名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

ソラマメで乾杯   - 2021.5.11 -

2021-05-12 11:15:49 | グルメ

 採れ立てのソラマメをつまみに、ビールで乾杯(自分に)することにしました。
 
 まず、調理する必要があります。調べると、グリルで焼くと殻の中で蒸し焼きになって
美味しいと書かれたレシピがあったので、これを参考にすることにしました。
 方法は至って簡単で、グリルに載せて約10分焼くだけです。

 焼き上がったソラマメ(殻つき)とビールを食卓に用意しました。少し温度が下がり、
殻を剥ぐことができるようになったら、殻から実を取りだして、塩をかけて、いただき
ます。

 新鮮で柔らかい実がなんとも言えず美味しい。ビールがうまい! 最高です。
 自分が作った空豆のなんと美味しいことか。 

 カンパーイ!!  乾杯 !!    乾杯 !! 

 


ソラマメの収穫    - 2021.5中 -

2021-05-12 10:18:11 | 野菜作りに挑戦

 また、雨が来るということで、今日ソラマメを半分(昨年10月に種蒔きした分)を
収穫することにしました。
 昨年は、順調に生育し、実も沢山付いたのですが、収穫直前に「実が真っ黒になる
病気」が発生し、8割り方食べられなくなりました。2,3日で実が黒くなりました。
今回の収穫は、少し早いかもしれませんが、昨年の轍を踏まないようにということで。
 ザルに一杯収穫できました。

 その他、家に持ち帰る野菜も少し採りました。

ニンニクは巨大化していますが、少し、実の入り方が未熟な感じです。芽が出始め
ました。玉葱は中晩生が沢山ありますが、肥料のやり過ぎか、双子玉葱が多くなって
しまい往生しています。


京丸山へ   - 稜線にはシロヤシオが一杯! 2021.5.8 -

2021-05-09 22:38:55 | 登山_その他

 京丸山へ登ってきました。今回も、相棒が「京丸シャクナゲを見たいので、京丸山に
行く」というので、同行することにしました。
 京丸山の麓には、平家の落人と言われる藤原家の住居跡あり、知る人ぞ知る秘境で
ある。住所は浜松市天竜区春野町小俣京丸である。浜松といっても奥が深く、京丸山
は幻の京丸牡丹が咲く秘境である。
 さて、我々は新東名にて浜松・浜北ICを出て、152号線、363号線、389号線を経て、
春野町の石切集落を経て、林道入口の駐車場に車を止めて、登山を開始した。スタート
は、石切林道ゲートからである。

 石切林道を30分程歩くと、京丸山・登山口と書かれた標識(標高460m位)が有り、そこ
から登山道に踏み入った。急な登りが続き、標高840m位まで登ると、石切林道に出た。
ここから、再び石切林道を終点付近まで進んだ。直前にある展望所で、高い山が見えた
ので、京丸山と思い違いをした。(これは、ヤマケイで登山者達の記事を見ると、高塚山
のようです)

 この石切林道終点付近の林道には朴ノ木、ハウチワカエデ、トチノキ、ヒメシャラ、馬酔木
等樹木が綺麗に新芽を出している。しばらく進むと直登ルートを示す赤テープがあった
ので、迷わず直登ルートへ進んだ。(ここの標高は1080m位だ。)

 ここから、登り始めると程なく稜線登りとなった。この稜線にはフモトスミレが咲き、また
ツツジ類があちこちに赤や白の花をつけている。シロ色の花は、通称シロヤシオ(正式名
ゴヨウツツジ)と言われるツツジの仲間だ。ピンクの綺麗な花はアカヤシオかと思いきや
葉の形、花の形が違う。ミツバツツジかと思うと、隣の相棒は花を観察して、トウゴクミツバ
ツツジに間違いないと断定した。これらのシロヤシオやミツバツツジがあちこちに咲き、
登山者を楽しませてくれる。1200mから1400mの稜線は春の気候で、我々は楽しい稜線
歩きを味わうことができた。

 実は、私は寄る年波には勝てず、足にガタがきて、ゆっくりとしか登ることができません。
標高1469mの京丸山山頂まで、標高差1000mを登るのは大変でした。なにせ、私は
後期高齢者なのです。
 しかし、何とか山頂に達することができ、山頂で昼食をとることができました。丁度、山頂で
一緒になったI市・山岳会の方々とは同じ愛知県ということで話が合い、情報交換が
できました。

