院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

スポンジ女

2013-07-31 04:28:18 | 学術
 今はほとんどいないが、私が医者になりたてのころには、いろんな大学の医学部に「大物教授」といわれる人がいた。学識、人格、統率力に優れた人だった。

 「大物教授」の周りには大勢の「とりまき」がいた。「とりまき」の中に、いつも教授のそばになにかとくっついていて、勉強をしているのかそうでないのか、わけが分からない女性が何人かいた。

 彼女らは医師免許を持っている場合もあったし、ない人もいた。なにをテーマに研究しているのかさっぱり分からない女性たちで、大学病院内でうろうろしているのだ。彼女らは教授の謦咳に身近に接しているから、教授の学説を丸ごと飲み込んでいるかというと、そうでもない。

 だが、一見、教授の教えを学びつくしているように見える。そのわりに後輩にその知識を伝授することがない。つまり、自分だけ吸収して、吸収したものを出さないから、私は彼女たちを幾分軽蔑して密かに「スポンジ女」と呼んでいた。でも、今にして思えば、彼女たちはなにも吸収していなかったのだ。

 彼女たちは、大学病院から禄を食むことはなかった。どうやって生活しているのだろうかと不思議だった。学会発表や論文発表に共同研究者として名を連ねることはあったが、決して自分が筆頭者になることはなかった。名前が連なるだけで満足してしまうのである。

 今考えると彼女たちは、ジャニーズ事務所のイケメンタレントを追いかける「追っかけ女」と同質の存在だったのだ。あれから40年近く、彼女たちは、ちゃんとしたお婆さんになっているだろうか?

生物の分類

2013-07-24 03:45:48 | 学術
 息子が中学生の時、息子の生物の教科書を見て驚いた。分類学が全然載っていないのである。代わりに人体の解剖学や生理学が載っている。確かにそのほうが実用的かもしれないと思った。

 私が中学生時代の生物の授業は大部分が分類学だった。細かい分類をこれでもかと覚えた。回虫が卵から成虫になるまでに5回変態する。その幼生の各々の名称を暗記した。ミラシジウム、スポロシスト、レジア・・・と今でも覚えている。

 丸暗記は不思議にイヤではなかった。こんなものにさえ名称が付けられているという感動のほうが大きかった。

 高校生になってから、新発見の生物をどのように登録するかを教わった。これまで誰も見つけたことがない生物に命名するなんて、ロマンがあるではないか。

 新発見の生物はラテン語で記載し、外国にある「本部」に届けなければならなかった。(現在では他の言語も許されているらしい。)ラテン語というと権威主義のかたまりのように思えた。だが、宮川さんが発見した生物には「ナントカカントカ・ミヤガワイ」と命名されるので、権威主義的な割にダジャレが使用されているようで可笑しかった。

 学名に姓と名がある形式はリンネの考案に寄るらしく、この方法によって系統的な分類が楽になった。そのとき、リンネが世界中の生物をくまなく拾い上げ、名前を付けようとした根性に感銘を受けた。

 分類の初めは「門」で、次が「綱」だったかな?最後は「種」「品種」で終わる。ペットショップや苗屋で売っているのは「品種」なのだと分かった。

 動物を分けるのに、一番最初は「脊椎動物門」と「無脊椎動物門」に分類する。このような分け方は、実は大いに恣意的なのであって、一番最初の分類を例えば「目がある動物」と「目がない動物」としても、なんら問題なく別の分類が可能であると気付いたのは、私が社会人になってからであった。

学会費は今でも郵便振り込み

2013-06-29 04:43:00 | 学術
 私は5つの学会に入っている。(もっと多い人もいる。)学会とはその分野で最先端の知見を交換する場所だ。

 学会を維持するための年会費は5000円から1万5000円である。学会には学会費以外の収入はほとんどない。

 私はしばしば学会費を滞納して督促状をもらう。会費納入を忘れてしまうのだ。なぜ忘れるかと言うと、5つの学会すべてが郵便振り込みでしか学会費を納入できないからである。いつか納めようと思っていても、郵便局まで行くのが面倒で後回しにしているうちに忘れてしまう。

 最先端の研究を取り扱っている学会が、会費納入は古色蒼然とした郵便振り込みしかできない。学会の理事たちは学者バカに過ぎないのだろうか?

