院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「ジャズ女子」の出現

2015-04-18 05:39:09 | 音楽

(LPレコード・ヨーロッパのマイルスデビス)

 元は男性がやっていた仕事や趣味をやる若い女性を「山ガール」とか「歴女」とか「鉄子」とか「ドボジョ」などと呼ぶ言い方が流行っていますね。さいきん「ジャズ女子」というのが「出現」したそうです。

 古いジャズが好きな若い女性のことです。「ジャズ女子」が現れるのは必然です。この欄でなんども述べてきたように、さいきんは居酒屋のBGMはほとんどモダンジャズです。ふだん聴きなれないが、いいなぁと思う女性がいても不思議ではありません。

 それをきっかけにジャズを調べると、そこには60年代の豊かな音楽シーンがあって、女子たちは改めて驚くのでしょう。そして、私のような爺さんがその音楽について詳しい。こうして「ジャズ女子」は生まれたのではないでしょうか。

 ひと昔まえ、「おやじギャル」というのが流行りました。爺さんたちのように、安居酒屋で焼き鳥をつまみに熱燗を呑んで、懐メロを歌ったりするギャルのことです。爺さんたちの文化は意外に深いことを彼女たちは知っていました。

 「ジャズ女子」は「おやじギャル」が姿を変えたものだと私は考えています。

参考:このブログの「モダンジャズの歴史」の記事6篇


※今日、気にとまった短歌

  ぴかぴかのスプートニクのレプリカに映るさえない眼鏡のおとこ (東京)ユキノ進

東京のジャズライブハウス変わる

2015-03-19 05:10:01 | 音楽

(「NARU」のステージ。筆者撮影。)

 20年前よく行った青山のジャズライブハウス「Body&Soul」は古典的ジャズをやらず、バイオリンとかパーカッションとかヴォーカルデュオとか「キワモノ」やるようになってしまいました。そのほうが客が入るのでしょう。

 ネットで調べて御茶ノ水の「NARU」に初めて行ってみたら、おお、古色蒼然たる20坪ほどの地下のライブハウス。超嬉しい!!むろん禁煙席なんてありません。

 当日やっていたのは還暦過ぎの伊集院静似のイケメンサクソフォニスト。懐かしいウエインショーターなんかを渋くやってくれました。バックのピアノ、ベース、ドラムの若いこと!!

 若い人が古いジャズにのめりこんだことは買いますが、いま少し修行が必要。ピアノの美人のお嬢さんは正確だが、ジャズのどこがキモなのか分からないのでしょう。サウンドが腹に響かない。

 ベース、ドラムの2青年はロック出身とのことだがジャズに魅せられたと言っていました。ロックに群がる小娘たちなら騙せても、おじさんたちは相当にクオリティーが高くなくては満足できないのよ。

 ベースはハノンを徹底的に練習のこと!!ときどきリズムがモタれる!!ジャズのドラマーはロックのドラマーより「ウソー」というほど上手くなくてはならない。とくにバスドラを意識してください。ジャズとロックで決定的にロックが劣るのがバスドラです。ジャズメンはマネの出来ないバスドラさばきでロッカーをギャフンと言わせてやりましょう。


※今日、気にとまった短歌。

  関空の滑走路見えただいまと長く離れた故郷を思ふ (高槻市)長畑亜由美

演奏者による楽器の音色の違い

2015-02-11 00:39:54 | 音楽

NHK素人のど自慢のブログより引用。)


(鈴木バイオリン。博物館明治村のHPより引用。)

 NHK素人のど自慢の出演者が上手いか下手か、多くの人がわかります。上手い人同士を比べて、その声質の違いまでわかります。

 私は自分がやっていたので、サキソホンの上手下手や音質の違いがわかります。しかし、クラシックのプロのバイオリニストはみんな上手に聴こえるだけで、音質の違いまではわかりませんでした。

 先日、カラオケをバックにして2人のプロがバイオリンの技術を競うというテレビ番組をやっていました。カラオケの曲はサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」でした。(ご覧になったかたもおられるでしょう。)

 なんと、曲が「勝手にシンドバッド」(難しい曲です)だと、2人のプロの音質の違いが如実にわかるのです。バイオリンは「左手は職人、右手が芸術家」といわれますが、右手(弓)が音質を変えることがようやく理解できたのでした。(クラシックよりポップスのほうが聴きなれているからでしょうか?)