 さて下りも、ガタがきた足をいたわりながら、ゆっくリと下山し、何とか出発点まで、無事に
帰還することができました。


畑の整備と定植追加 -2021.5初-

2021-05-05 21:13:12 | 野菜作りに挑戦

 3、4日晴天が続いているので、水やりと苗の追加定植のため、畑に出かけた。
何かを植えようとすると、終わりかけた何かを撤去する必要がある。
 今日は、まずミニ大根と小松菜を新たに定植する必要があり、ミニ大根用には、
ラディッシュを撤去して植えることした。小松菜はソラマメを部分的に撤去(病気と
判断して撤去)したエリアに植えることとした。ゴーヤは大根を撤去した跡のエリアに
4本植えた。


 ついで、畑の整備を行うこととし、最初に植えた夏野菜のトマトとナスがエリア不足で
窮屈だったので、隣に育てていたホウレンソウを全て抜き取って、その跡へナスと
トマトを少しずらして、すっきりさせた。また、なすとキュウリには行灯を整備し、上手く
育苗が進むよう期待することとした。
 さらに、植えたばかりのトマト6本にも行灯を整備し、虫除けと順調な育苗を図ることと
した。


世界・歴史遺産を訪ねて  9-2 ハンガリー平原

2021-05-05 17:46:34 | 海外・歴史遺産 ー国別ー

 ハンガリーとフン人の歴史を少し勉強してみました。民族の大移動は東のモンゴル高原
から中央アジア、東ヨーロッパ、西ヨーロッパへと遊牧民の移動が繋がっていることが少し
分かったような気がします。受け売りの稚拙な文章で恐縮ですが、興味のある方はご覧
下さい。

匈奴とフン族

 匈奴の西進、フン人の大移動の関係は?==>直接的な繋がりは証明されていないが、
両民族の生活習慣が似ているとか、匈奴を「フンヌ」と発音するとか類似性が多いと指摘
する学者もいるようです。
 
匈奴の西進

 BC202年、前漢を立ち上げた劉邦はBC200年に匈奴との戦いに敗れ、屈辱的な
和解をした。7代皇帝、武帝(劉徹)の時代になると漢が力をつけ、BC129年以降、
衛青、霍去病などの大将軍を派遣して、匈奴を北へ退けた。また、張騫を西域に派遣し、
大月氏国と共に西域を平定(BC59年西域都護府設置)し、匈奴を退けた。その後、
匈奴は内紛が発生し、帝国はAC48年には南北に分裂し、AC91年には帝国としては
消滅する。
 匈奴は分裂して西に移動したが、一部がフン人となって民族大移動の引き金となった
という説もある。(学術上、直接的な関係は、まだ証明されていない)

フン民族、ゲルマン民族の大移動

 中央アジア、コーカサスの遊牧民フン人は4世紀頃から西に移動し、現在のハンガリー
平原に陣取り、周辺の民族をさらに西へ追いやった。ゲルマン系のゴート族は現在の
フランスや北イタリア、イベリア半島に移動しゴート王国(東、西)をたてた。5世紀半ばに
フン帝国(アッティラ王の時代)は最大範図となるが、以降衰えていく。その後ウラル山脈
南部にいたマジャール人が南下し、ハンガリー平原に陣取り、フン人等との混血を繰り返し
現在のハンガリー人になったと考えられる。
 ゴート族の移動はゲルマン民族大移動の始まりである。

 ハンガリー平原

 ハンガリー平原は肥沃な草原が広がり遊牧民には垂涎の地であった。454年、フン族の
帝国崩壊後もアジア系遊牧民が侵入が続き、根拠地とされた。またスラブ系やオスマン・
トルコの侵入・支配するところとなった。1699年にはオーストリア・ハプスブルグ家がオスマン・
トルコに勝ち、ハンガリーはオーストリアに編入された。その後、民族自決の気運が高まり、
1867年には、独立したが、オーストリア帝国と同じ王様をいただく、オーストリア・ハンガリー
二重帝国となり、1914年の第一次世界大戦を迎える。戦後はハンガリーとして独立するが、
第2次大戦ではドイツ側に組したためソビエト連邦軍の侵攻を受け、戦後は東側に組み入れ
られた。スターリンが死亡し、フルシチョフによるスターリン批判が始まると、1956年には
民主化の動きからハンガリー動乱が発生し、世界を揺るがす事態となった。
<現状> 国名:ハンガリー(第三共和国) 、人口:980万人 国土面積:日本の1/4

