院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

学会活動をする医者しない医者

2014-10-25 00:08:02 | 学術

(水頭症学会・京都での発表風景。大阪大学精神医学教室のHPより引用。)

 医者を分類するとき、なにに着目するかで結果が異なります。

 たとえば学会発表や論文発表するかどうかで医者を分けると、それらをよくやる医者と全然やらない医者とに分けることができます。

 発表内容は臨床研究だったり動物実験だったりします。動物実験ばかりやっている医者は臨床がおろそかになると思われるかもしれませんが、じつは違います。

 私の経験では、ある医者の発表内容が動物実験ばかりだったとしても、全然発表をしない医者よりもなぜか臨床的に優れているのです。むろん例外はありますが・・。

 人前で発表するということはそれなりの準備と覚悟が必要で、なにを質問されても立ち往生しないように幅広く勉強しておかなくてはならないからだと私は考えています。

小保方さんの記者会見に寄せてーー素人が学術論文について論じる愚

2014-04-10 08:39:24 | 学術
 STAP細胞騒動のすべての原因は、当該論文がネイチャー誌に載っただけのことを理研広報部が大々的に宣伝したことにある、とは 2014-03-12 で述べた。騒動を引き起こしたのは小保方さんでも共同研究者でもない。理研の広報部である。(あるいは理研の広報部に宣伝の指示を出した人物である。)

 これもすでに述べたことだが、ネイチャー誌が一流誌であるとは言っても、載っただけなのに嬉々として発表してはいけなかったのだ。素人はSTAP細胞が完成したと受け取る。掲載論文の成否はのちに行われる追試でしか語れず、8割の学術論文が再現性なしとして消えていく。STAP細胞の論文もそうした経過をたどるべきだった。山中教授のiPS細胞も、そうした手続きを経て生き残り、ノーベル賞に至った。iPS細胞の論文が 2007 年にジャーナルに掲載されたとき、われわれ国民は何も知らなかったではないか。

 識者は次のようなことを言っている。
(1)あの論文は無価値である。理研が追試をするらしいが徒労である。(首都大学東京教授)。
(2)200回以上STAP細胞の作製に成功しているなら、200回以上の実験ノート記録が残っていなくてはならない。(九大教授)。

 これらの教授たちが言っていることは正しいのだろう。だが、どうせ言うなら、学術論文が正しいか否かは再現性によってでしか言えないと念を押してほしかった。なぜなら、インタビューをした放送局の記者(これは素人である)は、STAP細胞が存在するか否かばかりを性急に知りたがっていたからである。

 追試に待つしかないと言ったのは武田邦彦教授だった。彼は数年すれば再現性のない論文は消えていくとも言った。学者としてもっとも正しい発言である。

 研究は税金で行われるのでしょう?と必ず成果が上がらなければならないと思っている記者がいたが、彼らは素人だから仕方がないだろう。だが、その質問に対応した東大教授は記者の意見を否定しなかった。東大教授がそれでは困る。素人の記者たちを「研究とは必ず成果が上がるものではないのだよ」と諭してほしかった。

 成果が上がったとしても、学術研究には何の役に立つのか分からないものが多いのだ。最近、南極に築かれた高価な装置で重力波が測定され、宇宙開闢のもっと前が分かりそうだというが、そんなもの何の役に立つかと問われれば立たないのである。学術研究とはそのようなもので、素人がよってたかって野次馬的に論評するものではないのだ。

註:ここで言う「素人」とは「玄人と素人」の記事(2014-03-05)に書いたような意味である。

医学博士号の取り方

2014-03-17 04:54:51 | 学術
 2014-03-13 の記事で、医学博士号は学位の中でもっとも価値が軽いと書いた。医学博士号の取り方を述べよう。

 最終段階から先に言うと、最終的に博士論文は博士号を出す大学の教授会を通らなくてはならない。医学部の教授会は基礎(生化学、病理学など)の教授と臨床(内科、外科など)の教授合わせて50人ほどから成る。

 教授会に出される論文はすでに出版されていなくてはならない。出版媒体は、それこそ Nature でもよいし、先日来書いてきた誰も読まない学内雑誌でもよい。この段階で出版媒体が問われないから、多くの医者は掲載が楽な学内雑誌に載せるのだ。大学院生であってもそうでなくても、ここは同じである。