※今日、気にとまった短歌

  ヒデカズとカズヒデ双子の兄弟で競って辞書をつくっています (川崎市)岡村還



民謡の尺八伴奏の謎

2015-02-07 04:43:32 | 音楽


 上の民謡の伴奏をしている尺八は、歌とまったく同じメロディーを吹いています。これをユニゾンといいますが、ユニゾンでは伴奏とはいえないのではないでしょうか?この映像に限らず、民謡の伴奏の尺八は必ずユニゾンですので、こんど注意して聴いてみてください。

 それに対して下の浪曲の伴奏の三味線は、歌とぜんぜん違うメロディーを奏でます。歌謡曲の和声法ともまったく違う浪曲独特の伴奏です。それでいてよく合っています。歌と三味線の絡みの法則性が、私にはまだわかりません。




※今日、気にとまった短歌

  浴槽にゆうらり揺られ身を任(ゆだ)ぬ張りなき肌を介護士の手に (浜田市)山本富士美

むかしの年末ライブ

2015-01-23 05:32:47 | 音楽

(ライブの群集。martfis75 著作。GATAG フリー画像・写真素材集3.0 より引用。)

 福山雅治さんや桑田佳佑さんがライブ会場から紅白歌合戦に出演することからもわかるように、いまや年越しライブが盛んです。第九を初めとしてクラシックでも年越しライブが行われています。

 私が幼いころは、大晦日は老いも若きも忙しくて外出どころではありませんでした。私が高校生のころ、ようやく年越しライブが行われるようになったと記憶します。昭和40年代に入ったばかりの高校2年生のときだったでしょうか、原信夫とシャープスアンドフラッツの年越しコンサートに行きました。

 当時、紅白歌合戦のバックバンドは紅組白組別々でした。その年は紅組のバックバンドが原信夫とシャープスアンドフラッツで、白組のバックバンドは確か小野満とスイングビーバーズだったと思います。(現在では三原綱木とザ・ニューブリードだけで、しかもクチパクバンドです。)

 これらのバンドはれっきとしたジャズのビッグバンドでしたから、自分たちの演奏を聴かせるのが本来で、歌謡曲の伴奏は本業ではありませんでした。

 あれは新宿の厚生年金会館だったでしょうか?元旦の午前0時過ぎに原信夫ら一行が会場に到着し、第一声「ただいま紅白から戻りました。これからが僕たちの本番です!」と聴衆を持ち上げて沸かせました。50年前のことです。

 こんどの土曜、そのとき一緒に年越しコンサートに行った友人と東京で一献酌み交わす予定です。


※今日、気にとまった短歌

  新築の塀を汚せる落書きに誤字のあるのはなほ許せない (桑名市)伊藤石英

大晦日の第九

2015-01-22 05:31:49 | 音楽

(第九演奏会。国技館すみだ第九を歌う会のHPより引用。)

 ベートーベンの「第九」は、俳句の世界では大晦日の季語として認められつつあります。

 私は「日本の年越しをなぜ西洋クラシック音楽で行うのだろうか?」と前から疑問に思っていました。

 指揮者の佐渡裕氏によれば、年末の第九演奏会は貧乏なオーケストラの大きな収入源になっているといいます。めったにない大入りが見込めるからです。

 なぜ大入りになるかというと、アマチュア合唱団の家族や友人が大挙して見に来るからです。それでオーケストラが潤うならまあいいか、と私は思ったのでした。


※今日、気にとまった短歌

  酔うほどに口三味線で都都逸を唸りし江戸っ子消えた平成 (東京都)大室英敏

ザ・カルテット・レジェンド

2014-12-29 05:14:36 | 音楽
 スキージャンプの葛西紀明選手はレジェンド(伝説)と呼ばれていますね。とても大きな業績を残した人を、いつごろからかレジェンドと呼ぶようになりました。そのような言い方が日本発なのかアメリカ発なのかは知りません。

 モダンジャズでもザ・カルテット・レジェンドと銘打ったグループが来日して好演奏を行いました。(アメリカでもそう名乗っているのか、日本に出稼ぎに来た時だけなのかは、私はやはり知りません。)



 いずれにせよ、これらの人々は1960年代にモダンジャズを完成させた人たちです。現在、80歳90歳になっています。(モダンジャスのことを現在のアメリカではオールドジャズと呼びます。)

 能でも歌舞伎でもそうですが、芸能がいったん完成されると過去のものを完璧に模倣するのが良しとされ、妙にいじることは嫌がられます。モダンジャズも60年代に完成され、それ以後のジャズはモダンジャズとはまた別の音楽と考えるべきでしょう。