以下、関連記事を紹介します。

世界・歴史遺産を訪ねて  9.ハンガリー(ブダペスト)  登録: 21.4.24 https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/d6746d2fbd4882a7cdf5963f051f4e9b 

<参考> 次の国は、10.ギリシャ https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/20a6b5006c7943c7bcaa74e5f868f1d1


サツマイモ苗(ツル)の購入&仮植え   -R3.4.23 & R3.5.2-

2021-05-03 12:07:00 | 野菜作りに挑戦

  サツマイモ苗を購入しようと、ホームセンターに出かけるが、苗箱はいつも空だ。
店員にいつ来るかと聞くと、「木曜日と土曜日に入ることになっているが、何時に
来るかは分からない」という。それではと、4月22日(木)に畑に出かけるついでに
昼頃立ち寄ってみると、まだ来ていなかった。畑仕事を終わり、念のため再度行くと
苗が一杯並んでいました。喜び勇んで、紅あずまと紅はるかを10本ずつ購入し、
新聞紙に包んで水に濡らして持ち帰りました。
 紅あずまの苗(ツル)は元気一杯のツルでしたが、紅はるかは温室育ちか、やや
元気がなくツルが間延びしているようで、活着するか心配がよぎりましたが、購入
しました。
 翌日(4月23日)に、プラケースに新聞を敷いて、プランター用の培養土を入れ
そこに苗を10本ずつ植え付け、しっかり水やりをしました。
 なぜ、畑でなくプラスチック・ケースに植えるか?ですが、畑に余裕がなく、玉葱
ニンニク、ソラマメ、等を収穫した後に植えるための時間稼ぎなのです。

 4月25日に、ケースの様子を見ると、やはり紅あずまは元気がありました
が、紅はるかはますます萎れてきて、活着するか心配になりました。
 4月27日には、萎れた紅はるかを元気付けするため、HB101を畑から持ち帰り、
毎日、噴霧することにしました。
 5月1日(土)には、念のため、紅はるかを追加で10本買うことにして、ホーム
センターへ出かけましたが、販売棚には何もありません。それではと思って、帰り
道にあるJAの販売センターに立ち寄って見ると、何と紅はるかが一束だけ残って
いました。但し、希望の10本ではなく20本の束です。少々高くつきますが、半分
誰かさんに提供しても良いので、買って帰りました。今回の苗は、元気が良く、
安心して植えられそうです。
 一晩、水を入れたバケツに、苗ツルを浸けておいて、5月2日に、やはり、プラス
チック・ケースに新聞を敷いて、10本ずつ植え付けました。しっかり水やりをして、
ついでに、HB101を噴霧しておきました。

 今日、5月3日の様子ですが、追加購入の紅はるかはまだ水の吸い上げができ
ていないのか、植えたばかりの苗はくたっとなっています。
 先に、枯れかかっているように見えた紅はるか(初回購入分)のツルに新芽が
出始めたものが現れました。半分位は活着しそうな気がしてきました。また、葉が
枯れたツルを1本掘りだしてみると、新しい根が伸び始めていました。念のため、
埋め戻して、様子を見ることにしました。追加購入しなくても良かったかも??


 
 これから、年越し野菜の収穫、整地、そして仮植えサツマイモツルの畑への定植
と作業が目白押しです。

 


夏野菜の育苗&定植_第2弾  -2021.5初旬-

2021-05-02 21:03:06 | 野菜作りに挑戦

 本日から5月に入る。雨の後でもあるので畑に出かけた。今日は少し育ってきたトマト
苗を持参してきた。植える場所がないので、トウ立ちが始まったタカナを抜いて整地し、
トマトを植えた。大玉トマト2本、ミニトマト・アイコ2本と普通のミニトマト2本を植えた。