 教授会の先生たちは、みなよく論文を読む。なぜかというと、教授連が真面目だということもあるが、論文の内容はほとんどが自分の専門外なので、若い学位希望者に馬鹿にされたくないということもあるだろう。論文の(内容ではなく)体裁がおかしいなら、ここで必ずはねられる。(だから、小保方さんの学位論文が、なぜ教授会を通ったのか不思議なのだ。少なくとも無意味な文献欄は誰が見てもおかしい。)

 教授会で過半数の支持を得れば学位が認められる。(ほかに面接試験や語学試験があるのだが、本質的ではないので省く。)実際は過半数を割ることはないらしい。だが、たとえ過半数に達していても、7人も8人も不支持者が出ると、担当教授はものすごく恥ずかしいのだそうだ。

 だから、担当教授は学位論文を綿密に読む。査読者のいない雑誌なら担当教授が読むしかない。(先日、小保方さんの学位剥奪よりも前に、大学院側の学位授与権を剥奪せよと言ったのは、そのためである。)

 そこで、読者が疑問に思われるだろうところは「担当教授はどうやって決まるのか?」というところだろう。大学院生でなければ、これはもうコネというよりない。まったく知らない人が「教授会に出してください」と教授のところに論文をもってきても、「はい分かりました」とはならない。

 教授会に学位論文を架けられるのは教授の専権事項である。この権限が、教授が若い医者の人事に口を出せる権力のひとつだった。直接は言わないが、僻地への赴任を示唆されることもあった。(現在、そのようなことはないらしい。その代わりに僻地に行く医者がいなくなってしまった。)

 1970年ころ、人事に利用されるくらいなら学位は必要ないと、「学位返上運動」が起こったことがあった。学生運動の鎮静化とともに、その運動も消えたが。

 学位授与には大学院を出るコース以外の方法があることを、上に少し書いておいた。教授に直接頼んで、論文だけを教授会に架けてもらう方法がそれである。このような方法で授与された博士を「論文博士」という。効力は大学院博士と同じだが、大学院(4年)よりも2年多く経験が必要である。

 ここまで読まれて、読者はある可能性に気付かれただろうか?それは担当教授さえ決まってしまえば、誰が学位論文を書いてもよいということだ。担当教授に謝礼を払って彼に論文を書いてもらうことが、むかしはあった。医学博士号が金で買える時代があったのだ。(むかしはバレてもスキャンダルにならなかったが、いまはなる。)

医学博士号のやりきれない軽さ

2014-03-13 06:14:06 | 学術
(文芸社刊。)

 医学雑誌でもっとも権威があるのは、ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンである。続いてランセットやJAMAがある。

 日本の大学の医学部は、OBなどを科目横断的に集めて、○○大学医学会という学会を組織していている。会員が100名以上いて、定款や理事を定めて日本学術会議に申請すれば、学会を名乗ることができる。このような学会は自らの機関誌をもっている。

 2014-03-10 の記事で、格が低い雑誌と言ったのはこのような機関誌を指している。博士論文はこれらの雑誌なら教授がOKを出せば載せられる。ただし、印刷代(100万円くらい)は自腹である。事実上、レフェリーはいない。だからこの雑誌を読む人なんていない。(会員には雑誌が送られてくるが、誰も読まない。全国の医学部図書館にも寄贈されるが、借り出す人はいない。)

 日本の医学博士の多くはこのような雑誌に論文を載せて博士号を貰ったものである。そのため、医学博士号は学位の中でもっとも軽い学位だと見做されている。(文学博士号などは単行本の一冊も出していないと取れないから、医学博士よりずっと難しい。)

冒頭の本の著者のように、医学博士には医者でなくてもなれる。むしろ、こういう人の医学博士号の方が価値があるだろう。

* * * * *

 理研の小保方さんの博士論文にケチがつけられている。米国立衛生研究所の記述をコピペした疑いと、本文と関係がない意味不明の文献欄がついているという。「審査員」は関係教授連だとか。理学の世界にも誰も読まない雑誌があるのだろうか?理学博士号も医学博士号と同じく、お軽いのだろうか?中立で厳しいレフェリーの査読をクリアしていないのなら、誰も読まない。

