院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

AKB48は、いつまでもつか?(第2弾)

2013-10-22 01:48:31 | 芸能
 私は2011年10月10日の「AKB48は、いつまでもつか?」という記事で、2011年の紅白まではもたないと予想した。それは見事に外れたばかりか、AKB48は2012年(昨年)の紅白にまで出演した。

 AKB48がもたないと予想した根拠は、じゃんけん大会とか総選挙といったバカバカしい催しはすぐに飽きられると踏んだからだ。

 今年も予想しよう。「AKB48は今年(2013年)の紅白まではもたない」。

 マエアツや板野や篠原などの一見して識別できるメンバーが抜けてしまった。今、私が識別できるのは、センターの指原と渡辺麻友だけだ。

 今回、私が「もうもたない」と予想するのは、目立つメンバーが抜けてしまったからという理由からだけではない。

 AKB48を初めとする一連のグループアイドルは、きのう説明した「一回に認識できるのは7名前後まで」(このまとまりを「チャンク」と呼ぶ)という原則に抵触しているからだ。48名という人数は、とっくに7名前後という「チャンク」を超えている。

 秋元康さんは、グループを4つに分けた。でも、各グループは20名ほどいて、これでもまだ一つの「チャンク」の限界をずっと超えている。

 1グループは7名前後に抑えるべきなのだ。AKB48そのように分割すると7グループができる。このグループの個数もまだ(グループ数として)「チャンク」内に収まる。こうすれば観客は、AKB48の全体を認識することができるようになる。

 昨年、紅白に出た「ももいろクローバーZ」はAKB48よりも生き残りやすいだろう。彼女らは5名構成で、最初から「チャンク」内に収まっているからだ。今回は、個々のアイドルグループの魅力は考慮せず、単に人間の認知能力の限界という面だけから考察してみた。


ももいろクローバーZのオフィシャルサイトより。)


ドラマ「半沢直樹」

2013-09-21 05:41:18 | 芸能

楽天インフォシークより。) 

 ドラマ「半沢直樹」があまりに人気があるので私も一回見た。確かに面白かった。その回には金融庁の銀行監査の係官が来て、銀行側が戦々恐々とする場面があった。

 監査官の親玉は、いかにも憎たらしく描かれていた(上の写真)。銀行側の落ち度を重箱の隅をつつくように執拗に探すのだ。多くの視聴者はこれをドラマだから絵空事だと思ったのではないか?でも私は有りそうなことだと思った。

 大きな病院には厚労省の医療監査というのが入る。この監査官がきわめて意地悪なのだ。わざと経過が複雑なカルテを選んで、ちょっとした計算上のミスを捉えて主治医を犯罪者のように追及する。

 医療監査官には収益を没収する権限がある。没収は病院の死活問題になる。だから、院長以下、医者全員が監査官に平身低頭して、極力失礼がないようにする。それでも私が勤務していた病院は2000万円まきあげられた。

 監査官はじつは医者なのだ。医者になる人はたいてい、患者の役に立とうとして医者をこころざす。ところが監査官になった医者は、なにがしたくて医者になったのか疑問に思うような人だった。患者のために一生懸命な医者を罪人扱いして、ドラマほどではないが声を荒げることもあった。

 医療監査官の態度があまりに医者の人格を無視したようなので、病院の側から「あの傲慢さをなんとかしろ」という声が最近ようやく上がってきた。

(この監査とは別に、保健所による医療監視というのがあるので混同しないでほしい。保健所の監視は和気あいあいとしたものである。)

芸能の「形式」、「約束事」

2013-08-31 06:01:51 | 芸能
 私は高校時代から現在まで、能(能楽)を10回以上は見ている。しかし、すべて退屈してしまった。能の音楽(囃子方)がすばらしいと思って鑑賞するのだが、歌劇としての能は理解できない。あれはまず自分でやっていないと面白くないのだろう。

