「うわあ、これはまた、ひどいところだ」青年は手に持つランプで沼を照らしながら、その異様な様に驚いていました。そこはなんとも汚い沼で、泥の水はひどく黒ずみ、ときどきぶくぶくと泡を立てながら、耐えられない悪臭をあたりに撒き散らしていました。「前はこんなではなかったが。一体どういうことでこうなったのだろう」
と、青年の気配に気づいて、沼の中から、そろりと浮かんできたものがありました。青年は、一瞬目をそむけました。それは、まるで水死体のようにふくらんだ醜い男でした。男は、ゆっくりと手足を動かして、蛙のように泳ぎながら近づいてきました。
男は青年のいる岸のところまで来ると、豚のような顔をあげて、「なんですかあ?」と尋ねました。青年は男の発する悪臭に目も痛くなるほどでしたが、とにかく言いました。
「君の場所が変わるよ。ここよりは少しましなところだ。もう長いこと沼で過したので、罪の一部が許されたようなのだ」
「へえ?そうなんですか?」男は、気のない様子で言いました。「そんなに長くいましたかね」青年は彼の礼儀を知らぬ態度に耐えながら、五百年だ、と答えました。
男は青年に助けられながらやっと沼から上がりました。すると、沼の周りをかこんできた松の木たちが、互いに組み合っていた枝をするりとほどき、いっぺんに空が開いて滝のように月光が落ちてきました。それは瞬時のうちに沼を清め、水はもう泥水ではなく、山の奥でこんこんと沸く泉のように清くなりました。
お月さまはすばらしい、と、青年は感嘆し、思わず拝礼していました。
「今度はどこにいくんです?」男は森の中を青年について歩きながら尋ねました。
「この森にあるもう一つの池だよ。そこは岸辺に花が咲くし、鳥もときどきやってくる」
「へえ、それはいいですね」と、男はまるで興味もないというように言いました。青年はランプを掲げて、前を照らしながら道を急ぎました。すると男が、「それ、なんです?」とランプを指さして聞きました。青年は素直に答えました。
「ああ、これは月珠(げっしゅ)というものだ。君はあの沼の底にいた間、ずっとこの珠に助けられていたんだよ。天のお宮に用があったときに、天の醜女の君から少しいただいてきたのだ」
「へえ、そんなもんがあるんですか」
月珠は、ランプの中に浮かんでくるくる回りながら、明るい光を周りに投げていました。ふと、男の中に悪い考えが浮かびました。男は、突然青年に体当たりすると、彼の手からランプを奪い、そこから走って逃げようとしました。青年は反射的に上着のポケットから予備の月珠を取り出し、それに息を吹きかけて棒のように長くのばし、逃げていく男の頭に、ごつんと一発くらわせました。
ランプが土の上に転がり、男はどさりと地面に倒れました。青年は光の棒を元の珠にもどし、いまいましげに口をかみながら男に駆け寄りました。と、ランプの月珠が突然震えだし、一瞬あたりをまぶしく照らしたかと思うと、すうっと消えてしまいました。するといつしか、倒れていた男は、大きな灰色の泥蛙に姿を変えていたのです。
「やれ、もとのもくあみだ」青年はのびた蛙をつまみあげながら言いました。
男は生前、ある金持ちの息子でしたが、それを馬鹿に鼻にかけ、人をひどく馬鹿にし、たくさんの使用人につらい思いをさせ、そのあげく、妻だった女性を、お前なんかいない方がましだと言って、死に追いやったことがあるのです。
元の沼で、太った蛙は、また永い年月を過さねばならなくなりました。だれかの落胆した声が聞こえました。松の木は再び互いの枝を組み合い、沼を暗闇の中に隠しました。蛙は頭を水の上に出しながら、ひとしきり、バカ、バカ、バカ、と鳴きました。あんなふうに汚いことばかりを言っていたので、沼が汚れたのだな、と青年は思いました。
青年はランプにもう一つの月珠を入れ、それを高く掲げると、沼を守る松の木や風に挨拶をし、蛙に「そんなふうに、なんでも馬鹿にしてはいけないよ」と言ってから沼に背を向け、森の中を去ってゆきました。