 ただ、本文に引用されていない変な文献欄がついているといったお粗末なことは、医学博士を大量生産するための誰も読まない機関紙でさえめったに見られないことである。

 小保方さんの学位剥奪か?と報道されているが、冗談ではない。本末転倒である。剥奪されるべきは大学院側の学位授与権である。論文導入部のコピペだって、大学院側が黙認した可能性が大きいからだ。

研究発表は静かに行われ、静かに追試されるべき

2014-03-12 22:01:53 | 学術
 STAP細胞の共同発表者、若山照彦山梨大学教授は愉快な人だと思った。というのは、STAP細胞が発表されたとき、「僕が世界で初めて冷凍マウスからクローンマウスを作るのに成功したときには、こんなに注目してくれなかった」とにこやかに語っていたからだ。

 むろん私も知らなかった。だが18年間冷凍したマウスからクローンマウスができれば、冷凍マンモスのクローンを作る道も開けるので、画期的な仕事ではあるのだ。元の仕事を知らないのだから、その技術に再現性があるのかどうか、そもそも追試が行われたのかも私は知らない。

 だが、多くの研究発表とはそうしたもので、研究者の間でだけ発表が知られ、追試が行われ、再現性が証明されたり証明されなかったりしているのが本来の姿である。それらは大衆が知らないところで行われている。

 われわれはiPS細胞が発表された2007年には、iPS細胞について何も知らなかったではないか。STAP細胞もそのようにひっそりと発表されていればよかったのだ。再現性が証明されなければ、この発表は静かに消えていったはずである。そして、発表されたことも消えていったことも、大衆は知らなくてすんだ。今回のSTAP細胞のごたごたは、理研が大々的にテレビ発表してしまったことにも大きな原因があるのだ。

小保方さんや理研を責めてはならない

2014-03-10 20:58:10 | 学術

nature publishing groupe より引用。)

 論文を投稿したことがある人なら知っていることだが、レフェリー(査読者)からの返事には3通りある。不採用と条件付き採用と無条件採用である。無条件採用は、よほど格の低い雑誌でなければ、ふつうはない。

 レフェリーは頭が下がるほどに投稿論文を読みこんでくれる。そして、ほんのわずかな矛盾でも見つけ出して指摘する。レフェリーは無償でそれをやる。私はレフェリーから返事をもらうたびに、いつも感謝していた。レフェリーはケチを付けるだけが仕事ではない。論文に少しでも見るべき点があれば、そこを伸ばすようにアドバイスをくれる。

 レフェリーはいつも、この論文をこれまでの常識と合わないという理由で不採用にしたら、ノーベル賞級の発見をボツにしてしまうかもしれない、という不安をもっているそうだ。

 レフェリーは論文の内容を自分で追試するわけではない。だから、新規性と説得力がある論文は取りあえず掲載して、再現性の証明は他の多くの研究者に任せる。その結果、再現性のない論文は闇へと消えていく。そのような論文は山ほどあるのだ。雑誌に掲載されるとは、そういうことである。その点についてはすでに指摘しておいた。(2014-01-31)

 このたびのSTAP細胞の論文も、闇へ消えていく論文の一つだったに過ぎず、別に珍しいことでもなんでもない。小保方さんや理研の人たちに悪気なんて全然ない。大きく取り上げておいて、間違いだと分かると袋叩きにするのがマスコミのいやらしいところだ。

 追試で再現性が認められないとバレるのが前もって分かっているのに、論文を投稿するバカはいない。自分のところでは確かに結果が出たから、しつこく再投稿したのだ。小保方さんや理研を責めてはならない。

 論文が雑誌に掲載されることがゴールなのではない。これから歴史の風雪に堪えていけるかどうかが試されるスタート地点に立っただけなのだ。

玄人と素人

2014-03-05 06:09:15 | 学術

(.I.教授の訳書の一つ。Amazon より。)

 神戸大学医学部の感染症内科の.I.教授は本質的なところをズバリと、しかもやさしく説くので、私は彼の読者である。

 その.I.教授がよほど腹に据えかねたのか、ある雑誌に次のように書いている。

 「ときどき、僕に抗生物質やワクチンのことで議論をふっかけてくる”素人”の方がいらっしゃいます」、「ネットで調べて”分かったつもり”になっています」、「基本的なところを勉強してから議論をしたほうがよいと思います」と言うと、「素人だと思ってバカにするなと怒り出す」のだそうだ。

