院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

尖端恐怖症と高所恐怖症

2015-03-05 05:04:06 | 心理

(シーボルトが遺した槍の図版。福島県立図書館郷土資料科のHPより引用。)

 上の槍は図版ですからどうということはないですが、岡崎城の展示室には実物が飾ってあります。実物の槍は悪意に満ちていて、見ているだけで怖いですよ。

 槍を怖いと感じるのは正常心理です。ナイフなどの尖ったものを怖いと感じるのを俗に「尖端恐怖症」と呼びますが、適切ではありません。普通に怖いと感じるだけではほんものの「尖端恐怖症」とは言えず、正常です。

 すでに述べましたが、高いところを怖いと感じるのも正常です。では、どうなると問題かというと、高い場所に行ったとき、自分がそこから飛び降りてしまうのではないかと考えるのが、ほんものの「高所恐怖症」です。飛び降りなければよいだけなのですが、そこまで自我への信頼感がないのが特徴です。

 ほんものの「尖端恐怖症」も同じで、このナイフで自分を刺してしまうかもしれないと考えてしまいます。こうした「自我への信頼感のなさ」がほんものの「尖端恐怖症」と「高所恐怖症」には見られ、病的と判断されるのです。


※今日、気にとまった短歌

  食堂の前で練習する君の奏でるホルン決まるスマッシュ (柳川市)川口真


飛行機に乗れない人は、ふつう高所恐怖症ではありません

2015-03-04 05:21:32 | 心理

(DHC-8-201型機の内部。ORCのHPより引用。)

 自分は「高所恐怖症」だから飛行機に乗れないとおっしゃる人がいます。でも、その人はまず「高所恐怖症」ではありません。

 そういう人がダメなのは必ずしも高いところではありません。「自由に降りられない場所」がダメなのです。そのため、その人は地上の新幹線や特急などの停まらない列車でもダメなはずです。

 狭いところ、すなわち小さい自動車、エレベータなどがイヤな人には、しばしば「閉所恐怖症」の人がいます。「降りられない恐怖症」と「閉所恐怖症」は鑑別が困難な場合があります。(自動車でもスムーズに走っていればよいが高速道路で渋滞になったりすと、その場で降りられないので強い不安に襲われタイプの人は、純粋な「閉所恐怖症」ではなく「降りられない恐怖症」のほうかもしれません。)

 以上のような「恐怖症」は神経症レベルの軽いもので、数も多いです。しかし、ほんものの「高所恐怖症」は神経症レベルを超えていることがあり、上に述べた「恐怖症」より珍しい病態です。


※今日、気にとまった短歌

  誰もみな眼(まなこ)優しき人となるそれを見に行く動物園へ (名古屋市)加藤武朗

高所恐怖症?

2015-03-03 05:46:26 | 心理

(プレーケストーレンの絶壁(フランス)。旅スケのHPより引用。)

 乗り物として車より馬のほうが安全だといわれます。なぜかと言うと、車は断崖絶壁でも止まりませんが、馬は自分で止まるからです。

 哺乳動物にとって、高いところを怖いと感じるのは自己保存の本能で、学習したものではありません。

 よく「自分は高所恐怖症だ」と言う人がいますが、高い場所にいて恐怖を感じるのは正常です。ほんものの「高所恐怖症」は別にあるのですが説明は後日に譲ります。


※今日、気にとまった短歌

  匙なんぞ使わず直(じか)に飲み干してなんぼのものだ煮え湯というのは (仙台市)工藤吉生

第二反抗期は減少してきたのでしょうか?

2015-02-27 05:06:20 | 心理
   (マーガレット・マーラー。1897-1985 )

 発達心理学者マーガレット・マーラーは、母親からの分離独立の過程として子どもの心的発達をとらえました。彼女によれば、思春期の第二反抗期をへて子どもは独立し、その後親と和解することによって完全な大人になるとされています。

 ところが、私自身第二反抗期がなかったし、私の子どもたちもなかったのですね。私の周囲には第二反抗期がなかった人がけっこういます。ということは、第二反抗期は第一反抗期(なんでもイヤイヤ)よりも文化依存性が高いのではないでしょうか?(日本のむかしの武家だったら、第二反抗期の時期は元服のころで、もう大人として扱われましたしね。)

