ずっと考えていました。
苦しみの中にあっても、「今 ここ天国」って
感じられるのは、初女さんのように確かな信仰が
ないとダメなのかなって…
朝、ごみを捨てに行くとき空を見上げて、
そのことを考えていたら突然言葉が降りて来ました。
「感謝で生きる」って…
えっ、感謝で生きる?と驚いている私に
波が押し寄せるように、「どんな時にも感謝は
ある」という次の言葉が来たのです。
そうか~苦しみの中にあっても、感謝すべき
ことはあるもの…
苦しみの中にある時ほど、感謝が深くなるのかも
しれない
初女さんは、感謝なしには前に進めないって
言われていたもの…
苦しい時ほど、日常の当たり前と思ってることが
有り難いと感じるし…
「真の幸福は、苦しみの中にあってこそ実感
出来るものです。」という初女さんの言葉が
とても近くに感じられました。
そうだ!今年の目標は「感謝で生きる!」で
行こう、そう思った途端に「今 ここが天国」
を感じた私です。
10月に田口ランディさん達と開催した
「いのちのエール」がご縁で、1月6日に
おむすび講習会を行うこととなりました。
初女さんが亡くなってから、おむすびをやることは
ないだろうと、道具をみんな処分しようと思って
ました。
ランディさんに背中を押されやった
おむすび講習会が、このように繋がるとは…
初女さんが、やっていいわよと言ってくれて
いる気がしています。
初女さんから「おむすびは簡単でないんだよ」と
何度言われたことか…
そして、その後に「ご飯の炊き方が一番なの」と
本当に、ご飯の炊き方は難しいです。
お米の給水と水加減
気温や水温、お米の産地や種類によって
違ってくるし…
そうやって見ると、お米のひと粒一粒がいのちだと
思えるのです。
そして、炊き上がったお米のひと粒一粒が
呼吸できるように結ぶ
文章で書くのは簡単だけれど、実際に結んで
みると、なかなか難しいのです。
最初は、食べるとおむすびが割れてしまって
子供に「お母さんのおむすび、爆発する」って
言われてました。
初女さんのおむすびは、口の中でご飯が
ほどけるのです。
おむすびって、ぎゅっと結ぶものだと思って
いたので、驚きでした。
初女さんは「おむすびは、シンプルだから難しい」
と、言われていました。
初女さんがおむすび講習会を始めた頃は
おむすびを習いに行くなんて…と言われた
そうです。
おむすびなんて、誰でも出来る簡単なものだと
思われますよね。
でも~なのです。
私が、青森だったか北海道だったかの
おむすび講習会に参加した時、ベテラン主婦の
人たちが、初女さんが説明しおむすびを結び
終わったら、ベテラン主婦さんも作り終わって
いたのです。
お話を聴かずに、自分たちのやり方で
結ばれていました。
びっくりしましたが、おむすびへの意識って
普通はそんなものなのかもしれません。
先日、コンビニのおむすびを食べたら、硬くて
驚きました。
みんなこんな硬い、お米が窒息しそうな
おむすびを食べているんだと…
私は、初女さんのようには結べないけれど
初女さんが言われていたことを、少しでも
お伝えして、一緒におむすびを結べたらと
思っています。
美味しいおむすびが結べたら、それは一つの
財産になりますと、初女さんは言われていました。
だって、その為には美味しいご飯が炊けないと
おむすびは結べないから…
ご飯が美味しかったら、後はお漬け物と
お味噌汁があれば十分ですと…
初女さんでも、毎朝炊き上がったご飯のお釜の
蓋を開ける時、ドキドキするって言われて
ました。
ご飯は、奥が深いです~
おむすび講習会、頑張りま~す!