 4月には、夏野菜(種蒔き分)の芽出しと育苗をして、畑に定植した。種を買ってきて
苗を育てた野菜は、ズッキーニ、サニーレタス、ナス、キュウリ・北進、トマト(大玉、アイコ
/ミニ、ミニ丸)、インゲン、カボチャ大、落花生等がある。昨年に種を採り実生で育てた
苗には、カボチャ(ロロン、ミニ栗)、丸長オクラ、ゴーヤがある。また、大葉(青じそ)は種を
畑の周辺にバラ撒いておいたところ、あちこちに芽が出てきた。
 種蒔き野菜の中で、苗の育ちが遅くて焦り、ホームセンターで購入したものに、ナス2本、
トウガラシ2本、トマト2本があり、元々購入予定で買った苗にスイカ2本がある。また、友人
から白ナス苗を5本いただいてこれも定植した。
 また、成長の早い葉物野菜(大根、ホウレンソウ、小松菜、ブロッコリー)は1.5ヶ月単位
で、随時、追加で種蒔き育苗を予定している。

 さて、夏野菜の定植第一弾はほぼ終了した。今のところ畑に余裕(空場所)がなくなり、
これから収穫する空豆、ニンニク、玉葱、ラッキョウなどのエリアを再度整備して、現在
育苗中の野菜苗を植え付けていく予定である。
 現在育苗中の野菜苗は、葉物野菜やトマト、ナス、ゴーヤ、オクラ、カボチャなどであり、
空き地ができ次第、追加で定植したい。サツマイモは紅はるかと紅あずまのツルを購入し
植え付ける予定である。

 素人農業を始めて5年目の夏を迎え、また、忙しくなりそうだ。自分で言うのも憚られるが
なかなか上手く進んでいると自画自讃している。

  本日、報告は以上です。


国道153号線を北上  -治部坂高原、蛇峠山、他-

2021-05-02 13:29:28 | 自然観察_野山

 シャクナゲを探しに、蛇峠山を目指した。3、40年前に子供達を連れて、稲武から
根羽村、平谷村、売木村、浪合村といった、愛知県と長野県の境目あたりへ何回か
出かけた。その後、登山でも浪合村(治部坂高原)から大川入山を目指したことが
ある。懐かしい153号線である。

 今回は相棒が蛇峠山にシャクナゲを見に行きたいというので同行した。治部坂高原
スキー場から入山するのだが、ここは旧・浪合村で、2006年に阿智村に吸収合併され
ている。馬の背・登山口に駐車場があるのだが、別荘地の周辺にシャクナゲがありそうに
思われたので、とりあえず、歩いて探索してみることにした。別荘地は標高1200mから
1300m付近にあり、所々にキョウマルシャクナゲと思われるシャクナゲが咲いていた。
多分、山に自生するシャクナゲを別荘地に植えたか、開発時に残したものか、いずれか
だろうと推測した。

 幾つか、シャクナゲを見たので、一旦スキー場の駐車場に戻り、車で馬の背の駐車場
へ進んだ。馬の背の展望所から南アルプス南部(大川入山方面)、中央アルプス、南アル
プスの展望を楽しんだ。ここの標高は1450m位だ。

 ここから、登山口に入った。尤もこの山は展望が利くので、昔は信玄の狼煙台が置かれ、
現在はドコモ、au、等の無線基地があり、国土庁の雨量観測レーダーがある。無線の鉄塔
は6基もあった。このため、登山道と併行して無線基地へ登る車道があるが、登山口にある
ゲートは閉ざされており、一般車は入れない。1664mの山頂まで歩いて登ることになる。
 シャクナゲを探しながら登ったが、笹藪ばかりで、シャクナゲを見ることはできなかった。
昔の案内図にはシャクナゲ群落地と書いてあるが、道がハッキリしておらず、探索は困難で
あり、諦めた。

 無線基地が沢山ある最初のピークで、昼食を取った。この場所は昔の信玄の狼煙台と
表示されていた。ここから、もう一つのピークに進むと、蛇峠山・山頂の標識があった。ここ
にも無線基地が置かれていた。

 
 帰りに、153号線を南下し、足助町にある扶桑山大鷲院(ダイシュウイン)へ立ち寄った。元々
天台宗のお寺さんで、後に曹洞宗に改宗されたようだ。急峻な山裾に開山されており、
修験道の道場としても使われていたようだ。立派な山門があり、坂道を上り、さらに階段を
上がると本堂?と立派な鐘楼がある。
 庭にはシャクナゲが咲き、サツキには宿り木としてカヤランという珍しい欄が咲いていた。
貴重な花で相棒の探索目的でもあったようだ。

以上です。