先日、山で見つけたカマキリの幼生です。アジサイの葉の上で、聖者のようにぴくりともせず止まっていました。
カマキリはとても美しい虫だと思います。捕食者の面構えが、なんともせい惨に美しい。むごいことをやりながらここまで美しいのは、見えないところで、聖なる仕事をしているからです。それはものすごく苦しいのです。ほんとよ。
先日、あるブログで、カマキリが卵を産む位置で、その冬の雪の高さがわかるという俗説が、科学的に否定された、という記事を読みました。なんでも、北の国では、カマキリは卵が雪に埋もれない位置に、卵を産むという俗説があるそうです。でも、それは間違いだと、なんとかという自然科学者の方が、実験をして証明したそうなのです。
ブログを書いてる方は、何でそんなことで熱くなるの?なんて書き方してましたが、科学者の人って、おもしろいですね。で、わたしはというと、ほんとはね、それはね、ちがうんですよ、と言いたいのです。
虫はね、人間が思っているよりも、ずっとすごいのです。虫は、この世界に流れている、わたしたちにはまだわからない、清くて高い波動の世界に生きているのです。人間には少し、厳しすぎる魂の世界に属しているのです。
この世界は愛の世界。人間もまた、世界に愛されている。人間はかわいい。なぜなら、虫のことなんか、何も知らなくて、ただ美しい、すごいと、はしゃいでくれるから。なんでも喜んでくれるから。だからね、虫の世界にいる清い魂は、人間に協力することがあるんですよ。
要するにね、人間が、カマキリの卵の高さで、冬の雪の丈がわかるべな、といえば、実際に、カマキリがそうやってくれるんです。それでね、人間が、そんなの迷信だべな、ていえば、やめるのです。それだけなんですよ。
なんとなく、わかるでしょ。そういうことって、あるでしょ?
そう思えば、そうなるなってこと。
それが愛の響き。
見えない何かが、愛してくれて、助けてくれているのです。カマキリの卵の高さで、雪の高さを教えてやろうと。人間はそれをわからないの。馬鹿だな。こんなことで、カガクテキ実験をやるのは、少々、教養がお粗末ですよ。ガッコの勉強は上手でも、人生勉強が足りません。
科学者は、もっと違うことに情熱を傾けねば。愛はいつも見ている。何のためにそれをやっているのか、いつだって見抜いている。
真実は一体何なのか、人間の理性の光でつかもうとするのが科学。それで、おもしろい世界を創ってゆく。
自分の魂が、おもしろいと感じなければ、科学は間違ってしまいますよ。ほんとのことは、もっともっと高いところにあるのだと、感じていなければ、変なところに迷ってしまいますよ。
頭がいいからえらいのではないのよ。そんなことでやれば、虫に、仕返しされますよ。
愛は、人間が思っているよりも、ずっと、すごいんですよ。