 つまり、能という「形式」に自らがすっかりはまって、その「形式」が自明のものとなっていなくては鑑賞できないようだ。



 私はミュージカルも理解できない。舞台のミュージカルは見たことはなく、映画を見ただけだが、ちっとも面白くなかった。歌を歌う前と後でシチュエーションがすっかり変わるという「約束事」が身についていない。だから、面白いと感じない。

 オペラも同様である。歌のテクニックはすごいと思うが、劇としてのオペラの中に引きこまれない。オペラ好きの友人は、ドイツ語の歌詞も台詞も全部覚えている。そこまで浸らないとオペラの本当のよさは分からないのかもしれない。(外国語の劇だから当然と言えば当然だが・・。)

 まず、「形式」を受け入れないと鑑賞できない芸能はいくらでもある。俳句だってそうである。575という「形式」を否定してしまうと味わえない。

 実は、映画やテレビドラマにも「形式」がある。途中から見たテレビ番組が、ドラマなのかドキュメンタリーなのかは説明されなくても分かる。ドラマにはそれなりの台詞の言い方や表情の見せ方があるから、それで分かる。そうした「約束事」を無意識に認めているからこそ、われわれはドラマが楽しめるのである。

大人気の子供向け番組「キョウリュウジャー」

2013-08-08 06:03:30 | 芸能
 子供向けの「キョウリュウジャー」という番組が大人気である。5人揃って「ゴレンジャー」の流れをくむ戦隊もので、実写(特撮)のドラマである。

 今年の2月に始まったばかりだが、すでに「仮面ライダー」の人気を超えている。小学校1年生の甥は「仮面ライダー」のファンだったが、「キョウリュウジャー」に乗り換えてしまった。

 「仮面ライダー」と「キョウリュウジャー」はどこが違うのだろうか?「仮面ライダー」にはストーリーがあるが、「キョウリュウジャー」にはないと言ってもよい。「仮面ライダー」は人間が対話してストーリーを運んでいくのだが、「キョウリュウジャー」にはそのような場面がほとんどなく、全編「変身」と「戦い」である。つまり、見ていて面倒でないのだ。

 ストーリーらしいものがないのは、大人向けの映画でもある。ジャッキー・チェンの拳法ものや、007などのチェイスものはアクションシーンを楽しませる映画であって、ストーリーはオマケである。「キョウリュウジャー」にストーリーがあるとすれば、「悪者」をレンジャーがやっつけることだけである。「悪者」はいかにも悪者らしくデザインされて、なぜ悪いのかという説明は全然ない。

 セリフが少なく善玉と悪玉がはっきりしていて、主に戦闘シーンを見せるという点において、これらのドラマはダンプ松本がいたころの女子プロレスにも似ている。「キョウリュウジャー」は「仮面ライダー」と同じくおもちゃ会社とコラボしていて、出てくるマシンは恐竜にせよ剣にせよ、おもちゃとしてすでに設計済みだと思われる。おもちゃのこうした売り方は、30年前からすでにあった。

(一説によると「仮面ライダー」は子供の母親に人気があるという。出演男優がイケメンだからである。ちなみに「キョウリュウジャー」の出演男優もイケメンである。)

「スギちゃん」は儲け過ぎか?

2013-07-27 04:34:56 | 芸能
 昨年、「スギちゃん」という芸人の「ワイルドだぜぇ」というセリフが大ヒットして、昨年の流行語大賞に輝いた。

 「スギちゃん」は一発芸人として、昨年だけで消えてしまうかと思われたが、今年もテレビに出ている。稼ぎは年間、億単位だそうだ。

 あれしきのことで億単位とは、儲け過ぎだと思われるだろうか?私は思わない。

 宝くじのBIGという商品は、6億円当たった人が200人を超えたとテレビで宣伝している。宝くじに当たった人は何の才能があるわけでもないし、努力をしたわけでもない。そのような人でも、運さえよければ6億円を手にできるのだ。

 「スギちゃん」は宝くじで6億円を当てた人よりは苦労している。テレビ局を飛び回るなど、時間も使っている。

 宝くじにせよ「スギちゃん」にせよ、ときどきものすごく運の良い人がいるから、世の中は丸く収まっているのだと私は考えている。つまり、完全な実力主義ではないから救いがあるのだ。