 今なら、コンビニ振り込みでもインターネット振り込みでもなんでも可能である。預金からの引き落としだってできるはずである。

 督促状を出すエネルギーがあるなら、その前に払い込み方法を改善せよ。学問の最先端を担っている誇りがあるなら、支払い方法も最先端の仕方をいくつも採用せよ。

 通信販売の会社なら、より便利な支払い方法を何通りも示して、とっくの昔に改善していることを学会はやらない。それなのに会費の集まりが悪いと不平を言っている。こういうのを殿様商売と呼ぶのだ。

テレビ番組「ほこたて対決」

2013-03-29 05:35:55 | 学術
 A社は「わが社のドリルはどんなものにでも穴をあける」と主張し、B者は「わが社の超合金は絶対に穴をあけることができない」と主張する。それなら、両者を対決させてみたらどうか、という観点から「ほこたて対決」という番組ができた。

 「ドリル対超合金」の番組では、主にドリル会社の新ドリル開発の様子が追跡されていた。ドリル会社は全社をあげて、ドリルの開発に取り組んだ。責任者は懸命になって、実験と研究を重ねた。その技術屋魂は感動的でさえあり、ひとつのドキュメンタリー番組として成立するほどだった。

 結果として新ドリルは超合金に穴をあけることはできなっかったが、すがすがしい後味を残した。このような番組は、わざわざ映画に撮るほどではなく、結果が分かっているからDVDにすることも不向きで、テレビならではの領域だと思われた。

 この番組の看板に「マニア対プロ」というコーナーがある。たとえば京成電鉄マニアというのが出てくる。とにかく京成電鉄のことは、車両の種類からダイヤの組まれ方までなんでも知っている。そして、京成電鉄の職員と、どちらが京成電鉄についてよく知っているかをクイズで競うのである。

 マニアにはいろんな種類のマニアが出てくる。たとえば漫画「ワンピース」のマニア、漫画「ドラゴンボール」のマニアなど。彼らは漫画の細かいところまで、おそろしくよく知っている。主人公が敵を相手に作戦を立てた時のテーブルに乗っていたワインボトルには何と書いてあったか?など、ストーリーに無関係なことまで覚えている。

 そこまで細かく漫画のことを覚えるならば、歴史や地理のことでも覚えたほうがまだ役に立つっだろうと思えるのだが、役に立たないことに熱中するのがマニアのマニアたる所以だろう。

 実はあまりマニアとは呼ばれないが、それに近い人たちはいくらでもいる。たとえば、彗星ハンター。彼らは毎晩一日も欠かさず、望遠鏡で夜空を眺めている。たとえば、アマチュア考古学者。彼らは発掘に余念がない。

 さらに、マダガスカルのカメレオンの種類を勘定している人。アフリカの奥地のナントカ蛙の生態を調べている人。彼らはなぜ、そんな役にも立たないことを調べているのか、理由がよく分からない。ただ、彼らがマニアと呼ばれないのは、それを職業としている研究者だからである。

 なぜ、そんなことを研究しているのかと思わせる研究者は、たいてい白人である。白人の社会は他の社会よりも豊かで、そのような研究者を食べさせることができるからである。

 この事実を敷衍すれば、マニアがマニアとして存在しうるのは、彼らを取り巻く社会が十分に豊かで、食うに困らないからに他ならない。

動物モデル

2013-03-26 00:22:41 | 学術
 実験動物として有名なのは、ヌードマウスである。このマウスは毛がないからそう呼ばれるのだが、毛がないことがこのマウスの特徴ではない。

 このマウスには免疫機構がない。だから、無菌室で育てなくてはならない。免疫機構がないから、他種の動物の組織を移植しても拒否反応を起こさない。そのため、がん細胞を移植して観察することができる。

 ほかに私が知っている動物モデルに、キンドリングマウスがある。このマウスは、空中に放り上げると、てんかん発作を起こす。このマウスに、抗てんかん薬を投与すると、一回放り上げても発作を起こさなくなる。この性質を利用して、何回放り上げるとてんかん発作を起こすかによって、発作を起こす閾値が計測できるようになった。

 私の恩師、故青木久生先生は、家系的に高血圧症を起こすラットを開発した。このラットによって高血圧症の治療が格段に進歩した。青木先生はこのラットによって世界的に知られ、このラットは青木ラットと呼ばれている。