 ネットが普及してから、こういう勘違いをする人が増えたのは事実である。だが私の経験では、何かについて(電気回路でも法律でも農業でも何でもよいが)その道の玄人である人は議論をふっかけてこない。

 玄人と素人には圧倒的な格差があることを、身をもって知っているからだろう。

 .I.教授は「素人が玄人に意見をする時には、玄人以上に勉強しなければなりません。当たり前のことです」と結んでいる。

STAP細胞と創傷治癒

2014-02-14 06:06:52 | 学術
 普通の細胞にストレスをかけると簡単に万能細胞になるというのが、このたびのSTAP細胞の大発見である。(他の研究者からの再現性ありという報告が待たれる。)

 試験管内の単純な操作で万能細胞ができるということは、生体内ではしょっちゅうSTAP細胞が作られていることを意味する。

 「創傷治癒」(傷が勝手に治ること)のメカニズムはまだ分かっていない。怪我をすると即座に患部の修復活動が始まるのはなぜだろうか?これまでは、何かの機構で傷の周囲の細胞が増殖し始めると漠然と考えられてきた。

 この「何かの機構」が分からなかった。もしかしたら創傷のストレスで患部にSTAP細胞が作られるのではないか?そのSTAP細胞が周囲の状況に応じて分化するのが「創傷治癒」のメカニズムではあるまいか?

 「細胞の乗り越し」(傷の周囲から細胞が増殖してきて、中央で細胞同士がぶつかってもさらに増殖を続けること)が起こらないことも理由が分からなかった。癌細胞には「細胞の乗り越し」が起こる。「創傷治癒」では増殖した細胞同士がぶつかると、未知の細胞分裂抑制因子が発生して増殖をやめる、という程度に何となく考えられていただけだった。だが本当のところは、傷が治ってストレスがなくなり、STAP細胞が作られなくなるからではないか?

 STAP細胞は、以上のような連想を際限なく導いてくれる。だからSTAP細胞が他の研究者によって実証されれば、これまでの細胞生物学や発生学を書き換える、iPS細胞を超えた世紀の大発見なのである。

(たとえば皮膚は表皮と真皮という別の細胞からできている。皮膚の中には血管や神経がある。皮膚の下には皮下組織(脂肪細胞など)がある。これらはみな違う細胞である。挫滅創の場合、これらが混交した傷となる。だが、創傷治癒が行われると、それぞれの細胞が元通りに互いにくっつく。創傷部分の別種の細胞種が増殖して再び互いに接着するのは不思議である。ここにSTAP細胞の考え方を導入すれば、STAP細胞はどの細胞種にも分化できるから、見かけ上は表皮は表皮同士、真皮は真皮同士でくっついたように見えるのだという説明が可能となる。)


創傷治癒センターHPより引用。従来の創傷治癒の説明。)

理化学研究所の小保方晴子さん

2014-01-31 00:01:14 | 学術
 細胞を弱酸性の溶液にひたすだけで細胞をリセットできるという論文を、理化学研究所の小保方晴子研究員が一流誌ネイチャーに載せて、いまその話でもちきりである。

 小保方研究員が若くて可愛いからか、すでに報道が過熱している。

 私にはやはりこの研究結果は信じられない。学術雑誌に掲載された科学論文の8割は再現性がなく、消えていくとされている。小保方さんの研究結果も、残念ながらその部類に入る可能性が高い。

 なぜ私がそう思うかというと、溶液に浸しただけで細胞がリセットされるならば、その溶液を口から飲んだり、皮膚に塗ったりするだけで生体細胞がリセットされることになるからだ。だがもし、この論文に再現性があれば、間違いなくノーベル賞だが。

 小保方さんは早稲田大学院からハーバード大に留学したというから、そうとうな才媛なのだろう。彼女がインタビューされる場面をテレビで見て、次のことを彼女に感じた。

(1)話しながら首を縦に振ることをしない。(首を縦に振りながら話す女性は、あまり利口には見えないと、2011-05-28 に述べておいた。)

(2)語尾伸ばし言葉を使わない。(「だからぁ~、わたしはぁ~・・」と語尾をハイトーンにして伸ばす話し方が女性に蔓延しているが、これもあまり利口には見えない。)

