![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3a/f0374b6bcf2827bcd52c8ccd4fe174b0.png)
かのじょの言うところに、最も美しい女性である。テレサより美しい女性を探すことは、太平洋で一個の青い真珠を探す言よりも難しいとかのじょは言った。かのじょらしい表現だ。
マザー・テレサは、神の啓示を受けて、貧しい人々を救うために、インドの地に向かった。彼女が受けた神の啓示は、もちろん本物である。裏の見えない世界からの働き掛けは、ほとんどが、馬鹿が気楽な気持ちでするものだが、まれに、本当に正しい人を、正しい道に導くために、行われることがある。
テレサの活動はすばらしかった。愛で、イエス・キリストの名のもとに、たくさんの貧しき人をいやした。その活動は、生前からほめたたえられ、認められた。それはなぜか。もちろん、人間だったからである。人間は、天使の活動は認めたがらないが、人間の、そう姿の美しくないもので、すばらしい人は、積極的にほめる。
テレサがそう美しい形に生まれなかったのは、そのせいである。人間存在には、暗黒面の影響が大きくある。その暗黒面を、テレサは老醜の姿で負ったのである。それで、人間の暗黒面からの攻撃を、いなしたのだ。本来ならば、テレサのような女性は、ダイアナのような美貌を得ても、不思議ではない。
だがそうなれば、ダイアナのように、さまざまな嫉妬を受けて殺されるだろう。本懐を遂げるためには、美しくなってはいけない。むしろ醜くなろう。それがテレサである。
このような美しい女性はいない。人間の女性は、テレサに、一つの理想を学ぶべきである。美しくなるばかりが、女ではないぞ。みなのために、自らの美しさを下げることができる。そういう美しさを、テレサに学びなさい。