 60年代のモダンジャズは、テレビ番組「美の壺」や「酒場放浪記」のBGMに使用されています。完成された音楽は耳障りにならないからでしょう。前にも言いましたが、それらは居酒屋のBGMにも使用されています。

 70年代以降のジャズはやや耳障りなのですが、さいきん中華料理屋とイタリアレストランのBGMで聴いたことがあります。これらの音楽も、あと10年すればだれにとっても耳障りではなくなるだろうと私は考えています。


※今日、気にとまった短歌

  我がクラス青いゼッケン、メガホンに君の名前を今日は呼び捨て  (足利市)坂庭悦子

ライブとCDやDVD

2014-10-26 05:05:48 | 音楽

(シンクロア社のデザインによるオーディオルーム。Syncroa のHPより引用。)

 この15年間でライブ演奏の回数が3倍になったそうです。一方で、CD,DVDの売り上げが激減しています。ライブ演奏を聴いてしまうと録音を聴くのが馬鹿らしくなることは、私も10代に経験しました。

 私がライブ演奏を経験してから5,6年たってオーディオブームが始まりました。お金のある人は、スピーカーやアンプに凝って100万円くらいのオーディオセットを持つようになりました。でも、いくら凝ってもナマには勝てないことを知っていた私は、ラジカセで済ませました。

 ところが最近、オーディオブームの再来のきざしがあるらしいのです。ライブ演奏が増えているのに、なぜまたオーディオブームなのでしょうか?

 オーディオファンは音楽ファンとは層が違うのかもしれませんね。前回のオーディオブームを担った人たちも、必ずしも音楽が好きではありませんでした。音にばかり凝って音楽には凝っていなかったと思います。100万円のオーディオセットを持っている人が、LPレコードは2,3万円分くらいしか持っていなかったのがその証拠です。(2,3万円分しかないレコードを聴くために100万円のオーディオセットを揃えるのって、ヘンだと思われませんか?)

 いま人間国宝の落語家、柳屋小三治さんも若いころオーディオに凝って、ラジオでしきりにオーディオのうんちくを語っていましたね。ですが、彼が音楽について語ったのは聞いた覚えがありません。

懐かしのソノシート

2014-09-30 00:33:54 | 音楽


 ソノシートと聞いてなんのことかお分かりになる方は、けっこうご年配です。ソノシートとは、LPレコードが高価だったころ、LPにまで録音するにはどうか?という音源を録音してLPの10分の1ほどの価格で売り出されていた、ぴらぴらの樹脂にレコード溝を彫った製品です。

 上の写真はソノシートが2,3枚挟まれていた「ジャケット」というか「冊子」です。表紙に曲目、中の紙に録音されている曲や演奏者の解説が書いてあります。

 私は中学2年生のころからレコードを聴くようになりました。クラシックとか当時流行ったポール・アンカとかリトル・ペギー・マーチのレコードです。(この歌手たちを知っているだけでも齢が分かりますが。)

 明治20年台生まれの祖母が、孫がレコードなるものを好きらしいと内容はともかく、何も分からずに「レコード状のもの」を買ってきてくれたのが上の3冊です。

 録音されていたのは和製ジャズでした。「スターダスト」、「ムーングロウ」、「枯葉」といった現在でも名曲として残っているスタンダードが入っており、中学生の私は夢中になりました。

 そこから私のモダンジャズ遍歴が始まったのでした。(その後の「遍歴」は 2006-07-30 にあります。「まんぼう」のマスターは2年前に亡くなりました。)

 ところで、写真の3冊は一昨日のネガフィルムと同時に書庫から出てきたものです。よほど大事にしていたのでしょう。私は東京を離れるにあたって、これらも行李に入れたようです。

 東京を離れてから3年後に祖母は亡くなりました。

ライブと録音再生

2014-06-08 00:02:15 | 音楽

(オルガン用パンチカード。ウィキペディア「自動演奏」より引用。)

 写真のように実際の楽器を使った自動演奏はむかしからある。録音再生ができるようになってから、自動演奏はすたれたが、録音再生ではナマの音が出ないと再び実際の楽器による自動演奏が行われるようになった。現在ではコンピュータが発達しているから、自動演奏は造作もない。名人上手の演奏を自動演奏で再現することができる。

