パラリンピックが終わり、
日本は総裁選一色になって
います。
候補者である岸田議員が
自分は人の話を聴くことが
出来ると言ってました。
話を聴く…
私たちは、本当に人の話を
聴いているのかな…
自分の聴きたいことを
自分の聴きたいように
聞いているのだと思います。
それは、本当に聴いたことに
なるのかな~
(聴くと聞くは
「きく」態度によって使い
分けるというので、迷って
しまいます)
聴くについて思っていたら
初女さんの姿が浮かんで
きました。
人の話を聴くとは、
こういうことなのでしょうね。
聴くことを大事にしています。
先入観を持たず自分を
空っぽにして
相手の心に寄り添い、
ただ一心に耳を傾けるのです。
はたから見ればたいした
ことでないと思うような
ことでも
その方が感じている重みを
そのまま受けとめます。
自分の考えと違っても、
途中で言葉をはさみません。
人から諭されることは、
正しいことだとわかっていても
なかなか受け容れがたい
ものです。
悲しみや怒りで心が
詰まった人も
話しているうちに
心が落ち着き、自分の道に
気づかれます。
答えを出すとか
なにかを与えるという
ことでなく、私も気づきを
いただきながら
ともに感じ、ともに考え、
一緒に進んでいくのです。
佐藤 初女
今日は9月11日
あの9.11から20年が
経ちました。
対テロ戦争で死者が100万人
と、新聞に載っていました。
この戦争は何だったのでしょう
新聞に
”無人機空爆ゲームのよう”
と、書いてありました。
『米国は自国兵士の犠牲者を
減らすために、無人攻撃機に
よる空爆を強化していた。
灰色の背景に、人間などの
体温のあるものが白か黒で
浮かび上がり、砲弾が当たると
白黒の絵の具のように飛び散る。
そして時間の経過とともに
灰色になり、背景に溶け込んで
いく。
幽霊を追いかけて、殺す
ゲームのよう。』と書いて
ありました。
そして、自殺者は戦死者の
4倍超えだと…
この地球から戦争を無くす
ことはできないのでしょうか
人はなぜ戦争をするのでしょう
”愛とは受け容れること。
戦争が絶えないのは
受け容れないからです。
佐藤 初女 "
私達は二本の足で立っています
だから自分が立てていると
思っているけれど、本当に
大地に足をつけて立って
いるのかな~
大人になっても立ち上がれない
人が沢山いるような気がします。
今日は、初女さんのこの言葉が
響いてきます。
人は誰かに認めてもらうと、
心の底からほっとして
自分を見つめ直すことが
できます。
そして
誰かを受けとめることで
自分もまた大きなものを
与えられます。
受け容れて、受け容れられて
ともに生き、
生かされることで
みんなが幸福に向かって
いくのではないでしょうか。
佐藤 初女
昨日は、気がつけば夜中の
1時まで本を読んでました。
本屋大賞を取った
「52ヘルツのクジラたち」です。
虐待がテーマとなっている
小説です。
虐待は見えにくいけれど、
深い根を持った問題です。
私は大分前ですが、養護施設で
パートをしていたことが
ありますが、多くの子どもが
虐待によって、施設に入って
来ました。
育児放棄で、食事も満足に
与えられなくても、どの子も
お母さんが大好きなんです。
私は、子供たちから
お母さんの悪口を聞いたことが
ありませんでした。
でも、悲しいことに、
ネグレクトの親に育てられた
子供は、自分が親になった時
親と同じことを繰り返して
しまうことが多いそうです。
愛情を掛けられずに育つと
大人になってもその空白は
なかなか埋められない
といいます。
初女さんに会いに来た男性が
初女さんに赤ちゃんを抱っこ
するように自分を抱いて
欲しいと言ったそうです。
その人は、この空白を抱えて
生きてこられたのかも
しれません。
初女さんは、
”愛とは受け容れること”と
言われてました。
自分を丸ごと受け入れて
くれる人に出会ったら、
どんなに深い苦しみや悲しみの
中にあっても人は立ち上がれる!
これは真実だと思います。
”52ヘルツのクジラたち”も
この真実を語っているのだと
私には思えました。
一日のうちで一番朝が好き
朝起きて、顔を洗ったら
坐禅をするの
そして、祈る…
全部で50分ぐらいの
私の朝のルーティン
その後は、バタバタと1日の
生活が始まっていく。
朝の坐りと祈りの時間を
迎えるために、私はワクワク
しながら起きるのだ!
朝って大事。
一日のスタートだもの。
朝が来たら、
祝福しなさい。
朝を迎えられたら、
祝福されていると思いなさい
朝は、神様からの
今日という名の
「いのち」の贈物。
その貴さ、
かけがえのなさを知って、
精一杯に生きなさい。
葉 祥明
人間には、自我と真我が
あって、真我で生きるのが
本当の自分の生き方だと
知りました。
このことを知ったことは、
私にとってとても大きな
ことでした。
このことが分かると思いが
実現したりするとも
聞きましたが、そういう
変化は何もなく、唯
心が穏やかなのです。
私の置かれている現状は
何も変わらないのに。
心が波立たず、静かなのです
真我について学んだ人は
結構、思いが実現したり
変化があるのに、何も
変わらない…
そんなことを話したら
穏やかでいられるのは
それが一番だよと言われました
そういえば、老師が言って
ました。
日々、穏やかに過ごせたら
それは一番の悟りだって…
そうなのかな~
思わず、
ブラボーパラリンピック!と
声をあげたくなります。
パラリンピックは、失礼ながら
オリンピックの”おまけ”
ぐらいに思っていたのですが、
開会式に魅了されてから
毎日テレビにくぎ付けです。
オリンピックの時は、メダルの
数に注目が集まっていましたが
パラリンピックは、というか
パラスポーツは、勝敗を超えた
感動に包まれるのです。
今日は、ボッチャの団体戦で
涙が溢れてしまいました。
”重い障がいがあっても、
可能性は無限大だ”と、
障がい者の方が言って
ましたが、そのことを
見せてもらっている
気がします。
今まで耳にした
”障がいは個性だ”
”障がいは、不自由だけど
不幸ではない”と言う言葉が
実感として伝わってきます。
そして、人間って凄い!
という人間賛歌のメッセージ
が、ずんずんと来るのです!
私たちは、自分で枠をつくり
無理と、諦めてしまっている
ことが、どんなに勿体ない
ことか…
一度きりの人生だから
いのち一杯生きないと!
ブラボーパラリンピック!
ブラボーパラスポーツ!
今日は1日、初女さんの月命日
朝、おむすびを結びました。
今朝、坐った後に
ふわっと気づきがきました。
私は、ずっと
”いのちの世界”を求め続けて
来ました。
上手く言葉に出来ないけれど
宇宙の真理と、言う人も
います。
自分の魂に心を合わせる
ことかもしれません。
”いのちの世界”を生きた
方のお顔を見ると、私も今生
そこまで行きたいと
思うのですが、これは頭で
理解できる世界ではないので
どうしてよいか分かりません
でした。
2年以上、毎朝坐って
ぼんやり自分の中にあるものを
感じていました。
今朝、坐った後に先日出会った
言葉が浮かび、この言葉の
ように生きればいいんだ!と
思ったのです。
その言葉は
”唯、喜びに生きる”
シンプル過ぎて、誤解を生じる
かもしれませんが、
今は、余計なことは言わず
この言葉を自分の体の中に
落として行こう思います。
唯、喜びに生きる