(3)耳飾りがピアスではなく、(ネジでとめる)イヤリングである。(好みの問題だが、私くらいの年配者はピアスが嫌いだ。耳に穴をあけるのは入れ墨に似ていると感じる。)

 今後、小保方さんはテレビに追いかけられると思うから、以上の点を注意して観察してほしい。

関連語:STAP細胞

数学科出身者が進む道

2014-01-16 06:18:13 | 学術
 大学の数学科出身者の99%はプロの数学者にはなれない。プロの数学者とは、囲碁将棋の世界と似ていて、その道に異常な才能がある人である。だから受験生は、めったなことでは数学や理論物理を専攻しようとはしないのだ。

 20年ほど前からか、金融工学という学問が台頭してきた。これは、投資をどこにしたら、もっともリスクが少ないか、または余計に儲けられるかを、統計学を初めとした数学的な思考で追及する学問である。プロの数学者にはなれないが、こういった「実用的な」計算を行う仕事が出てきたために、数学科出身者の就職先が増えた。

 もっとも金融工学で生み出された投資で失敗したのが、リーマンショックである。金融工学も市場では万能ではありえなかったが、金融工学なくしては成功しなかった事例のほうが多いので、リーマンショックという失敗だけで金融工学を否定することはできない。

 このところのコンピュータの発達によって、コンピュータグラフィック(CG)の進歩がめざましい。ふつうの映画でさえCGを一か所も使用していない映画を見つけるのが難しいほどだ。ディズニープロは、「Cars」など、すべて3DCGのアニメをヒットさせている。

 ここでCGで人間の表情を自然に出すにはどうしたらよいか、というような問題が新たに生じてきた。ここにもプロの数学者ではない数学科出身者の活動する余地ができた。なんとかという方程式を使うと表情がよくシミュレーションできるといった研究が盛んになってきた。

 最近よく言われるのが、「ビッグデータ」である。ビッグデータをうまく処理するには数学的な知識が必要だ。アメリカではすでにビッグデータのアナリストを数学科出身者から育てている。いまビッグデータのアナリストは供給が少なく、高給取りである。

 医学の世界ではだいぶ前から、統計学の知識がなければやっていけない領域が出てきた。だから、一部の医者は統計学の最先端を学んで、それをコンピュータに乗せるにはどうしたらよいかを勉強している。

 私は「医者ロボット」が遠からず発明されると思っている。そのときも数学科出身者が活躍するかもしれない。

今年の精神医学の展望

2014-01-01 00:01:20 | 学術
 みなさま、あけましておめでとうございます。

 新年早々、一般の方には少々難しいかもしれませんが、なるべく分かりやすく今年、精神医学がどういう方向へ行くか、私の予想を述べます。

 今年は生物学的精神医学が飛躍する年だと思います。近年、多様な細胞観察法が開発されてきたからです。

 うつ病の治療に関しては、ここ20年ほどSSRI(セロトニン再取り込み阻害剤)が治療の主流となりました。これらの薬は、シナプス(神経接合部)で働く「神経伝達物質」(セロトニン、ドパミン、ノルアドレナリンなど)の作用をコントロールする薬剤です。

 「神経伝達物質」の挙動の異常が、うつ病を初めとする精神病の「細胞レベルでの異常」として捉えられ、そこの部分の異常を補正することが理にかなっているとされてきました。

 脳細胞には2種類あり、ひとつは神経細胞(ニューロン)でもうひとつはグリア細胞(翻訳はありません)です。りんごの箱詰めに例えると、ニューロンはりんごで、グリアは箱に詰める発泡スチロールの粒だと考えられてきました。つまり、グリアはニューロンを支えるだけの「詰め物」と思われていました。

 ところが最近、ニューロンとグリアが影響し合っていることが分かってきました。だから、ニューロンだけを調節するSSRIでは駄目なのですね。昔、3環系の抗うつ薬(TCA)というのがよく使用されたのですが、便秘、口渇などの副作用が強く、SSRIにはそれがないので、TCAはSSRIにとって代わられてしまいました。(最近の若い精神科医にはTCAの使用経験がない人も出てきたようです。)

 ところがTCAはグリアにも作用していることが分かってきました。2重盲検法という厳密な試験ではSSRIとTCAとの間に効果の差はないとされています。しかしながら、私の臨床経験ではTCAのほうが明らかにSSRIより効くのです。