 だが自動演奏は、実物の楽器を使用していても何かが足りないのだ。いかに上手い演奏でも足りない。それは演奏者と私が、いまここで同じ空気を吸っているという実感がないからである。ライブであるということは、生物としての人間にとって凄く重要なことのようだ。

 つまらない会議にナマで集まる必要はない、テレビ会議で済ませろという意見が多くなってきた。だが、ライブでなければならない会議もあるのだ。首脳会談はライブでなければならない。大きな商談もライブであるべきだ。人が抱き合うことも殴り合いをすることも、やろうと思えばできる距離に近づくことが、生物としての人間には必要なのだ。

 2013-04-29 でも述べたように、録音再生や通信技術がいくら発達しても人間が生物である以上、ライブは欠かせないものである。


キャンディーズはなぜ受けたのか?

2014-05-19 05:01:03 | 音楽
キャンディーズ 春一番(アルバムヴァージョン)


 現在は美少女アイドルグループの戦国時代らしいと前々回述べた。そこで、今もしキャンディーズがデビューしたとするなら、AKB48やももクロなどに勝てるだろうか?キャンディーズは後楽園球場を初めて満員にしたアイドルグループではなかったか?

 公平に見て、キャンディーズは現在のアイドルグループに比べて、歌唱力においても美人度においても、まさっているわけではなかった。

 ではなぜ往年のキャンディーズがあれほど受けたかというと、歌がすべてディスコ音楽だったからである。ときまさにディスコブームだった。そこにうまく乗ったわけである。その後、ディスコはどんどん勢いを増し、その象徴である六本木の「マハラジャ」はついに伝説となった。

 だが、キャンディーズの曲はディスコ音楽として楽曲自体がよかった。だから、今でも曲が生き残っている。

 ついでに言うと、キャンディーズの楽曲は延々と踊るための曲だから、サビがない。サビがないことと、(ももクロの歌のように)サビが次々と繰り出されることとは、実は同じことではあるまいか?全部サビだとサビがないのと一緒である。ももクロの楽曲では(盛り上げどころとしての)サビがはっきりしないことは、聴いてみれば分かる

 もっとも、ももクロの楽曲は印象が薄く、キャンディーズの楽曲のように未来まで残りそうなものが今のところないけれども・・。

ポップスの「サビ」の変遷

2014-05-18 06:19:14 | 音楽
JULIE LONDON I Left My Heart I San Francisco


 名曲「思い出のサンフランシスコ」で言うなら、when I come home to you...からがサビである。「サビ」という言葉は、私が高校で音楽活動をやっていた昭和40年代には、すでにあった。

 それ以後、日本の歌謡曲でもサビがはっきりしてきたように思う。三波春夫の「大阪万博の歌」は、「1970年の、こんにちは」がサビである。尾崎紀世彦の「また会う日まで」は「2人でドアを閉めて・・」からが、はっきりとしたサビだ。

 かぐや姫の「神田川」や森山良子の「この広い野原いっぱい」はまだサビが強くない。

 メロディーの途中でコードを4度上げるのは作曲の常道だが、これはサビとは言えないだろう。だが、5度上げるとサビのように聴こえる。アメリカ黒人のブルースは基本的に次のようなコード進行で、この進行の12小節が延々と繰り返される。

 CFCC
 CCCC
 GGCC

 これだと9小節目のGからがサビのように聴こえる。でも、まだサビの部分で盛り上がるほどではない。サビで朗々と歌い上げるようになったのは、もっとあとのことだ。

 まして、ももクロらの歌のように「前サビ」なんてあり得なかった。だが、歌の要素で消え去ったものもある。「思い出のサンフランシスコ」で言うなら、I left my heart... と本題に入る前に語りのような長めの前置きがある。むかしの歌には、これがあったのだが今はない。

 こうしてポップスはどんどん変わっていく。

ももいろクローバーZが人気な理由

2014-05-17 05:03:27 | 音楽
(講談社刊。)

 AKB48を初め、いまはアイドルグループの戦国時代といわれている。その中で、ももいろクローバーZがなぜ突出して人気があるのかが分からなかった。他のグループに比べて芸があるわけでも美人なわけでもない。

 ロックグループやフォークの歌手はむかしから紅白歌合戦などのテレビ番組には出なかった。それは、テレビに出ると安く消費されて、神秘性がなくなってしまうからだと思っていた。むろん、それもあったようだ。