映画と漫画の進化

2013-07-21 00:43:45 | 芸能
 いま観衆は映画に対してほとんど拍手をしない。

 昔の東映映画では、片岡知恵蔵扮する私立探偵がガス室に閉じ込められ絶体絶命の場面で、機動隊のトラックがサイレンを鳴らして救助に向かうと、客席から拍手が巻き起こったのだ。

 観衆はそれほどに無邪気だった。今から思えば、クサくてとても拍手できるようなシーンではなかった。

 それでも当時の観衆は興奮し物語に吸い込まれていた。映画館はどこでも満員で、立ち見の群れができるのが常だった。

 観衆はみな素直だった。浪曲が流行っていて、仕組まれたとおりに泣き笑った。そういった傾向は1970年台まで続いた。いい大人が漫画のような映画を見ていたのだ。(当時、漫画はお子様専用だった。)

 現在、映画も漫画ももう子供向けとは限らない。今の子供向けは「嵐」や「AKB48」のライブステージだろう。昔、小説や評論を読むのが好きだった人は映画や漫画を見なかったように、今、映画や漫画を本気で好きな人は「嵐」や「AKB48」を見に行かない。

女優・中谷美紀さん

2013-07-02 05:01:20 | 芸能
 女優の中谷美紀さんを、私はタイムスリップドラマ「仁」で初めて知った。現代では主人公の恋人、江戸時代では売れっ子の花魁(おいらん)の役で、いい味を出しているなと思った。

 彼女のこれまでの受賞歴など、赫々たる経歴はなにも知らなかった。十代からデビューしていたことも知らなかった。

 その中谷美紀さんが、アートの紹介番組で案内役をやっていた。作品の解釈や反応が大変当を得ていて心地よかった。

 日曜美術館の森田美由紀アナウンサーと千住明さんが、作品に対してあまりに大仰に反応して場違いなことを、いつぞや批判した

 それに比べて中谷美紀さんは、とても自然だった。今後、注目したい。

含笑長屋

2013-06-24 00:00:06 | 芸能
 このほど名古屋の落語を聴く会、「含笑長屋」が46年間の幕を閉じた。

 名古屋にはない落語文化を名古屋に招こうという趣旨で、関山和夫さんという地元大学の先生が発起人となって、昭和42年に作られた会である。先日、関山さんが83歳でご逝去されたので、それを汐に解散となった。

 東京から噺家を呼んで、その名もぴったりの含笑寺という寺の本堂で「聴く会」を開いたので、「含笑長屋」という名称が付けられた。

 私は学生時代に友人に連れられて、ときどきこの会に足を運んだ。私が東京から名古屋に来たばかりのころだった。

 正直に言って、この会で面白い噺家に出会ったことはなかった。それまでは東京の末広亭などに通ったが、その末広亭の噺家も面白くなかった。私は末広亭で、真打が必ずしも面白い噺家ではないことを学んだ。

 「含笑長屋」に三遊亭円窓さんという噺家が来た。この人は「円窓500噺」と銘打って、死ぬまでに500の埋もれた噺を発掘して高座にかけると約束した。だから、この人の噺は毎回新しいものだった。

 2001年、円窓さんは遂に500噺を達成した。大したものである。大変な勉強家である。

 だが、あくまでも私にとってだが、この人の噺は面白くなかった。醸し出す雰囲気にフラ(今の言葉でいえば、面白さのオーラのようなもの)がないのである。いくら勉強家でも、フラだけは学べない。この人は一時、テレビの大喜利にも出演していたが、やはり面白くなかった。

 以上は私の私的な感想である。円窓さんのことを好きな人が、友人にはいることを申し添えておく。

バーチャルアイドルの「追っかけ」

2013-06-23 00:49:35 | 芸能
 「クラリス」というアニメの女の子2人組アイドルが人気である。声優は中学生のやはり女の子の2人組である。声優の正体は明かされていない。

