山里の村の、一つ山を越えたところに、深い森がありました。森の中には小さな小屋があり、黒い服を着た女がひとり、住んでおりました。小屋の前には、たくさんの薬草を植えた畑と、小さな井戸がありました。
この女は遠い昔に生きていたころ、魔女と呼ばれてやり玉に挙げられ、薪の山の中で無残に焼き殺されたことがありました。そういうむごい死に方をした者は、復讐のために怪に落ちやすいものなのですが、その女はそうとはならず、自分を殺した者たちにも特に何も言わず、黙って通り過ぎてゆくだけでした。ですが、人嫌いの性質は治らず、罪人でもないのに、月の世の森の中で、ひとり細々と薬を作りながら暮らしておりました。
この少々変わった女に、月の役人はまあいいだろうと特別に許可を与え、少し魔法を教えました。彼女は小さな壺に汲んだ月光を桶に移しそれに井戸水を混ぜ、豆真珠の粉を吹いてまじないをしました。すると水は、飴色の甘苦い匂いのするなんとも不思議な水になりました。彼女はその水を毎日薬草にやっておりました。すると薬草は月に登りたいかのように高く伸び、葉や実や根の中に金の月光をたっぷりと溜めこみ、それから作った薬は、罪人の魂の傷や苦悩を治す、とてもよい薬になるのでした。
ある日、その女のもとに、山を越えてひとりの若い女がやってきました。彼女はスカーフで顔を隠し、泣きながら駆けてきて、女の小屋の戸をどんどんとたたきました。女が戸を開いて、「どうしたの?」と問うと、若い女は目にいっぱい涙をためながら、スカーフをとりました。見ると女の右の頬が腫れあがり、そこにムカデの形をした見事な赤いあざがあったのです。若い女は泣きながら、仕事を休んで少し眠っている間に、こうなっていたと訴えました。
黒い服の女は、若い女を中に入れ、椅子に座らせました。そして薬棚の戸をあけ、白い水の入った小さな瓶を取り出しました。女がまだ泣きやまないので、黒い服の女は安心させるように言いました。
「大丈夫よ。大したことはないわ。すぐ落とせるからちょっと待ってちょうだい」
女は白い薬を布にしみこませ、若い女の腫れた頬をぬぐったあと、短い呪文をつぶやきました。するとムカデは苦しそうに動き出し、頭が少しはがれてきたところを、女はすかさずピンセットで挟み、ゆっくりと頬からはがした後、細い銀の串でムカデをぐさりと刺しました。
串刺しにされてもがき苦しむムカデを、空の瓶の中に閉じ込めながら、女は言いました。
「これは女の顔を醜くする、男の怪よ。あんたがかわいいんで、とりついたのね」
若い女は、かわいいと言われたのに少し恥じらい、もじもじと目を伏せました。女はほほ笑むと、こんどは碗を取り出して窓からさす月を汲み、それに緑色の粉薬を一さじ入れて溶かし、若い女に差し出しました。
「飲みなさい。腫れがひくのが早くなるわ」
「ありがとう。でもどうしよう、お礼を持ってくるのを忘れたわ」
「今度ここに来るときでいいわよ。さ、飲みなさい」いわれて、若い女は出された薬を飲みました。そのあまりの苦さに、若い女は目を丸くし、一瞬吐きそうになりましたが、我慢して一気に飲み干しました。
黒い服の女は、ムカデを閉じ込めた瓶をゆらしながら、ここよりずっとずっと深くて暗いところには、こんなのがうじゃうじゃいるのよ、と言いました。
「女がかわいいのが許せない男っていうのはね、けっこういるの」
それを聞いた若い女の顔が、ふと陰りました。彼女は、生きていた頃に夫を裏切ってほかの男に走り、そのために一人息子の人生を不幸にしたことがありました。しかしもともとの原因は、夫が、何事かにつけ彼女のすることにけちをつけ、常に「そんなこともできないのか」「何をしてもだめなやつだ」などと、毎日彼女を侮辱し続けていたことでした。
若い女は治療の礼をいうと、お礼をもってすぐにまた来ると言って立ち上がりました。女は、別に今度でいいのよ、と言いましたが、若い女は、「ううん、忘れるとこまるから」と言って、村の方へと駆けもどってゆきました。
女は戸口にもたれかかりながら、若い女を見送ると、干して刻んだ薬草をつめたキセルに、口から、ふっと息を吐き、火をつけました。
「これで、ほうきで空が飛べれば、完璧ね」女は、笑いながら言いました。