 大脳におけるグリアの役割がもっと分かってきたら、脳研究は決定的に変わってしまうでしょう。そして、これまで盛んだった「神経伝達物質の受容体」(セロトニンなどとくっつく神経細胞表面のたんぱく質)の研究は、こうこれ以上やっても仕方がないという雰囲気に、学界がなってくると思います。これからは(神経細胞ではなくて)グリアの研究が欠かせなくなるからです。(製薬会社の人は医者に向精神薬の説明をするときに、「受容体仮説」を使います。ですが、年々おびただしい数の受容体が発見されてきて、もう受容体の機能で薬効を説明する意味がなくなってきています。)

 それともうひとつ、みなさんはどこかで「前頭前野」とか「扁桃体」とか「海馬」という大脳の部位の名称を聞いたことがあるでしょう?通俗的な「脳科学者」というフィクション作家が、これらの術語を使って人間の行動や心理現象を説明して、本を書いたりテレビに出たりして大金を稼いでいます。でも彼らがやっていることは、フィクション作りに他なりません。彼らは新手のSF作家なのです。

 大脳の局所的な機能の連鎖によってだけで説明できるほど、精神現象は単純ではありません。最近、「前頭前野」や「扁桃体」や「海馬」の機能を統率しているのは、もしかしたら小脳ではないかという考え方が出てきています。

 小脳はほんとに謎の臓器で、大きい割に機能がほとんど分かっていません。小脳の研究も今後行われなくてはならないでしょう。

 長くかつ退屈になりそうなので、精神医学研究の今後の展望はこのくらいにしておきます。ことしもどうぞ当ブログをよろしくお願いしたします。

ウソでしょ?図書館がオンライン化されていないって?

2013-11-05 06:15:24 | 学術
 3週間前に図書館はどんどん電子化されて、司書の仕事も変質するだろうと書いた。図書館は勉強したい者にはいくらでもお膳立てをしてくれるとも書いた。だが現在、図書館はネット化の波に乗り切れず、その役割を自ら狭めていることが分かった。

(母校の図書館のサイトより。)

 このほど、ある論文が読みたくて母校の図書館に連絡して驚いた。図書館はその論文をPDFファイルとして持っているが、閲覧は図書館のパソコンでやってくれという。

 遠方だから行けない。よって、貴図書館と当方をオンラインで結ぶにはどうやったらいいのか尋ねた。答えは外部とのオンライン化はしていないという。必要ならコピーして郵便で送るという。

 そりゃぁ著作権があるだろうけどさぁ、コピーして郵便で送るってどういうこと?

 実は図書館同士もオンライン化されていないという。図書館同士での蔵書のやりとりは全部郵便でやるのだという。ウソーー!30年前と同じじゃないか。

 それじゃぁ、アメリカの図書館にしかない論文を見たいときはどうするの?昔みたいにアメリカから郵便でコピーを送ってもらうわけ?このネット社会で、それ本気?図書館は論文の発表者の著作権を守っているのではなく、「出版社の著作権」を守っていることになる。

 論文は読まれてナンボである。論文の発表者は、広く自分の思想や発見を伝えたいだけである。論文の出版によって金儲けしようなぞとは毛ほども考えていない。

 学術論文の電子版の無料配布を著作権を盾にして妨げているのは、電子版を出して儲けている出版社であることがこれで分かる。

 出版社が、研究者たちが血みどろになって研究した成果を"有料で"配布しているのだ。研究者は一文も貰えないどころか、ページ数によっては掲載料を取られる。今や、出版社は研究成果の自由な往来を妨害する存在になっている。だから、出版社にたよる論文の発表形式は、もうじき終わるだろう。

 アメリカの数学者ド・ブランジュがリーマン予想の肯定的証明を、学術雑誌に頼るのではなく、いきなりインターネット上に発表したのは正解だった。この方式が今後普及するだろう。そして出版社が潰れ、ネット上に学術論文の分類検索会社が栄えるだろう。当然、図書館もすたれることになるだろう。

滋賀医大・ディオバン臨床試験問題

2013-11-02 06:06:24 | 学術
 滋賀医大のディオバン臨床試験について、同大の調査委は「論文のデータの10%くらいがカルテの数字と一致しない」と発表した。しかし、調査委のこの発表には疑問が残る。


