今はほとんどいないが、私が医者になりたてのころには、いろんな大学の医学部に「大物教授」といわれる人がいた。学識、人格、統率力に優れた人だった。
「大物教授」の周りには大勢の「とりまき」がいた。「とりまき」の中に、いつも教授のそばになにかとくっついていて、勉強をしているのかそうでないのか、わけが分からない女性が何人かいた。
彼女らは医師免許を持っている場合もあったし、ない人もいた。なにをテーマに研究しているのかさっぱり分からない女性たちで、大学病院内でうろうろしているのだ。彼女らは教授の謦咳に身近に接しているから、教授の学説を丸ごと飲み込んでいるかというと、そうでもない。
だが、一見、教授の教えを学びつくしているように見える。そのわりに後輩にその知識を伝授することがない。つまり、自分だけ吸収して、吸収したものを出さないから、私は彼女たちを幾分軽蔑して密かに「スポンジ女」と呼んでいた。でも、今にして思えば、彼女たちはなにも吸収していなかったのだ。
彼女たちは、大学病院から禄を食むことはなかった。どうやって生活しているのだろうかと不思議だった。学会発表や論文発表に共同研究者として名を連ねることはあったが、決して自分が筆頭者になることはなかった。名前が連なるだけで満足してしまうのである。
今考えると彼女たちは、ジャニーズ事務所のイケメンタレントを追いかける「追っかけ女」と同質の存在だったのだ。あれから40年近く、彼女たちは、ちゃんとしたお婆さんになっているだろうか?
「大物教授」の周りには大勢の「とりまき」がいた。「とりまき」の中に、いつも教授のそばになにかとくっついていて、勉強をしているのかそうでないのか、わけが分からない女性が何人かいた。
彼女らは医師免許を持っている場合もあったし、ない人もいた。なにをテーマに研究しているのかさっぱり分からない女性たちで、大学病院内でうろうろしているのだ。彼女らは教授の謦咳に身近に接しているから、教授の学説を丸ごと飲み込んでいるかというと、そうでもない。
だが、一見、教授の教えを学びつくしているように見える。そのわりに後輩にその知識を伝授することがない。つまり、自分だけ吸収して、吸収したものを出さないから、私は彼女たちを幾分軽蔑して密かに「スポンジ女」と呼んでいた。でも、今にして思えば、彼女たちはなにも吸収していなかったのだ。
彼女たちは、大学病院から禄を食むことはなかった。どうやって生活しているのだろうかと不思議だった。学会発表や論文発表に共同研究者として名を連ねることはあったが、決して自分が筆頭者になることはなかった。名前が連なるだけで満足してしまうのである。
今考えると彼女たちは、ジャニーズ事務所のイケメンタレントを追いかける「追っかけ女」と同質の存在だったのだ。あれから40年近く、彼女たちは、ちゃんとしたお婆さんになっているだろうか?