 東大の精神医学グループは、猿で統合失調症のモデルを作った。覚せい剤中毒者がしばしば統合失調症のような症状を呈することから、猿に覚せい剤を注射し続け、猿が一見、慢性の統合失調症のようになるようにして観察した。しかし、この猿は本当に統合失調症になったのか証明できなかった。青木ラットのように遺伝しないから、その都度覚せい剤を投与しなければならず、現在ではこのような猿を作っているとは聞かない。

 私が20代のころ、マウスでうつ病モデルを作ろうと一生懸命になっている先生がM大にいた。彼はマウスを輪の中で強制的に走らせ続け、マウスにストレスを与えた。だが、私はこの努力はうまくいかないだろうと思った。なぜならば、うつ病はストレスだけが原因ではないから。もう一つは、マウスを走らせ続けることが必ずしもストレスになるとは限らないから。

 4,5年でその先生は、うつ病マウスを作るのを諦めた。あれから30年以上、うつ病マウスはまだできていない。そして、うつ病マウスを作ろうとしていた先生が昔いたことを、もう誰も知らない。

日本精神病理学会

2013-01-31 04:13:08 | 学術
 精神医学の中に「精神病理学」という分野がある。この学問は、精神病はなぜ起きるのか?幻覚や妄想の本体は何か?といったことを研究する学問である。

 精神現象やその異常が自然科学的に説明できないから、精神病理学という人文科学的な見地から説明しようというわけである。物理学や経済学が数学を援用するように、精神病理学はしばしば哲学を援用する。そのために、ときに精神病理学はきわめて難解となる。精神病理学が理解できる精神科医はむしろ少数派だろう。

 精神病理学者たちの一番の弱点は「その学問て、治療に役に立つの?」と問われたときに露呈する。じじつ、精神病理学は治療の役にはあまり立たない。

 しかし、私見では精神病理学は精神医学の基礎論だと思う。今すぐに役に立つものではない。ちょうど材料の研究に似ていて、その材料がどんな物品に応用されるか分からない。それでも材料は研究されている。精神病理学はこれと似たところがある。

 精神医学の鑑定書は、よく文学的だと批判されるが、自然科学的な説明ができない以上、文学的にならざると得ないのだ。鑑定書は一本スジが通っていなくてはならない。そのスジの背景をなすのが精神病理学で、きわめて精緻に組み立てられている。

 精神病理学はすぐに治療に役立たなくてもよいのではないか?

 日本精神病理学会という学会がある。私も学会が設立された時からこの学会に加入している。ところが10年前、この学会が「日本精神病理・精神療法学会」と名称を変更されてしまった。精神病理学が精神療法に役立つはずはないから、この名称変更は精神病理学者が「それ、何の役に立つの?」と問われ続け、苦し紛れに学会の名称を変更したのだと私は思った。精神病理学者はもっと誇りをもったらいいのにとも思った。

 ところが今年、「日本精神病理・精神療法学会」は、名称をもとの「日本精神病理学会」に戻した。学会の幹部たちも、「精神病理・精神療法学会」では、あまりに座りが悪いことにたまらなくなったのだろう。

 学問にはすぐに役に立たないものも多いのだ。役に立たない学問をかかえておられるということは、その国が豊かであることを示している。

諸子百家、古代ギリシャ以来、学問は進歩していない

2012-10-19 05:43:18 | 学術
 学問に進歩はないと言ったら不思議に思われるだろうか?実はすべての思想は諸子百家、古代ギリシャでもう尽きていると言うと、妙に思われる人が多いだろう。

 人間は月にまで行けるようになったし、火星に探査機を送れるようになった。昔はそんなことはできなかった。だから学問は進歩していると、ほとんどの人が考えるだろう。

 学問に進歩がないと言ったら、iPS細胞による細胞のリセットを進歩と言わずに何と呼ぶのか怪しむ方が圧倒的だろう。

 ここで「学問」の定義が問題となる。「学問」とはものの考え方のことである。もっと言えば、倫理や論理や考え方の枠組みのことである。

 現在の考え方の枠組みは、すでに古代ギリシャに始まっている。倫理も諸子百家ですべて語られている。

 では、何が進歩したのだろうか?それはテクノロジーである。すなわち技術である。これらは、学問のようであって実はそうではないというのが私の主張である。

 テクノロジーは積み重ねてずいぶん進歩した。しかし、テクノロジーを支える基本的な思想は4000年前にすでに完成していると言いたいのである。

 学問とテクノロジーを混同している向きが多いので、持論を述べてみた。

森重文君のこと

2012-08-11 05:02:59 | 学術
 森重文君と気軽に呼んだが、私が彼を一方的に知っているだけで、彼の方は私のことを知らない。

 彼を知ったのは高校時代、「大学への数学」という少々マニアックな雑誌においてだった。この雑誌には、高校生にとって相当に難しい問題が載っていた。私はほとんど解けなかった。