[「おむすび講習会」
「チラシ」
昨日のブログに、初女さんの言葉を載せて
あらためて初女さんってすごいな~って
思いました。
「私にとっては、苦しみがあっても”今、ここ”が
天国です」って、どうやったら思えるのでしょう。
苦しい時は、一時も早く苦しみから逃れたいって
思うもの何に…
それが信仰というものなのでしょうか
初女さんは「私はいつも自分の中に神さまを
感じています。
何かを判断するとき、つらいことや悲しいことが
あったとき、どんなときでも神さまが見ていて
くださると思うと、勇気がわいてきます。
そして必要なとき、いちばんよいときに、
神さまは答えをくださるはずだと信じることで
心がおだやかになり、満たされます。」と
書かれています。
辛い苦しい時でも、神さまを感じているから
「今、”ここ”が天国」と思えたのでしょうか
初女さんにとって、受け入れるとは苦しみも
辛さもすべて受け入れるってことなんですね。
「神の計らいは限りなく、
生涯私はその中に生きる」
この言葉は、初女さんの中を貫いていた信仰だと、
私は思っています。
私は、苦しい時に「今 ここが天国」とは
とても思えません。
何で、次々来るの?早くこの苦しみから
抜け出したいと、思ってしまいます。
『すんなり、するすると幸福になることは
なくて
生きていれば、何度でも繰り返し苦しみが
やってきます。
けれども苦しみは決して苦しみだけに
終わることなく
いつか喜びに変わります。
苦しみなくして刷新ははかれません。
真の幸福は、苦しみの中にあってこそ
実感できるものです。
佐藤 初女 』
今日はブログ開設から3001日目だそうです。
初女さんへのラブレターのつもりで始めた
ブログが…
初女さんは天に召されましたが、私のラブレター
は、いつの間にか終わりのないラブレターに
なっているのかもしれません。
初女さんの言葉はやさしいから、直ぐに分かった
気になるけれど、初女さんの体験から
生まれた、ひとつ一つの言葉の深さに今
やっと気づき出しています。
初女さんの言葉は、自分が体験しないと本当の
ところはわからないので、小さな気づきも
嬉しくなります。
そんな思いも含め、これからもラブレターを
書いていこうと思います、
いいですか、初女さん
『天国は、はるか彼方にあるものでなく
今ここに始まっているように思えてなりません
私にとっては、苦しみがあっても
”今、ここ”が天国です
佐藤 初女』
初めて、森のイスキアに行った時、天国って
こういうところかもしれないって、思いました。
心が穏やかで、何もなくても幸せを感じて…
でも、初女さんは苦しみがあっても
今、ここが天国って思われていたんですね。
凄いな~

山田スイッチさんのFacebookにあったお山
(スイッチさん、写真コピーさせてもらいました)
多分、岩木山だと思います。
初女さんが愛した岩木山
初女さんのお墓から岩木山が正面に見えます。
お山と共に、今年も私達を見守っていて下さいね!
2018年がスタートしました。
今年も宜しくお願い致します!
元旦が誕生日なのですが、何年たってもピンと
来なくて~
小さい時から、父に日本中の人が祝ってくれて
いるんだからと言われても、はあ?という感じ
でした。
息子には、毎年「何で元旦なんかに生まれた」と
言われるし…
でも1月1日がマリアの日と聞いた時は、ちょっと
嬉しくなりました。
我が家は12月31日に、テレビが突如映らなくなり
紅白もラジオで聴いて、すごーく静かな新年です。
息子はひたすら寝ているし~
今、ふと思い出したのですが、初女さんんと
都内でタクシーに乗った時、車内にテレビが
あって、「私、あんまりテレビって観ないのよ」
と言われて、じーっと観られていたお姿が浮かんで
きました。
テレビのない静けさって、何か新鮮です。
初女さんのレシピで3日かけて作った花豆が
とっても美味しいです。
今はインスタ映えするお料理が脚光をあびてますが
口に入れて、ほっとする味が心の扉をひらくの
だと思います。
今年の目標に「初女さんに教えて頂いたおむすびを
伝えて行きたい」と、一番に書きました。
初女さ~ん、いいですか~