 アニメの女の子や声だけの声優がアイドルになりうるかというと、なるのである。

 25年ほど前、まだ幼なかった息子と娘を連れて「キャプテン翼」のアニメを見に映画館へ行った。近くに中学生らしい女の子が2人座ってアニメを見ていた。アニメに登場人物が出てくるたびにその子たちは、「あ、翼くんかっこいい!」、「ほらほら、岬くんが出てきたよ!」と小声で興奮しているのだ。

 彼女たちは、翼くんや岬くんの、言ってみれば「追っかけ」だったのだ。アニメの登場人物にも「追っかけ」がいるのだなぁと感慨深かった。

 考えてみれば、「AKB48」や「嵐」は生身の人間だが、ファンはいくら熱狂しても、結局のところ彼女ら彼らを実際の恋人にすることはできない。その意味において、アニメのアイドルも同じことである。

 だから、姿かたちはもちろん、声まで人工的に作られた完全なバーチャルアイドル「初音ミク」に「追っかけ」がいても、不思議はない。(もっとも「初音ミク」は実際に追っかけなくても、パソコンに取り込むことができるし、自由に歌わせたり踊らせたりすることができる。その分、「憧れ度」は昂まらないかもしれないが。)

スタンダードとは何か?

2013-05-23 00:19:58 | 芸能
 ポップスでスタンダードナンバーというと、「枯葉」、「虹の彼方に」、「煙が目にしみる」などが挙げられる。今日でも新しい楽曲でよいものが生まれれば、それがスタンダードナンバーになるはずだと言われていたが、そのような楽曲は出てこない。

 ということは、あるジャンルが完成してしまうと、もうそれ以上の作品は出てこないのではないか?

 モダンジャズでもそうだ。現在でも演奏されるのはもっぱら60年代のサウンドで、当時最新といわれた70年代のサウンドは残っていない。マイルス・デビスで言えば、「マイルススマイルズ」までで、後のLP「ビッチズブリュー」は当時は騒がれたが、もう顧みられない。

 落語も古典落語と新作落語の間には大きな溝がある。新作落語は何年たっても古典落語にはなりえない。明治大正昭和の新作落語は残っていない。

 クラシック音楽は、今でも盛んに演奏されるのは、モーツァルト、ベートーベンといったドイツロマン派までで、それ以降の音楽を聴く人は物好きの部類である。

 能なぞはもっと徹底している。例えば能面だが、新しい能面というのはありえない。なぜなら、面打ちの職人は、過去の面と寸分たがわずに作るのが腕の見せ所だから。

 歌舞伎もそうだ。歌舞伎十八番にとどめを刺す。スーパー歌舞伎なんてキワモノだ。三代目猿之助が宝塚みたいな衣装で演じても、絶対に残らない。

 映画も漫画も、もう伸びしろが少ない。

 新しくて素晴らしい作品を期待するなら、ジャンルそのものが新しくなくてはならないようだ。

面白かった「そっくりショー」

2013-05-22 00:03:29 | 芸能
 私が高校生くらいのころ、テレビで「そっくりショー」という番組があった。大変な高視聴率で、最高で50%近くにまで行ったのではないか。

 有名タレントに顔がどのくらい似ているかを、一般応募者が競った。世の中には本当に似ている人がいるもので、あまりにそっくりな応募者がいるので爆笑した。テレビでしか実現できない番組だった。

 だが、思うに一卵性双生児のように、まったく同じだったらこれほど面白くはなかっただろう。いくら似ていても、やはり違うから面白いのだ。写実的な肖像画よりも似顔絵漫画のほうが面白いのと同じことである。

 現在でも「そっくりさん」は活躍していて、CMなどに松田聖子さんのそっくりさんや、オバマ大統領のそっくりさんが出る。これらのそっくりさんも、本人とまったく同じではないから面白いのだ。

 「そっくりショー」で司会をしていた小野栄一さんは、その後そっくりさんだけを集めて芸能プロダクションを作ったが、失敗した。そっくりさんばかりが集まっても、うら寂しい感じがするだけで、なんの活躍もできなかった。