 フロイトの有名なエディプス期の(父親による)去勢恐怖を、日本人で経験した人がどれだけおられますか?エディプスコンプレクス概念も19世紀のヨーロッパ文化によるのではないか?またはもっと狭く、エディプスコンプレクスはフロイト家だけに特有の現象だったのではないかと言う人もいるほどです。(フロイトは自分自身を観察して理論を打ち立てました。)


※今日、気にとまった短歌

  自転車をならべて走ったあの道を走ると心に雨が降るんだ (筑波大学付属坂戸高校)藤澤真由子

区別の限界・・・区別できるのはプロの技

2015-02-13 05:17:02 | 心理

(オサマ・ビンラディン。朝日新聞デジタルより引用。)

 むかしニュージーランドに旅行したとき、私の担当ガイドは日本人コミュニティーに住むお婆さんでした。お婆さんは「韓国人や中国人が悪いことをすると、日本人もいっしょくたに悪者にされる」と嘆いていました。

 われわれ日本人でさえ、日中韓人はしゃべらなければ区別がつきませんから、ニュージーランド人が混同するのは仕方のないことです。これが素人の限界でしょう。

 中東のムスリムがみなテロリストではないことは、わかっています。ただし、個別のケースでもそれを自信をもって言えるのは、やはりプロ級の人だけではないでしょうか?

 素人には区別がつかないことに区別をつけるのが、プロの役割です。例えば精神科医は、本物のうつ病と似て非なる病態の区別ができます。魚河岸の仲買人は魚の善し悪しの区別が、骨董屋は100万円の茶碗と100円の茶碗が区別できます。

 区別ができない!!これが素人の特徴とさえ言えるのではないでしょうか?

(過去の記事「玄人と素人」もご参照ください。)


※今日、気にとまった短歌

  冬の燈に切手シートを透かしつつミシン目どおりゆっくり離す (館林市)本川みや子

当店より1円でも安い店があったらお教えください!!

2015-02-03 04:35:44 | 心理

(家電量販店「デンキチ」のチラシ。デンキチのHPより引用。)

 当店より1円でも安い店があったらお教えください(当店はもっと安くします)という店があります。ここには競争の原理が正常に働いて、消費者は安い品物を手に入れることができる・・と思いがちですが、そうではないそうです。

 他店のほうは1円値下げをすれば、広告の店が1円下げて追随してくることが分かっていますから(つまり消耗戦になりますから)他店は値下げをしないのです。したがって、両方の店ともに値下げが行われません。

 ゲームの理論ではこれを「闇の協調」というそうです。結果として両店とも高値で安定します。つまり、競争していながらじつはカルテルを結んでいるのと同じことになります。


※今日、気にとまった短歌

  よろけつつ手を突く石は秋の日に人肌ほどに温し子の墓 (仙台市)勝美彰

好き嫌いは本能だけで決まるのでしょうか?

2015-01-27 05:18:53 | 心理

(ラフレシアの花。ウィキペディア「ラフレシア」より引用。)

 私たち人間は腐った匂いを悪臭と感じます。そのため私たちは腐った食べ物を食べて生命の危機にさらされることから防御されています。腐臭を悪臭と感じるのは本能なのでしょう。

 一方、ジャスミンなどの花を美しいと感じ香りがよいと思うのは、これも本能でしょうか?私は文化的に学習された結果ではないかと考えています。ジャスミンは元来食糧でもなく、人間の生存に必ずしも必要ではないからです。

 インドールという芳香族の物質は糞臭がします。(じっさい大便にはインドールが含まれています。)そして、なんとジャスミンのいい香りの本体もインドールなのです。濃度が違うだけです。

 写真のようなラフレシアという世界最大の花があります。私たちはこの花を美しいと感じるでしょうか?少なくともこの花は腐臭を発します。そのため、ハエがたかって花粉を運びます。

 臭いラフレシアを汚いと感じるのは本能からです。しかしながら、ジャスミンの花や香りを美しいと感じるのは本能ではなく、文化なのではないでしょうか


※今日、気にとまった短歌

  研修も旅行と思ふ岐阜羽島新卒駆ける春の夜の道 (埼玉県)中野祐輔

アイドルグループに見る「集積効果」

2014-10-20 12:46:55 | 心理

(SUPER✩GiRLS 「ハパルア盛り上げ隊」。@Press News より引用。)

 洋菓子店のウインドウにケーキがまばらにしか置いてなかったらどう感じるでしょうか?寂しいだけではなく、おいしそうに見えませんよね。スーパーでも棚に商品が少なくなることを極端に嫌います。

