパゲティー」と頼まれ、残さず

きれいに召しあがったのです。

その時、驚いたのと同時に、初女先生ってすごい!と思いました。

次の時は、やはり羽田で前よりもっと簡素なお店で、サンドウィッチ

とカレーとコーヒーとビールくらいしかない、カフェに入った時

私もお腹がすいていたのですが、頼むものがなくて困っていたら、先生

が即座に「カレー」と言われたのです。

先生がカレーを頼むのなら、私も頑張ってカレーを頼むぞーと、

オーダーしたのですが、レトルトの方が美味しいのではという味

でした。

でも、先生は何でもない顔をしてきれいに召しあがったのです。

私は改めて、佐藤初女さんという人の凄さを知った気がしました。

先生の本に、なぜそう出来るのか、答えが書いてありました。

  「私は食事を大切にしていますが、特に、何々でなければという

   こだわりはありません。

   外出先で相手の方が用意してくださる食事は、たとえ、それが

   コンビニのおむすびであっても有難くいただきます。

   なぜなら、そのときの相手の方の心遣いを大事にしたいから

   です。」

とありました。

初女先生はどんな時にも、相手のこころを大切にされる方

なんですね。

どこをとっても、初女先生の生き方が見えてきます。

本当に、こういう方に私は今まで会ったことがありません。

初女先生ってすごい!

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