 だが、最近の野外ライブは楽曲そのものが野外ライブ用に作られているらしい。楽曲自体がテレビで観客なしに演じるには向かないのだ。

 サビは楽曲の途中から出てきて曲を盛り上げる部分だが、最近は「前サビ」といってあらかじめサビを提示してしまう。さらに、一曲内で何度もサビを繰り出して、ライブ客を乗せまくるのだという。

 ももクロの楽曲はすべてその調子で、野外ライブで客が飛び跳ねるのを織り込んで作曲されている。客のほうもわざわざ飛び跳ねに来るので、そのような曲を好む。そこには、出演者と客の了解がすでに出来上がっているのだそうで、座らないで飛び跳ねるライブのスタイルが確立しているらしい。

 また、最近のタレントはライブの入場料でだけで稼ぐのではなく、同時に売り出されるグッズの比重が相当に大きくなっているという。タレントの写真やロゴが入ったタオルや団扇がけっこうな高値で売られているわけがようやく分かった。

 以上は上の本に書いてあった。ゴーストライターが書いたのだろうが、内容はマキタスポーツのものだろう。娯楽さえもセオリーに従って「工業的に」量産されているというのが、著者の主張である。読みやすく、面白かった。

60年代アメリカのミーハーポップス

2014-04-29 00:27:15 | 音楽

昭和レトロ倶楽部HPより引用。)

 中学生のころ、東京にはFENというアメリカ進駐軍の英語のラジオ放送があり、そこに「トップ・トゥエンティ」という番組があった。アメリカの流行歌の最新ヒットチャートを紹介する番組である。のちにそれらの流行歌はミーハーポップスと呼ばれた。

 だが私は、なんと良い曲なのだろうと思った。英語の歌詞が分からないから、メロディーとサウンドだけ聴いて、良いなあと思ったのだ。

 私がモダンジャズにハマったのはその2,3年後で、ちょうどビートルズが爆発的に売れた時代だった。モダンジャスから見ると、ミーハーポップスもビートルズもメロディーが単純で、似たようなものに思えた。だが、中学生のときには、こういう曲を作る人は天才だと思ったものだ。

 リトル・ペギー・マーチという15歳の女の子の歌がヒットした。このメロディーは現在でも聴くことがある。

 I will follow him.(Youtube)

 ロネッツという女性グループの歌は、FENで初めて聴いたときにから素晴らしいと思った。これも現在でも歌われるのではないか?このようなスローテンポで聴かせる曲はめったにない。

 Be my baby.(Youtube)

 次の曲もFENで一位になったが、日本ではさほど受けなかったように記憶する。私にはとても良い曲だと思えたのだ。すんなり入ってきて、ひっかからない曲だ。

 Navy blue.(Youtbe)

 これらを「懐かしい」と思われる方は、ご同輩である。若い方々には、これらはどのように聴こえるのだろうか?いかにも古臭いと感じられるのだろうか?だが、現在の流行歌で映像や踊りなしで聴ける流行歌がどれだけあるだろうか?AKB48なら、映像なしで聴けるのはフォーチュンクッキーだけだ。

和声法の複雑化(音楽の根本問題・3)

2014-03-23 06:00:44 | 音楽
 中世ヨーロッパでは、和声(心地よいハモり)としては4度と5度(ドファとドソ)しか認められていなかった。3度(ドミ)はまだ不協和音だった。だが、じきにドミソが和声として認められるようになった。(いまやフォークソングは3度のハモりが定番である。)

 ベートーベンなどのロマン派音楽になると、7th が和声として入ってきた。(ドミソシ♭のような和音。これを7th コードという。フォークソングやポップスには普通に使用されるが、演歌にはめったに使われない。)

 ところが、モダンジャズになると9th , 11th , 13th が和声として使用されるようになり、和声の定義が格段に広がった。これらをあえてテンジョンノート(緊張の音)と呼ぶ。テンジョンノートやそれを使用したテンジョンコードはモダンジャズのサウンドをモダンジャズらしくする決定的な発明だった。

 それらとは別に、suspension4 (宙ぶらりんコード、ドファシ♭)というのが出てきた。このコードが和声学的にどう位置付けられているのかは知らない。sus4 はドファラに解決する。むかし「青い三角定規」というフォークグループの「太陽がくれた季節」という歌が大ヒットしたが、その歌の前奏に使われている(前奏の4小節で「sus4→解決」を2回繰り返す)。当時、しゃれているなと思った。

参考:「太陽がくれた季節」Youtube より。