 品物は密集してたくさん置いてあったほうが、華やかで豊かに見えます。

 じつはアイドルグループにも同じことが言えます。女の子がたくさんいるほうが絢爛豪華に見えます。アイドルが集団をなすことは、心理戦略として必然的なやりかたなのです。


※今日、気にとまった短歌

   年老いて枯葉の軽さとなりたれど秋風はまだ母をさらふな  (可児市)斉藤礼子

八幡洋氏のハーマン批判

2014-09-24 00:42:36 | 心理
   (みすず書房刊。)

 上の本の原書が出版されて、著者のジュディス・ハーマンという女性心理学者は時代の寵児になりました。硬い本なのにペーパーバックになり、版を重ねました。ハーマンは全米で講演旅行をおこなったりしました。

 ものすごく大雑把に何が書いてあるかというと、「現在の神経症症状はPTSDで、幼少時のつらい体験(トラウマ)が抑圧されて意識に登ってこないからである。だから、幼少時のトラウマを思い出して言語化できれば、PTSDは治癒する」ということです。

 こうした考え方はハーマンが初めてではなく、すでにフロイトが言っていたことです。フロイトの「抑圧」という概念は、現在批判にさらされていますが、全生活史健忘(いわゆる記憶喪失症)という病をうまく説明することができます。

 ハーマンがフロイトと違うところは、「思い出させ療法」を全米に広めたことです。その療法のおかげで、(これまで忘れていたが)自分は幼い時に父親からレイプされたと、裁判所に訴える中年婦人が万単位で出現したのです。すでに高齢になっている父親たちはびっくりしました。

 きのう紹介した八幡洋氏の「怪しいPTSD」は、ハーマンを徹底的に批判しています。その後、ハーマンや「思い出させ療法」がどうなったか、父親を裁判所に訴えた婦人たちがどうなったか、ここで言うのはやめておきましょう。「怪しいPTSD」に詳述されています。
 

PTSDに「潜伏期」があるのはなぜでしょうか?

2014-09-23 00:13:32 | 心理
  (中公文庫。アマゾンで目次と「はじめに」が読めます。)

 東日本大震災いわゆる3・11が起こったとき、ある有名なタレント女医が「PTSD(心的外傷後ストレス障害)が1か月以上たったら起こってくるかもしれない」と発言していたので、私は「困ったな、これではPTSDに罹るように暗示をかけているようなものではないか」と思いました。(PTSDは、トラウマの受傷から症状が出るまで1~2か月の「潜伏期」があるといわれています。)

 少ししてある男性医師が「PTSDはレイプで罹りやすく、自然災害では起こりにくい」と発言したからか、幸いに3・11とPTSDを関連付ける「運動」は起こりませんでした。

 私見ではPTSDはレイプでも起こりにくいのです。レイプで起こるのは、旧来からある急性ストレス反応にすぎません。したがって「潜伏期」もありません。あくまでも私見ですが、PTSDはベトナム戦争帰還兵に限られた特有の病態だと狭く理解しておいた方がよいと思います。その意味では、上の男性医師の発言もPTSDの拡大解釈の一例と言えるでしょう。

 かつてベトナム戦争を苛烈に戦って帰還した兵士がアメリカに帰国してから、廃人のように何もできなくなってしまうことが多発しました。アメリカ政府は彼らを救済しなくてはならない。そこで「発明」されたのが「PTSD」という病名です。病気であれば、帰還兵の現状をアメリカ政府として(年金などを支給して)救済することができます。

 PTSDはベトナム戦争に特有で、過去の他の戦争では発生していません。ベトナム戦争が他の戦争と違うところは、帰還兵が英雄として国民から歓呼をもって迎えられなかったことです。戦争中にアメリカでは反戦運動が起こっており、帰還兵を英雄どころか殺人者として迎える人もいました。

 私は帰還兵にはこれが応えたのだと思います。祖国に戻ってから、帰還兵は「自分は死線をさまよう激しい戦いをしてきたのに、自分はどうも殺人者としか思われていなしらしい」と気づき絶望しました。その絶望がPTSDの病像を呈したのではないでしょうか?母国での周囲の様子によって自分たちは見捨てられたと気づくまで、帰還から1か月以上を要したのたと私は思います。これがPTSDに「潜伏期」があるように見える主な要因ではないでしょうか?