 だが、どんな問題でも解いてしまう高校生がいた。それが森重文君である。その実力は驚異的で、雑誌にかかわる数学の先生をして、「怪物くん」と呼ばしめていた。私も驚いていた。

 森君は、小学校から算数、数学ともに100点以外は取ったことがないという。当然のことのように彼は京大数学科にはいった。それで、いったん彼の消息は私の視野から消えた。

 ふたたび出会ったのが、彼が数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞したときだった。あの広中平祐が受賞した賞である。日本人では3人しかいない。

 彼や私の受験年は、大学紛争のため東大と東京教育大(筑波大)の入試が中止となった年だ。彼は、東大の受験がなかったから京大へ行ったらしい。だがそれは、彼にとってかえって幸運だった。彼は京大だったからこそフィールズ賞が取れたと言われている。

 天才というものの人生行路を、森君は40年近くをかけて私に見せてくれた。

数学の証明における「飛躍」の許容範囲

2012-07-15 02:42:27 | 学術
 世の中でもっとも厳密な学問は数学だと言われている。だが、私には腑に落ちないことがある。

 数学の証明で、「YY ゆえに XX 証明終わり」という言い方がある。このYYからXXの間には飛躍がある。この飛躍をなぜわれわれは「なるほど、そうだ」と思えるのだろうか?

 反対に、超人的に知能が高い人がいたとして、証明すべき命題を見ただけで、(証明の途中経過を抜きにして)「なるほど、そうだ」と感じてしまう人がいるかも知れないではないか。

 たとえば、三角形の2辺の和は他の1辺より長い、という命題は、われわれ普通の知能の者でさえ明らかである。(つまり、一見して「なるほど、そうだ」と分かる。)

 でも、中学校では、証明の技法を教えるためか、上の命題をわざわざ証明してみせるのである。

 反対に、プロの数学者が行なう証明は、「ゆえにXX」と言われても、まだ飛躍がありすぎて、われわれには理解できないことが多い。

 どこまでを「まっとうな推論」と呼び、どこからを「飛躍」と呼ぶのか、数学の素人としての私は、分からないのである。

 (数学を学問と思っているから、いけないのだろうか?数学者には、数学は学問と言うより芸術である、という人も少なくない。)

栄養学は必要がないのではないか?

2012-06-17 04:13:21 | 学術
 栄養学ほどころころと学説が変わる学問も珍しい。昨日あれを食えといえば、今日はもう食うなという。

 そもそも生物はエサをどのように識別しているのだろうか?まさか栄養学にしたがって識別しているわけではあるまい。本能的に食べたいものを食べているだけだ。

 人間もそうだ。水が不足すれば水分が欲しくなる。塩分が不足すれば同じく欲しくなる。

 もし、亜鉛などの微量金属が不足すれば、それらを含んだ食物が食べたくなるようにできているのだろう。そのくらいの精巧さがなければ何千万年も生き永らえない。

 栄養学は木を見て森を見ずで、瑣末なことばかり研究しているのではないか?

 栄養学に従う必要はない。本能に従えばよいのだ。

 栄養学は毎年変わるが、本能は何千万年とかかって培われてきたものである。

解剖学の進歩

2012-06-13 04:31:39 | 学術
 解剖学という地味な学問がある。

 最初は解体新書に代表されるような、目で見てすぐに分かるような「マクロ解剖学」だった。これは、すべて分かってしまうと、それ以上の発展はなかった。

 相前後して、顕微鏡が発明されて、臓器は顕微鏡的にはどのようになっているのかが研究され、ミクロ解剖学が発達した。(今でもがん細胞は顕微鏡で見分ける。)だが、「ミクロ解剖学」もすぐに限界が来た。

