別館の掲示板で語ったように、サンドロ・ボッティチェリとレオナルド・ダ・ヴィンチは、魂を共有している。この天使は、いわばレオナルドの分身である。
ひとりで二人分の人生をやるとき、結局はどちらかを選んで他方は他の者に任せて捨てるほかないが、天使の霊がサンドロではなくレオナルドを選んだのは、サンドロが勉強をせずに、絵ばかり描いていたからだ。他人には彼が馬鹿に見えた。美しい絵を描くが、全然わかっていない馬鹿だと、周囲に思われていたのだ。
もちろんこれには意味がある。要するに、人間に嫉妬されないように、天使の優れた部分をできるだけ外に出さないようにして、馬鹿に見えるようにしていたのだ。サンドロはそういうことで、なんとかしようとしていたのだが、どうしても、人間は彼をただの絵描きとしか思わず、本気では相手にしなかった。これでは使命を果たすことができないと判断した天使は、レオナルド一本で生きることに決めたのだ。
天使の魂が去って行った後のサンドロの人生が、どういうことになったかは、皆知っている通りだ。天使としてのボッティチェリは、ザクロの聖母を描いた後あたりで、事実上死んだことになる。その後のボッティチェリは全く別人だと言ってよい。
だがサンドロが何もできなかったわけではない。以前サビクがアンデルセンの童話に、かのじょに関する予言が含まれているというようなことを言っていたが、サンドロの絵にもそういうことがあった。かのじょはサンドロの美しい絵の中に、自分の身に起こる現象が描かれているのを見たのだ。君たちは見てもわからないが、かのじょはそれに気づいて以来、サンドロの絵が教えることを参考にしつつ、生きていった。それで、かなりの難を乗り越えることができたのだよ。
天使と言うのは、こういうことをよく経験する。まるでお互いの愛が溶けあって来るかのように、過去の天使の仕事が、未来の天使を助けることがあるのだ。
サンドロ・ボッティチェリはかのじょのために、すばらしいことをしてくれたのだ。
ところで、前にも言ったように、普通ボッティチェリの自画像と思われている、「東方三博士の礼拝」に描かれている男は、ボッティチェリではない。本当の彼はこのフィリピーノ・リッピが描いた絵のように、かなり美しい青年だった。
こちらの絵と比べてみたまえ。目の光がなんとなく似ていると感じないかね。