 政府はPTSDという「病名」を作って、アメリカ精神医学協会の診断治療マニュアル(DSM第3版)に掲載させることに成功しました。つまり、PTSDは元来政治がらみの「病名」だったのですね。(DSMには原因は問わず現在の病像だけに注目するという有文律があります。ところがPTSDだけは原因を診断に必須としたので、大いなる自己矛盾を起こすことになりました。)

 こうしてDSM第3版のPTSDは一人歩きを始め、世界中で拡大解釈されるようになりました。

 そうなっては大変だという思いから書かれた本が上の本です。でも、その意図に反して、現在、精神科医でさえ安易にPTSDという診断名を使用します。この本は軽快な筆致で読みやすく、PTSD関連の本としては一押しの書物です。八幡洋氏の著作はみな読みやすく、本質をついているのでお薦めです。

「なまはげ」は地元の子どもたちのトラウマにはならないでしょうか?

2014-09-22 00:03:42 | 心理

秋田のがんばる農山漁村応援サイトより引用。)

 テレビなどで見ると、子どもたちは「なまはげ」に怯えきっています。あれはトラウマにはならないのでしょうか?

 たぶん、ならないでしょう。「なまはげ」は、地元のすべての幼児が経験するからです。昨日述べた、ある出来事を体験したマジョリティーには、それはトラウマとはならないとする仮説によれば、そういうことになります。

 「なまはげ」を演じる青年たちも、幼いころ「なまはげ」に脅かされました。その経験は青年たちにとって「艱難なんじを珠にす」というよい方向に働いたのだと思われます。青年たちにとってトラウマとなっていれば、この行事は続いていないはずです。

 逆に言えば、「なまはげ」を経験した幼児が少数なら(すなわちマイノリティーなら)、「なまはげ」はトラウマになるでしょう。


※今日、気にとまった短歌

  夏すぎて秋になる時こんなにもすとんとなるか虫達が鳴く  (瀬戸市)村瀬登美子

トラウマとは相対的なものではないでしょうか?

2014-09-21 05:08:23 | 心理
 2014-03-18 に「艱難なんじを珠にす」などの箴言を引いて、トラウマ概念の恣意性を批判しました。

 それでは、「艱難」が有益なものとして人間を成長させたり、逆にトラウマとなってその人をさいなむという2面性はなぜあるのでしょうか?ひとつの仮説ですが、ある「事象」が同じ文化圏での多数者(マジョリティー)に生じたら有益で、少数者(マイノリティー)に生じたら害になるとは言えないでしょうか?

 たとえば、むかしある部族が行っていた女の子の割礼という野蛮な行為はどうでしょうか?割礼を施される女の子が少数派だったら(割礼を受けた女の子にとって)割礼は必ずトラウマになるでしょう。しかし逆に、割礼をされなかった女の子のほうが希少だったら(つまり大多数が割礼を施されたら)、今度はされなかったほうがトラウマになるのではないでしょうか?(その文化圏内部に限っての話ですが・・。)

 上の例は適切ではないかもしれません。ここで私が言いたいことを理解されたかたは、もっと適切な例を考えてみてください。

「○○だけど○○だ」という生き方

2014-08-22 05:40:33 | 心理

東京寺院ガイド・文京区より引用。)

 私の家の代々の菩提寺は、東京都文京区の寺が多い地区にあります。法事のときには親戚一同そこに集まります。

 私が幼いころ、菩提寺で法事がありました。私は字が読めて意味も分かりましたから、たぶん小学校3,4年生のころのことでしょう。子どもにとって法事やお経ほどつまらないものはありません。

 私は暇つぶしに寺にあった仏教のパンフレットを読んでいました。そこに次のように書いてありました。

 人はみな「○○だけど○○だ」と考えて生きている。例えば、「私は勉強はできないけど正直だ」、「私は不美人だけどスポーツ万能だ」という具合です。

 幼い私でも「なるほどぉ」と思えました。この記事が仏教の教えのどこから由来しているのか、いまだに知りません。

 50年以上前のことをなぜか急に思い出したので、書き留めておきます。

サプリメントの「薬効」表示の解禁(わが国の産業利権構造-7-)

2014-08-17 06:08:42 | 心理
 現在盛んに売られているサプリメントには何の薬理効果もありません。つまり、小麦粉を丸めた偽薬とほぼ同じです。そのため、これまで私はサプリメント批判をしてきましたが、サプリメントは効く人には効くのです。いい薬を飲んだから!という心理的な効果ですね。これをプラセボー(偽薬)効果といいます。その上、今後サプリメントは「効能」を謳ってもOKになるので、一層「効く」ようになるでしょう。