 やはりオリジナルがあってのそっくりさんで、そっくりさんだけでは何もできないということを、その芸能プロダクションは世に示した。小野栄一さんは83歳で今でも健在だそうである。

市川團十郎さんの闘病生活

2013-02-06 05:49:47 | 芸能
 昔、総合病院に勤めていたころ、歌手の村田秀雄さんが糖尿病のため両足を切断した。それでも村田さんは椅子に座って舞台出演し、歌っていた。

 そのとき、同僚の糖尿病専門医が「村田秀雄は偉い。彼がこうして舞台に立つことによって、どれだけの糖尿病者に希望を与えるか分からない」と言っていた。

 村田さんの闘病生活は案外報道されなかった。

 このほど市川團十郎さんが白血病のために亡くなった。彼の闘病生活もあまり報道されなかったが、團十郎さんが舞台に立つたびに、日本の白血病患者は大いに励まされたことだろう。

 團十郎さんは、闘病生活をビデオに残していた。それが今、続々と放映されている。それは何か違うのではないか?生きている人の闘病生活は報道する意味がある。白血病患者が「あの人も頑張っているんだ」と励まされるだろう。

 だが、亡くなった人の闘病生活を報道して、誰の役に立つのだろうか?いささか頓珍漢なのではないか?白血病患者には行く末が分かっている映像である。そんなもの流して、意味があるのだろうか?

AKB48・峯岸みなみさんの謝罪映像

2013-02-04 03:56:47 | 芸能
 AKB48の峯岸みなみさんが、丸坊主になって泣きながら恋愛事件を謝罪した映像を Youtube に流した件について、ネット上で意見が乱れ飛んでいる。大部分が批判的な意見である。整理すると以下のようになる。

(1)丸坊主は見苦しい。映像自体が気持ちが悪い。

(2)AKB48の恋愛禁止の掟を侵したのなら、謝罪では通らない。退団すべし。

(3)いや、そもそも恋愛禁止というのが人権侵害ではないか?

(4)あの映像はヤラセであることがミエミエだ。ビデオを撮ったのは誰か?

(5)あの映像を仕掛けて、すぐに削除したのだから、また秋元一家は大儲けする。

(6)あの映像を Youtube に流したのはまずかった。世界中でニュースにされてしまった。日本の恥だ。

(7)AKBファンはカルト教団みたいで、気持ちが悪い。

(8)週刊誌で騒がれたら峯岸さんが謝罪してしまった。相手の男はどんな気持ちだろうか?(謝罪されるほど俺は悪いことをしたか?と思うだろう。)

(9)そもそもテレビが取り上げるような事件なのか?政治問題や、震災復興問題など他にもっと重要なことがあるだろう。

 私も峯岸みなみさんの謝罪映像をテレビで見た。そして私なりの感想をもったのだが、私と同じような意見は(私が見た限り)一件もなかった。

 私の意見は「芸能人は見られてナンボ、注目されてナンボの商売である。だからヤラセであろうとなかろうと、峯岸さんの今回の行動はこれだけ注目されたのだから、大成功である。芸能人は目立つためなら(犯罪にならなければ)何をやってもよいのだ」ということである。

 かつて沢尻エリカさんが「別に?」発言でマスコミからバッシングを受けたが、そのときに俳優の津川雅彦さんは「あれでいいのですよ。芸能人なんていう存在は元来、反道徳的なんで、騒がれるのはよいことであって、騒がれないとかえって困るのですよ」という意味のこと言っていたので、感心した覚えがある。

 劇作家の別役実さんの本「当世商売往来」(岩波新書)には、タレントという職業の定義は、「存在しているだけでお金を稼ぐ人で、ほかに能力がない人」とあって、笑ってしまった。

(以上は昨日までのネット上の話。今日は峯岸さんへの応援、同情コメントが普段の10倍来ているという。だから峯岸さんの行動は大成功だったわけだ。)