毎日JPより。謝罪する滋賀医大・馬場学長(手前)。ただし、馬場氏は不正があったことについては謝罪していない。「世間を騒がせたこと」を謝罪しているのだ。)

 なぜなら、この欄で再三言ってきたように、データが書かれているカルテが、ディオバン投与群のカルテか、非投与群(対照群)のカルテか、調査委には絶対に知りえないからだ。知りえないことを発表するとは、こんどは調査委がでっちあげをやっていることになる。

 もっとも、柏木病院長がこの臨床試験の「元締め」をやっていたそうだから、柏木氏がデータを調査委に渡した可能性がある。そうだとすると、同じデータについて柏木氏と調査委の解釈が違ってきたことになる。

 柏木病院長がデータを調査委に提出したとしたら、柏木氏は善意である。そのデータを調査委が黒と判定したなら、柏木氏が怒るのは当然だろう。

 同じデータなのに解釈が分かれる事態は科学論争でしばしば生じる。それを解決できるのは、本当は歴史の風雪しかない。

(調査委はデータを柏木氏からもらったのなら、その旨はっきり世間に公表するべきだ。そうでないと、私のような疑問を持った者たちは、調査委がどうやって問題のカルテを同定しえたか、ずっと疑いを持ち続けるだろう。)

カネボウ白斑事件への疑問

2013-09-13 06:45:08 | 学術
 カネボウの化粧品によるとされる白斑の問題に、いくらか疑問がある。今回の事件で見られる白斑は、従来からある尋常性白斑(白なまず)と区別がつかない。尋常性白斑は一般人口の1~2%に生じる。

(1)当該のカネボウ化粧品を使用していた人の何%に白斑が生じたのか、発表されていない。発生率が1~2%より十分大きくなければ、その白斑は従来の尋常性白斑である可能性を排除できない。

(2)カネボウ化粧品使用者で、背中や足の甲など化粧品を塗らない場所にも白斑が生じている。この場合、化粧品との関係が薄くなる。つまり普通の尋常性白斑である可能性がある。(下の写真は前胸部にできた白斑である。上部左右に乳首が見える。)



(3)他社の化粧品でも白斑が生じたとの報道がある。カネボウの化粧品と同じ物質が含まれているのでなければ、これまた従来の尋常性白斑である可能性を排除できない。

 マスコミには以上のような疑問に答えられるように取材をしてほしい。

牧野富太郎と「さかなクン」

2013-08-10 04:58:19 | 学術
 日本植物学の父、牧野富太郎と、お魚タレントの「さかなクン」の類似点に気づいている人は多いだろう。

 牧野富太郎は世界的な業績を残しながら、学歴がないために(小学校中退)アカデミズムの本流に入れず、東京帝国大学から博士号を授与されたときには65歳になっていた。

 「さかなクン」も東京水産大学に入れず、キャリアは本道の水産学にはない。彼の驚異的な魚の知識は独学である。それでいて、多くの水産学者、魚類学者と親交がある。これらの学者たちも「さかなクン」の網羅的な魚の知識にはかなわないだろう。

 「さかなクン」の私生活は隠されていて(子供たちに夢を与えるという理由らしい)、年齢は38歳と推測されるが、妻子や家族がどうなっているのか謎である。この辺も、いかにもオタクめいていて面白い。

 多くのタレントが「作られた自我」を演じる。(これをキャラと呼ぶ。)「さかなクン」もむろん「作られた自我」を演じている。だが、タレントと違って、「さかなクン」の「自我」の作り方に痛々しさを感じるのは私だけだろうか?無理をしている感じがあるのだ。

 牧野富太郎はおびただしい数の植物の博物画を残している。「さかなクン」も巧みに魚の絵を描くことはよく知られている。そのため、彼は魚のイラストが得意だ言われるが、とんでもない。彼の魚の絵は、れっきとした博物画である。その詳細なこと、牧野に劣らない。

 「さかなクン」が牧野と違うところは、牧野は植物の食べ方の研究をしなかったが、「さかなクン」は魚料理に通暁しているという点である。私は幼少時、魚の図鑑を見ていて、その魚がどこに棲息してどういう生態かということよりも、美味しいかまずいか、食べられるかそうでないかに大いに興味があったので、「さかなクン」が魚料理に詳しいのは心から理解できるのである。