 続いて電子顕微鏡が発明された、普通の顕微鏡が発明されたときと同じく、電子顕微鏡的解剖学が、私が学生のころまで研究されていた。

 今、解剖学はどうなっているのだろうか?たぶん、生化学と融合して生体膜の研究や、遺伝子的な研究が行なわれているのだろう。

 ほとんどの自然科学的な学問がそうだが、進歩はいつもテクノロジーに負うている。素粒子の世界もサイクロトロンの建造なしには発展しなかった。

 その点、法学や哲学はさしあたりテクノロジーと関係がないから、進歩は遅々としている。でも、それらの学問はテクノロジーにはよらないけれども、実は時代背景という大きな流れに影響されているのだ。

地球外生命体

2012-04-27 15:21:41 | 学術
 たとえば人間の骨に着目すると、そこには破骨細胞と造骨細胞というのがあって、破骨細胞が骨を破壊するはじから造骨細胞が骨を造って、その平衡状態によって骨は現状をとどめている。つまり、骨はそれ自身で一つの生態系だと見ることができる。

 人間を考えると、人間は食物連鎖の頂点にあって、米を食べたり魚を食べたりしている。そこには従来知られた生態系が存在している。

 米は土壌と日光を必要とする。それらなしでは存在できない。魚も同じである。海やプランクトンがないと生きてゆけない。

 つまり、生態系というものは、地形(土壌や海)や日光を含めて一つの生態系たりうる。

 だから、微視的に見るか巨視的に見るかによって、生態系の範囲が変わってしまう。

 そこで地球外生命体であるが、彼らが知的であるとして、地球のどれを生命体と看做すか迷うだろう。人間の個体を生命体と看做すか、空気や水を含めて生命体と看做すか、あるいは地球全体の生態系と地形を一個の生命体と看做すか・・判断できないのではあるまいか?

 まったく同じ理由で、我々は地球外生命体を認知できないだろう。

 かつてアメリカで地球外生命体へ電波を送るオズマ計画というのがあった。当時は夢のある試みと評価されたが、私はオズマ計画の想像力のなさに驚いている。

 オズマ計画は人間のような個体を対象として考えていたからである。生命体の定義が難しいことは、この小論でもすでに明らかである。

全球凍結

2012-04-12 20:39:56 | 学術
 何億年か前、地球全体が凍結したことがあったらしい。その氷の下で、単細胞の微生物が生き延びていた。

 この「全球凍結」が終わって、日光が微生物に降り注いだとき、葉緑素を持った微生物が大繁栄し、そのときに多細胞生物ができた、という説明をどこかで見た。

 しかし、この説では何も証明したことにはならない。単細胞生物が大発生し、多細胞生物になるなんて、飛躍がありすぎる。

 生物発生の謎と同じくらい、多細胞生物の発生は謎なのである。

個人識別の能力

2012-03-07 00:04:58 | 学術
 犬は匂いで個人識別ができるらしい。だからこそ、警察犬にも使われている。犬は人間ではとてもできない技で犯人を嗅ぎ分ける。

 なんだか人間よりも犬のほうが優れているようにも見えるが、実は犬が優れているのは嗅覚だけで、視覚も聴覚も人間に劣る。

 人間は顔を見ただけで、あるいは声を聞いただけで個人識別ができる。犬は個人識別をもっぱら匂いに頼っているようだ。

 犬は聴覚による個人識別どころか、自分たちの声とサイレンの聞き分けできない。消防車がサイレンを鳴らして通るとき、犬たちがサイレンに呼応して遠吠えをしているのを聞いた人は多いだろう。

 顔による個人識別や、話し声による個人識別の能力は、ほとんど人間の超能力と言ってよい。

「吸収秀才」・浅田彰さん

2012-01-29 10:22:19 | 学術
 学者の浅田彰さんは、26歳で『構造と力』という硬い本がベストセラーになった人である。私も読んだが、広い読書遍歴と、その吸収力と咀嚼力には驚嘆した。

 これだけの数の難解な本を十分に理解し、それらを纏め上げる力は他の追随を許さないだろう。その後、この人はどのような論を展開していくのか、楽しみに思っていた。

 あれから30年近くたつ。浅田彰さんは映画のことなどでまだ発言しているが、本業のほうではオリジナルな仕事がない。ちょっとがっかり。

 浅田彰さんは「吸収秀才」なのだと思った。他人の論を吸収し理解する達人である。でも、自分の論はあまり出さない。(出せない?)

 吸収とその再現に長けた人は、試験に強い。試験は、オリジナルを求めないから。

 だが、あまり「吸収」し過ぎると、他者の論に左右されてしまって、かえって自分の論が出せなくなる。最近の浅田彰さんの書くものを読んで、そう思った。