紅白歌合戦での美輪明宏さん

2013-01-30 05:50:49 | 芸能
 美和明宏さんの「ヨイトマケの唄」がヒットしたのは私が中学生のときだった。この歌は大ヒットして、40万枚も売れた。当時の大人たちはみな本物のヨイトマケを知っていたはずである。私も幼少時にヨイトマケを見たことがある。私はヨイトマケを見た最後の世代である。

 しかし、この歌はあまりに道徳的なので、私の胸を打つことはなかった。でも、ヒットした。それはもしかすると、美和明宏さんがシスターボーイ(今でいうオカマタレント)という異形(いぎょう)の人であり、オカマが今よりもずっと差別され時代で、背徳の匂いさえするような麗人が道徳的、浪花節的な歌を歌うミスマッチが受けたのかもしれない。

 美和明宏さんは2012年のNHK紅白歌合戦に出演した。私も見たが、私が中学生の時にこの歌を聴いたのと同じ感想しかなかった。つまり感動しなかった。

 ところが、紅白での美和さんの歌唱は、驚くほどの反響を呼んだ。AKB48のメンバーは、すごいオーラだった、鳥肌がったとヨイトマケの唄を絶賛した。彼女らは、本物のヨイトマケを見たことがないから、かえってイメージが膨らんだのかもしれない。

 ネット上でも賞賛の嵐が吹き荒れた。ネットの発言者も若くて、本当のヨイトマケを知らないだろう。私は、意外なものが受けるのだなと、感心した。紅白のプロデューサーには受けることが分かっていたのだろう。だから出演させたのだ。やっぱりプロだなと思った。

 私が見た本物のヨイトマケは、歌のとおり「母ちゃんのためなら、えんやこーら」と言っていた。三本の木で組んだやぐらのてっぺんに滑車をつけ、7,8人が力を合わせて木の固まりを持ち上げては落とし、地ならしをしていた。ヨイトマケはすぐにロードローラーや地固め機の出現にによって駆逐された。幼稚園児の私は、面白いなと思っていつまでもその作業を見ていた。差別的な視点なぞまったくなかった。

凝りすぎてつまらない脚本

2013-01-25 05:21:24 | 芸能
 2011-07-17 のこの欄の記事で、2012年はモデル・女優の武井咲さんの年になって、武井咲さんは大ブレークするだろうと予想した。そのとおり、2012年には武井咲さんはドラマ「Wの悲劇」「東京全力少女」と2本のテレビドラマに主演し、NHKの大河ドラマ「平清盛」にも出演した。

 好演だったと思うが、上記のドラマは3本とも面白くなく、途中で見るのをやめてしまった。視聴率はいずれも2ケタに達しなかった。だが、これは武井咲さんのせいではない。そもそも脚本が面白くなかったのだ。

 いずれの脚本も凝りすぎてかえって失敗している。テレビドラマなんて慰みに見るものだから、ストーリーを複雑にする必要はないのだ。水戸黄門がワンパターンで成功していたことに倣えばよかったのだ。脚本家の妙な野心を感じた。

 米倉涼子さんの「ドクターX」は、むちゃくちゃな設定で、手術もありえないようなものだったが、面白くて最後まで見てしまった。じっさい視聴率も2ケタで成功した。テレビドラマはそれでよいのだ。

 2013年は剛力彩芽さんの年だそうだ。剛力さんは国民的美少女コンテストの予選で落ちたそうだが、スカウトされて芸能界に入った。武井咲さんも米倉涼子さんも、国民的美少女コンテストで何かの賞を取っている。

 剛力さんは今「ビブリア古書堂事件手帳」というドラマに出ている。このドラマは今のところ、2ケタの視聴率を得ている。同名の小説をドラマ化したものだが、ドラマの2作目は1作目より面白くなかった。でも、助演にEXILEのAKIRAさんを起用したのは成功だと思う。

 小説の「ビブリア古書堂」はすでに漫画化されていた。その漫画を以前に読んだが、漫画化に成功していなかった。ドラマ化はどうか、今後に注目している。