 逆にいうと、医者が処方する「正規の薬」もその元来の薬効ではなくて、プラセボー効果で効いていることがあります。次のグラフがそれを物語っています。


(明治製菓、リフレックス錠の添付文書より引用。)

 上図はリフレックスという抗うつ剤を6週間投与して経過を追ったものです。一番上の曲線(黒丸)がプラセボーを与えた群で、一番下の曲線(黒四角)がリフレックス30㎎を投与した群です。縦軸はうつ症状の改善度を表します。どの曲線も右肩下がりになっていますから、すべての群で改善が見られ、6週間たつと10ポイント~14ポイントよくなっています。

 プラセボー群が10ポイントしかよくなっていないのに、リフレックス30㎎投与群は14ポイントよくなっています。だから、この図の制作者はプラセボー群より実薬のほうが確かに効くと言いたいわけです。ところが、プラセボー群でも10ポイントもよくなっています。つまり、プラセボーだけでもけっこう「効く」のです。ということは、リフレックスの効果とは、実薬部分の効果とプラセボー効果が足し算されたもの理解しなくてはなりません。

 言い換えると、医者が処方した「実薬」で患者さんがよくなったとき、それが薬物本来の効果でよくなったのか、プラセボー効果でよくなったのか、医者にも誰にも分からないというケースが生じます。(医者は薬物本来の効果と考えがちですが、薬の種類によってはプラセボー効果のほうが大きい場合もあります。)

 現在のところ、「実薬」は医者にしか処方できません。だから、患者さんがよくなったのがプラセボー効果によるものであったとしても医者の手柄になっていました。

 冒頭にサプリメントが「薬効」を謳うと、もっと「効く」ようになると述べました。そうなると、実薬とサプリメントの境界があいまいになり、医者の独占だった「実薬をプラセボーとして(それとは知らずに)使用する既得権」が大幅に削られることになります。(この辺、意味が分かりにくいですか?)この既得権がなくなると、医者の独占業務が打撃を受けることは明らかです。

 私の被害妄想とお断りしておきますが、厚労省はサプリメントが「薬効」を謳うのを許可することによって、上記の医者の既得権を奪おうとしているのではないでしょうか?それでは医者は立つ瀬がなくなります。

(エビデンス(科学的証拠)にうるさいアメリカが、なぜサプリメント天国なのか不思議に思っていました。でも最近、サプリメントは効かないとアメリカでも言われるようになってきました。日本ではどうなるでしょうか?)

佐世保の女子高生殺害事件に寄せて(2)--「命は尊い」という教育は有効か?

2014-08-07 07:09:21 | 心理


(破壊される前のバーミヤンの石仏。高野山法徳寺のHPより引用。)

 佐世保市では過去に少年少女による殺人事件があったため、「命は尊い」という教育にことさら力を入れてきました。にもかかわらず、今回の殺人事件です。佐世保市の教育者は途方に暮れているそうです。

 命は尊いという当たり前のことを、しいて学校で教育することは有効かどうか、考えてみましょう。

 人間には破壊衝動があります。平時でも少数の者は破壊を行います。その際、破壊する対象がつまらないものであっては破壊する意味がありません。なるべく大事なものを破壊した方が、破壊衝動を満足させることができます。

 破壊されたバーミヤンの石仏は世界遺産でした。バーミヤンの石仏が、どこにでもあるつまらない石仏だったら、かえって破壊されなかったでしょう。世界遺産に祭り上げられたことが破壊を招いたとさえ言えるでしょう。

 国内のもっと卑近な例で言うと、国宝の寺の壁に落書きされることがあります。落書きの犯人は、それが普通の道路だったり倉庫の壁だったりしたら、落書きをしなかったかもしれません。大事な国宝だから破壊衝動が刺激されて、落書きをしたのではないでしょうか?

 こうした破壊衝動の特徴にかんがみれば、少数の破壊者にとって皆が大切にしているものほど破壊の対象になりやすくなります。

 つまり、学校で「命は尊い」、「命は大切」と教育すればするほど、命は少数の破壊者にとって魅力的な破壊対象になるとは言えないでしょうか?したがって、「命は尊い」という教育は少数の破壊者に対しては逆効果となります。

 以上はかなり強引な説明かも知れません。でも、これらは100%誤まった議論ではなく、一抹の真実が含まれていることを、感じとってはいただけないでしょうか?